インドのチェンナイ
二度目のインドである。前回は2000年の9月、24年前。ボンベイ(ムンバイ)からバンガロール、プネーを訪れた。当時のタクシーは1950年代型の小さい車体で、ホワイトリボンタイヤだった。SUZUKIの車が出始めたところで、軽四輪トラックは1990年代型になっていた。
そんな記憶なので、インドというのにちょっと躊躇したが、今回、紀元前後のローマからインド南部にはローマ世界の船乗りと商人が往来していたし、もうひとつはシュリヴィジャヤ絡みで、10世紀頃のチョーラ朝はマレー半島に拠点を持って、三仏斉チョーラの名で朝貢している。
紀元後の南インドでは、パッラヴァ朝(3世紀後半-897)がカンチープラムに王都を置き、チョーラ朝(846頃-1279)はタンジャヴールに王都が在った。
改めて地図を見ると、チェンナイから日帰りのルートで、カンチープラムと海辺のマハーバリプラムが在る。
南に150キロほどで、フランスが20世紀半ばまで領有したポンディシェリ。ここにはアリカメドゥというローマ金貨が出土する遺跡が発見されている。
更に170キロほど南下した位置がチョーラ朝の王都が在ったタンジャヴールになる。
ユーチューブで現在のチェンナイを見ると、近代化が進んでいる様子。地下鉄も出来ている。
なので、思い切って南インドに出かけることに決めた。
チェンナイ国際空港(スリーレターはマドラスのMAA)
キャセイの641便は午前1時着、入国はスムーズ。近代的な空港で、市内までプリペイドタクシーで850ルピー(約1500円)、23:00までならメトロが空港から中央駅まで走っている。
24年前のインドとは明らかに違う。と言うか、日本が変わっていないだけで、世界はどんどん変わっている。因みに昨2023年に、インドの人口は中国を抜いて世界一になったそうな。
空港行きのブルーラインで聖トマスの丘(St. Thomas Mount)の傍のAlandur(ここはふたつのメトロが交差している)へ。
昼なので駅の近くの食堂へ。駅の周りに何もなさそうだったが、少し高架に沿って歩いたところに。
このマイラポール地区は、紀元後2世紀のプトレマイオスの地図でマイラファルと示され、紀元前後から港が在ったと見られている。その後アラブ商人も、マルコポーロも訪れている。
1523年にポルトガルが占領し「ミリアポールのサントメ」副王領として、途中オランダに取られた時期(1662-1687)を挾んで、1749年にイギリス東インド会社がマドラス管区に編入するまで続いた。
つまり、この地域ではマイラポールが2000年ぐらい前から港で、ローマ人、アラブ人がやって来ていたということ。
伝承では、聖トマスの丘で殉教した聖者の遺体を、当時の信徒がこの場所に葬ったとされている。
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