2025年1月14日火曜日

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(2)

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(2)

善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(2)

前回をお読みでない方は
善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(1)」を見てから戻ってきて下さいませ。
さて「粟嶋史」によりますと
「浮島八幡宮」は地図の下部川島橋を渡ったところ「宮ノ島八幡宮」が「それ」ですので、この場所にあった筈です。
では、実際に善入寺島に行ってみますと
行かれた事のある方はご存知だと思いますが、元社地であった場所はこのように厳重に柵とワイヤーで囲まれ、入る事ができなくなっています。
(ここは「戎社」のあった辺り)

その中でも、先ほどの地図の「宮ノ島八幡宮」のところにはこのような赤い鳥居が残されています。

無論、このようにコンクリートの柵とワイヤー、深い竹林で中の様子をうかがう事はできません。

 

が鳥居より数十m東の道路沿いにこのような石碑が建てられておりました。

ここより南つまり上の写真の奥70メートルに「宮ノ島八幡宮」があったのです。


辺りを歩き回って探したところ下写真のように一箇所、柵と竹薮が切れている場所がありました。

切れていると言っても、相当竹薮を潜らなければ先には進めません。

竹薮が切れたところが池、ここから先は崖になっているので進めませんが、写真右側が社地跡です。

無論、禁足地であろうと思われますので、詳しくは書きませんが、下の写真下部に見える池の下(南側)が「そこ」になります。

そして、「阿府志」によれば、そこから北方六十七歩の位置に「極楽壙(ごくらくこう)」があったということなのです。
あるいは「川島町史」によれば「ここ」より北西400mの竹林の中とも書かれておりますが「ここ」より北西400mは下写真の近辺であり竹林や穴の気配もありませんでした。
ならば、やはりこの池の周辺のどこかにあったと考えるのが妥当ではないかと考えるのです。

もう一回(多分)続く。

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