死海文書には何が書かれているのか、キリスト教との関連は
イエス・キリストが生きていた時代のユダヤ人の写本、1946年に発見
1946年に発見された死海文書は、写本に関する近代最大の発見と言われている。ヨルダン川西岸、死海に近いクムランという地域にある11の洞窟から、現時点で900巻前後の写本が見つかっており、断片の総数は10万枚に上る。紀元前3世紀から紀元1世紀にかけてのもので、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の宗派の信徒たちによって書き写されたと考えられている。
死海文書には、エステル記を除くヘブライ語聖書のすべての写本が含まれている。いずれも、ユダヤ教の信仰にとってきわめて重要な文書だ。また、キリスト教がユダヤ教から派生したことを考えれば、キリスト教の誕生について紐解く鍵とも言えるかもしれない。
とはいえ、死海文書はイエスについて一切言及していない。そもそも、イエスが布教を始めたのは、死海文書のほとんどの内容が書かれたあとだ。では、死海文書と初期のキリスト教には、どのようなつながりがあるのだろうか。(参考記事:「謎に包まれたイエス・キリストの最期の日々 写真と画像16点」)
旧約聖書の裏付け
死海文書が発見される前、最古のヘブライ語聖書の写本は紀元10世紀のものだった。実際には、当時、「聖書」というものは存在しなかった。さまざまなユダヤ教の宗派が、聖典と言われるものをゆるやかに集めていたに過ぎなかった。
死海文書が示すのは、紀元前1世紀には、こういったさまざまな写本がヘブライ語の正典の一部になっていたことだ。死海文書のなかには、現在のヘブライ語聖書とまったく同じものがあり、したがってそこには聖書の文章がある。
古代には当然コピー機はなく、それらは手作業で念入りに書き写されたものだ。ほとんどの内容は、ほかの言語に翻訳された聖書と一致しており、伝えている内容には一貫性がある。(参考記事:「死海文書の新たな断片を発見、「恐怖の洞窟」で」)
イエスの時代のユダヤ教文化を知る手がかり
死海文書が発見されたおかげで、紀元1世紀のイスラエルの文化と歴史が明らかになり、イエスが生きていた世界のことがわかってきた。
約900巻のうち、700ほどは、共同体の規則、軍隊の編成や戦略、そして日々の祈りなど、聖書には含まれない文章だ。たとえば、ユダヤ人共同体で行われていた沐浴の儀式について書かれているものがある。これは初期キリスト教に現れた洗礼(洗礼者ヨハネによるものなど)の役割を理解するうえで役立つ。(参考記事:「死海文書を解読、ユダヤ祭事の記述」)
また、死海文書は、これを書いたと考えられるクムランの共同体に特化したことだけでなく、古代ユダヤ人のさまざまな信仰や慣習についても教えてくれる。学者たちのなかには、死海文書は、第一次ユダヤ戦争(紀元66〜73年) でローマの侵攻を受けるまえに運び出されたエルサレムの図書館の蔵書だと主張する人もいる。(参考記事:「死海文書、羊皮紙のDNA分析に成功、解読の新たな鍵に」)
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死海文書とは何か、誰が何のために書き残した書物なのか、どのような変遷を経て奇跡的発見に至ったのかを、豊富な資料と精密な歴史地図によって解説 〔全国学校図書館協議会選定図書〕
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