2025年1月4日土曜日

インドのチェンナイ | h-mori2020のブログ

インドのチェンナイ | h-mori2020のブログ

インドのチェンナイ

二度目のインドである。前回は2000年の9月、24年前。ボンベイ(ムンバイ)からバンガロール、プネーを訪れた。当時のタクシーは1950年代型の小さい車体で、ホワイトリボンタイヤだった。SUZUKIの車が出始めたところで、軽四輪トラックは1990年代型になっていた。

そんな記憶なので、インドというのにちょっと躊躇したが、今回、紀元前後のローマからインド南部にはローマ世界の船乗りと商人が往来していたし、もうひとつはシュリヴィジャヤ絡みで、10世紀頃のチョーラ朝はマレー半島に拠点を持って、三仏斉チョーラの名で朝貢している。

紀元後の南インドでは、パッラヴァ朝(3世紀後半-897)がカンチープラムに王都を置き、チョーラ朝(846頃-1279)はタンジャヴールに王都が在った。

改めて地図を見ると、チェンナイから日帰りのルートで、カンチープラムと海辺のマハーバリプラムが在る。

南に150キロほどで、フランスが20世紀半ばまで領有したポンディシェリ。ここにはアリカメドゥというローマ金貨が出土する遺跡が発見されている。

更に170キロほど南下した位置がチョーラ朝の王都が在ったタンジャヴールになる。

ユーチューブで現在のチェンナイを見ると、近代化が進んでいる様子。地下鉄も出来ている。

なので、思い切って南インドに出かけることに決めた。

チェンナイ国際空港(スリーレターはマドラスのMAA)

キャセイの641便は午前1時着、入国はスムーズ。近代的な空港で、市内までプリペイドタクシーで850ルピー(約1500円)、23:00までならメトロが空港から中央駅まで走っている。

24年前のインドとは明らかに違う。と言うか、日本が変わっていないだけで、世界はどんどん変わっている。因みに昨2023年に、インドの人口は中国を抜いて世界一になったそうな。

ホテルはイギリス時代の建物が建つあたりにした。

メトロ中央駅の入り口

メトロ中央駅

途中から地上線になる。車両はフランスのアルストム。

空港行きのブルーラインで聖トマスの丘(St. Thomas Mount)の傍のAlandur(ここはふたつのメトロが交差している)へ。

昼なので駅の近くの食堂へ。駅の周りに何もなさそうだったが、少し高架に沿って歩いたところに。

昼に入った食堂

昼の定番のミール(バナナの葉の上にライスと添え物が置かれ、グレーヴィをライスにかける、おかわり無限)。

オートリキシャ(タイならトゥクトゥク)で丘の上に。このあたりは軍隊の教育施設が在る。

1523年に創建したという聖堂

聖堂内部

この丘で十二使徒の聖トマスがAD72年に殉教したとされる。祭壇の奥に聖遺物。

南西方向にチェンナイ国際空港が望める、空港には近い場所。

一度中央駅に戻って、海沿いのマイラポール地区に建つ聖トマス大聖堂(ポルトガルが最初に建てたのでサントメと呼ばれる)へ。

現在の建物は19世紀のもの

このマイラポール地区は、紀元後2世紀のプトレマイオスの地図でマイラファルと示され、紀元前後から港が在ったと見られている。その後アラブ商人も、マルコポーロも訪れている。

1523年にポルトガルが占領し「ミリアポールのサントメ」副王領として、途中オランダに取られた時期(1662-1687)を挾んで、1749年にイギリス東インド会社がマドラス管区に編入するまで続いた。

つまり、この地域ではマイラポールが2000年ぐらい前から港で、ローマ人、アラブ人がやって来ていたということ。

大聖堂の祭壇下の位置に聖トマスの遺骸

伝承では、聖トマスの丘で殉教した聖者の遺体を、当時の信徒がこの場所に葬ったとされている。

聖トマス大聖堂内部

0 件のコメント:

コメントを投稿

映画「鹿の国」 ー諏訪大社の祭礼を追ったドキュメンタリー!さんによるXでのポスト

    映画「鹿の国」 ー諏訪大社の祭礼を追ったドキュメンタリー! ⁦‪@shikanokuni_vf‬⁩ 映画 #鹿の国 、公開迫る!短編映像も要チェック! ご興味持っていただけたら、是非リツイートしてくださいね🦌🌸 pic.x.com/sFXO5dvdyW   2024...