桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しおひ)にけらし鶴鳴き渡る
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)
(巻3 271)
〈訳〉桜田の方へ鶴が鳴いて飛んでいく。年魚市潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴いて飛んでいく。年魚市潟は名古屋市熱田区,南区の当時海岸であった一帯。県名「愛知」の由来となった。
年魚市潟
20巻4500余首からなる日本最古の歌集『万葉集』が,どのような経緯で,いつごろ,誰の手によって編編されたかには諸説ある。内容の多様性や形式の不統一性から,時を異にし複数の人間の手を経て現存の形になったと考えられるが,8世紀中(奈良時代)には大伴家持が深く関わってその原形といえるものができあがったらしい。短歌,長歌,旋頭歌,仏足石歌(ぶっそくせっか)などの多様な歌体からなること,作者として天皇,貴族から庶民にいたるまでのあらゆる階層が含まれていること,三河の国以東の民謡と思われる東歌(あずまうた)がまとまった数で収録されていることなど,後世の歌集には見ることのできない特色がある。
愛知はかつて都と東国の接点に位置し,その交通の要路であった関係上,伊勢湾・三河湾沿岸に万葉集ゆかりの地が散在している。名古屋市南部や知多郡,三河の豊川市,田原市などが歌に詠(よ)み込まれており,作者も都からの旅人をはじめ,流人や未詳の住人など変化に富み,素朴な民謡風の歌も含まれている。
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