神武天皇は古代ヘブライと関わりがあった?! 縄文から続く飛騨・位山の謎
・岐阜県の飛騨に残る両面宿儺(すくな)伝説
最近、岐阜県の飛騨が好きで何度も訪れています。飛騨で有名人と言えば両面宿儺(りょうめんすくな)。両面宿儺は5世紀に実在した人物で、正史ではヤマト王権に従わず滅ぼされた悪役ですが、地元の飛騨では武勇に優れ、神祭の司祭者で農耕の指導者として、今も慕われています。
両面宿儺(すくな)が歴史に初めて現れたのは、今から約2000年前の初代の神武天皇。神武天皇が飛騨の位山に登った際、両面宿儺があらわれ、神武天皇に王位を授けた。その後、神武天皇が王位を授かった山を「位山」と呼ぶようになった、との言い伝えが残っています。
位山は、飛騨一之宮の水無神社の奥社であり、御神体。私も数年前、位山に登山しました。その際のことはこちらに書いています。もしお時間があったら読んでみてくださいね。
日本の古代史を語るのに欠かせないのが古事記。奈良時代に作られた古事記では「神武天皇」が初代の天皇として書かれています。そして朝廷は古事記作成のため、飛騨の稗田阿礼(ひえだあれい)という人物を呼び寄せ、この人物が語る古代史をルーツに、古事記を作ったとされています。そのため、飛騨の伝承はただの言い伝えではなく、何か縄文を知るルーツが残っているようです。
飛騨の伝承では、神武天皇に王位を授けたとされる両面宿儺は今から約2000年前の人物。しかし、正史に登場する両面宿儺は5世紀の人物。つまり約2000年前と、1500年前(5世紀)の両方の時代に、宿儺(スクナ)と呼ばれる人物がいたということになります。これはどういうことでしょうか?
そこから察するに両面宿儺と呼ばれる人物は、飛騨に何人がいた。恐らく、神武天皇に王位を授けた両面宿儺が初代で、そこから何世紀も、両面宿儺と呼ばれるものは、役職?のようなもので、飛騨ではそれが何代か続いた。
そして最後の両面宿儺が5世紀の人物で、ヤマト王権に滅ぼされたということとなります。それでは一体、スクナ(宿儺)とはどのような人物でしょうか?
飛騨の伝承や古代史を調べてもわからなかったので、ふと、ヘブライ語で調べることにしました。
最近縄文を調べていると、シュメール文明や、ヘブライとのつながりが登場しています。これまでヘブライは大変そうで避けていましたが、今回、思い切って調べることにしました。
・神武天皇と両面宿儺は、古代ヘブライとつながりがあった?
ヘブライ語とは古代、ヘブライ人が話していた言語。古代、ヘブライの人たは、中近東のイスラエル付近に住んでいたと言います。ヘブライ人は、ユダヤ人。日本では、縄文中期や後期にかけて、ヘブライから日本への渡来が活発だったようです。
神武天皇のお名前の由来は諸説あります。飛騨の伝承では、神武天皇は「サヌ」という名前の王子。ですが通説では、神武天皇は「イワレヒコ」というお名前が有力です。
ヘブライ語では「イワレ」は「イスラエル(ユダヤ)人」。「ビコ」は「最初の子」。つまり神武天皇のお名前が「イワレヒコ」だったとしたら、それは、ヘブライ語で、一番最初に生まれた「長子」、あるいは「長男」をさすようです。
次に両面宿儺(りょうめんすくな)をヘブライ語で調べてみましたがわかりません。ただ宿儺(すくな)に近いヘブライ語はソケネ(sokhenet)という単語。ソケネ⇒スクネ⇒スクナになった可能性があるます。
そして「ソケネ」はヘブライ語で、管理者、エージェント、使いの者をさすとも?! つまり「ソケネ⇒スクナ」は、その土地を管理するような、領主をさしているのかも・・。
下記のサイトでは、両面宿儺の「スクナ」という漢字は、「神が依りつく地域に住む人々を統治する」という意味だと書かれていました。興味深かったです。
上記のサイトに書かれている通り、もし両面宿儺の「スクナ」という漢字が、「神が依りつく地域に住む人々を統治する」という意味だとしたら、両面宿儺が神武天皇に王位を授けた理由もうなづける気がします。
古代、日本の国名は「ヤマト」でした。縄文直系の言語であるアイヌ語。そのアイヌ語で、"ヤ"は接頭語、"マト"は讃称で、高貴を意味する"ムチ"や祥瑞を意味する"ミツ"等と同根の語。
ヤマトは、古語で、日本が「高貴な国」であることをさしていました。
そして約2000年前、イワレヒコという人物が、高貴な国であるヤマト(日本)の王になろうとします。そしてさきほどのヘブライ語説をとると?両面宿儺と呼ばれる、「神が依りつく地域に住む人々を統治する」人物が、このイワレヒコを神武天皇として、ヤマトの王位を授けたということになります。そしてこれが古事記の伝承のもとになったのかも?!
ただ古事記にはいくつか矛盾があり、本当のことはわかりません。
そして約2000年前、宿儺による神武天皇への王位継承を授けたと言われている場所が、飛騨の位山です。
・神武天皇はいつの人物?2000年前??それとも2700年前???(←日本書記説)
さらにもう一つ。古事記では神武天皇は約2000年前の人物。ですが日本書記では、神武天皇は紀元前7世紀のの人物。つまり、日本書記説を取ると、神武天皇は今から2700年前の人物となります。
つまり日本書記では、古事記より700年ほど古い時代に、神武天皇が存在したことになります。
wikiで調べたところ、神武天皇の即位は紀元前660年(紀元前7世紀)で、日本書記の2700年前の人物となっていました。
だいぶ前になりますが、私たちが知っている神武天皇は、神武天皇以後、数代ほど後の大王だと聞いたことがあります。その時はどういうことか、わかりませんでした。
ですが、古事記では神武天皇は、紀元後76年の人物。なので、日本書記と古事記での神武天皇の年表は、実に700年のタイムラグがあります
紀元前7世紀の日本書記説が、本当の神武天皇なのか?それとも、紀元後の76年の古事記説が、本物の神武天皇なのか?謎は深まります。
考古学では、神武天皇複数人説もあり、いまだ決着つかず、どちらが本当かわかりません。
・縄文から、日本の王位は、位山と関係がある?!
伝承によれば、飛騨の位山で、両面宿儺は、神武天皇に王位を授けました。
その後、位山のイチイの木でできた笏(しゃく)は、奈良時代の天智天皇に贈られたと正史に残っています。位山のイチイの木で笏をつくることは、(位山を御神体とする)水無神社によって行われ、新しい天皇が即位する度、飛騨の位山のイチイの木の笏は、天皇に送られていたと言います。令和天皇が即位された際も、この位山のイチイの木からできた笏がおくられました。
また飛騨の水無神社は、第二次大戦終戦間際、空襲や戦後の混乱を避けるため、熱田神宮の神器、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)の疎開先に選ばれます。
これを決断されたのは、先々代の昭和天皇で、水無神社には、一時期、草薙の剣こと、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が預けられたそうです。
位山が御神体で奥宮である、飛騨一之宮の水無神社が、天叢雲剣の疎開先に選ばれた理由は一体何だったのか?
またこのことから、天皇家と飛騨の水無神社の並ならぬ関係が伺えます。
実は位山は縄文と深い関わりがあります。天照大神のモデルとなったアマテルがイザナミから生まれた際、この位山のイチイの木でできた笏を使って、アマテルを包んでいた砲衣を切り裂いた伝承が残っています。
いわば、太古の昔から重要な場所であった位山。それは現在も霊山として信仰されています。
そして位山のイチイの木から彫られた笏は、縄文のアマテル神から続く、日本の王位(帝位)の象徴を果たしているのではないか?
位山にはもう一つ、約2000年前に、両面宿儺が現れ、神武天皇の王位を授けたとの伝承も残っています。縄文とヘブライ・・。その両方が、飛騨の位山と関係しています。
ちなみに、位山のイチイの木は、漢字で「一位」。
「ヤマト(日本)」という高貴な国を治める資格を、位山の一位(イチイ)の木の笏を持つことにより、帝位の継承という形を取っている、という風にとらえることができるかもしれません。
まとめると神代から霊山とされる位山。それは縄文時代、アマテル神誕生の際、位山の笏を使って、砲衣を切り裂いた逸話から始まります。そして位山には、今から約2000年前、位山に両面宿儺(スクナ)という人物が登場しました。
スクナはヘブライ語で、「神が依りつく地域に住む人々を統治する」を意味する言葉。恐らく飛騨という、古代の重要な場所を、スクナは統治していたのかもしれません。
そしてこのスクナが、ヤマトの王位を授けたのが「イワレヒコ」と呼ばれる人物。このイワレヒコは神武天皇のお名前とされ、こちらは、ヘブライ語で、「ユダヤ(ヘブライ)人の最初の子供)」という意味になります。
そしてそのどちらも、飛騨の位山が舞台です。
その後も、位山のイチイの木で彫られた笏が、新しく天皇が即位する度に贈られていきます。そうすることで、日本の王位は、位山から始まった、縄文からの、何らかの王位の継承を引き継いだということになったのかもしれません。そしてそれは、両面宿儺が5世紀にヤマト王権に滅ぼされた後も、現代まで続いている、ということになります。
「位山」は古代からの霊山。巨石群がつらなり、古代の祭祀の跡が見られます。
・飛騨と石川県に残る、ヘブライとのつながり
また飛騨のお隣の石川県には、古代、モーゼが渡来した伝説も残っています。旧約聖書の登場する有名な預言者、モーゼ。モーゼもヘブライ人です。石川県にはモーゼのお墓もあるそうです。
本当にモーゼが、日本に来ていたかどうかはわかりません。ただそういった伝承が残っているということは、古代、何らかのヘブライ人が日本にやってきた可能性は高いです。もしかしたら縄文後期、飛騨と石川県は、ヘブライと縁の深い場所だったのかも?!
少し話は変わりますが、日本の出雲「イヅモ/イツモ」 はヘブライ語で、「最先端、最果て、最高、極度」を意味するとか?!
ほかにも日本語の「サムライ」に似たヘブライ語に「シャムライ」があり、これは「守る人」という意味するそうです。
日本語にはヘブライ語の3000を超える似た単語があり、一つずつ見ていくと、確かにヘブライ語と日本語は深い関わりがあることがわかります。
ちなみに飛騨には何かあると思います。位山も、隠された謎がまだあるのかもしれません。
縄文を調べていると、ヘブライとのつながりが色々登場し、ユダヤはたしかに古代日本のルーツだと感じることがあります。でも縄文はヘブライでなく、超古代の日本に根付いたもの。これからまた少しずつ縄文を調べていきたいです。
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