2024年10月17日木曜日

「八雲立つ出雲」の信仰祈願 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

「八雲立つ出雲」の信仰祈願 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」

神の雲が立つ

(初めて)神の屋根が大きく覆い始める

神が屋根を作る

その神の屋根を


イヅモ、イツモיצומוitsumo最先端、最果て、最高、極度

https://www.historyjp.com/dictionary/

 
 
slowslow2772
⁦‪@slowslow2772‬⁩
‎「出雲」「イヅモ」は、ヘブライ語で「先頭」「最先端」
‎יצומו(itsumo、イツモ) の発音が「出雲」とほぼ同一
‎…
‎「神が立ち上がり、先に行く。神が立つ壁 私は救いに乾く 神が立つ壁の神の声 神が立つ壁」

‎「八雲立つ」の歌は、元来ヘブライ語で書かた?
‎⁦‪historyjp.com/article/538/‬⁩
 
2024/10/18 2:21
 
 

続く「出雲」「イヅモ」は、ヘブライ語で「先頭」「最先端」を意味するיצומו(itsumo、イツモ) の発音が「出雲」とほぼ同一であることから、それが語源となった可能性があります。その「イツモ」には最先端の意味があることから「出」があてられ、続く「モ」には「雲」の漢字があてられたと想定できます。


「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」


「神が立ち上がり、先に行く。神が立つ壁 私は救いに乾く 神が立つ壁の神の声 神が立つ壁」

「ヤクムタツェイツモ・ヤエガキ・ツマゴェルメニ・ヤエガキツコル・ソノヤエガキヲ」

「八雲立つ」の歌は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語が当てられたのではないでしょうか。その内容は、人々の先頭に立って現れる神を称え、救い主として出現することを待ち望むという信仰の告白とも考えられます。そして神は立ち上がり、大きくなって壁のような存在として人々を守り、そこから語り告げ、雲のような存在にも捉えられたが故、日本語では「雲」の字が当てられたと想定されます。


参考:

《  こういう次第で、その湏佐之男命は宮殿を造るべき所を、出雲国にお求めになった。そして湏賀という所にお行きになって、「この所に来て、我が心はすがすがしい」とおっしゃって、その地に宮殿を造ってお住みになった。それでその地を今、湏賀という。この大神が、初め湏賀宮をお造りになった時、その地から雲が立ち騰った。そこで御歌をお作りになった。その歌にいう、  

(一)(雲が盛んに湧き上がり 八雲立つ)出雲の地に 幾重にも垣を築き 妻を籠らせに 垣を重ね作る その八重もの垣よ  

 垣をめぐらした宮殿ができると、彼の足名椎神を召しておっしゃるには、「おまえは我が宮の執事に任命する」と告げた。また命名して、稲田宮主湏賀之八耳神とお名付けになった。

。。。

故是を以ち其の速湏佐之男命、宮を造作るべき地を出雲国に求ぎたまふ。尓して湏賀18の地に到り坐して詔りたまはく、「吾此地に来、我が御心すがすがし19」とのりたまひて、其地に宮を作り坐す。故其地は今に湏賀と云ふ。の大神、初め湏賀の宮を作らしし時に、其地より雲立ち騰る。尓して御歌作りたまふ。其の歌に曰く、   

八雲立つ 出雲八重垣   妻籠みに 八重垣作る   その八重垣を20 (歌謡番号一)    

 是に其の足名鈇神21を喚して告言りたまはく、「汝は我が宮の首22に任けむ」とのりたまふ。また名を負ほせて稲田宮主湏賀之八耳神と号けたまふ。》


八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

 
この「須賀の宮」の地は、名西郡神山町広野の「須賀山」。
 
f:id:awa-otoko:20150117235159j:plain
神山町の広野富士こと須賀山)
 
この地には「須賀山」のほかに「須賀」、「須賀口」などの地名が残っています。「須賀山」は地元では広野富士と呼ばれいる美しい形をした独立山塊なのです。
 
そのことから「須佐之男命」が鮎喰川下流から上る過程で「櫛名田比売」と名田河で出会い、さらに上流に進み、鬼籠野で「八岐大蛇」を退治し、「天返し」に還って「櫛名田比売」を娶り、すぐ正面の須賀山に登って須賀須賀(すがすが)しい気持ちになって、宮を造り歌をうたったことになるのです。

須賀の宮(須佐之男命と櫛名田比売と八岐大蛇) - awa-otoko’s blog

https://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/01/18/001000

2021/12/26 -「八重=ヤーヘー」とはヘブライ語で神を意味します。八重山列島に入った渡来の民は、久高島を経由して沖縄本島へと入ってきました。もしかすると、この ...

2023/12/11 -八重山の「ヤエ」はヘブライ語で神を意味することから、八重山とは「神の山」の意となります。よって八重山諸島とは、「神の山が連なる島々」という意味に ...

沖縄の那覇(ナハ)はヘブライ語で休息を表す。 理由6 沖縄は天が高いこと ... 八重山八重島、八重垣、八重岩など八重(ヤエ)を使った地名があちこちにみ ...

2017/3/27 -又、八重山諸島の八重は、ヘブライ語のヤハウェ(神の島)。那覇は、ナハ(安住の地)に由来すると云われています。 そして、ニライカナイは、ヘブライ語 ...




イスラエル遺跡



淡路島ユダヤ人渡来伝説

27年、淡路島古茂江(コモエ)海岸、洲本市小路谷(オロダニ)にある旅館「四州園」(現ホテルニュー淡路別邸 淡路夢千景)内の小磯といわれる景勝地の海岸でイスラエル人の遺跡と思われるものが発掘され当時の神戸新聞にも「日本人にもユダヤの血?淡路で遺跡発見」と大きく報じられている。淡路には他にも、諭鶴羽山を中心に同様の遺跡が多数発見されている。
淡路島には。油谷(ユダニ)、古茂江(コモエ)、小路谷(オロダニ)、由良(ユラ)、諭鶴羽(ユズルハ)、といったヘブライ語を想起させるような地名が多く存在し、日本人とユダヤ人の祖先が同じとする日ユ同祖論の舞台となってきた。諭鶴羽山の諭鶴羽神社、先山の千光寺、沼島、洲本市由良、古茂江、南あわじ市灘油谷などがユダヤ人ゆかりの場所といわれている。


http://amanakuni.net/kazu/shipira15.html


 淡路島には22カ所古代ユダヤ人の塚が発見されています。「古茂江(こもえ)」という所には明らかにユダヤの古代印の刻まれた石棺があります。こもえという地名はユダヤのヘブライ語で「秘の上の菰(こも)」という意味になり、菰とは聖なるものの覆いということになります。戦後、ユダヤ教の大司教T・ローゼン師が来島し、発掘調査にも加わり、ユダヤの石棺であることを確認しています。石棺の中からは青玉石が発掘され、さらには自然の岩を利用し火によって彫像された女陰が発見されています。つまり聖なる秘部を覆う菰が「こもえ」という地名の語源になっているわけです。


https://www.historyjp.com/article/538/

「八雲立つ出雲」の信仰祈願

ヘブライ語で読み解く和歌から浮かびあがる意外な真相!

「八雲立つ出雲」の不思議

「八雲立つ 出雲」(ヤツメサスイツモ) は、古事記の中でも最初に記載されている歌であり、それが日本最古の和歌とも言われてきた所以です。その歌詞は、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」と綴られています。古事記によれば、スサノオノミコトとクシナダヒメが新居を求めた際に、雲が立ち上がるのを見て、スサノオがこの歌を詠んだと伝承されています。

この歌の趣旨は、スサノオが出雲の地に宮を建てた際、幾重にも重なった八重に湧き出る雲が立ち上がっていたことから、その流れに沿って八重垣と呼ばれる垣を作り、二人を囲いつつ、妻クシナダヒメを守り、出雲の地においてスサノオは妻と共に住まわれた、と解釈するのが通説です。しかしながら、歌詞の中には難しい表現も含まれていることから、簡単には結論が出ません

例えば、歌の中では3回も繰り返して「八重垣」が用いられているだけでなく、「八雲」という言葉から歌が始まっていることから、この短い句の中だけで「八」の文字が4回も使われています。そこまで「八」という文字を強調するには、何かしら理由があるはずです。また、歌の中には「妻籠め」や「八重垣」など、日本語で読んでも不明瞭な意味の言葉が含まれています。雲の垣を表現するのに何故、「八重(ヤエ)」という言葉が使われたのかなど、日本語では理解が困難です。よって、それらの解釈においてもさまざまな見解があるようです

一見して日本語では意味が不可解であっても、日本語の発音のままヘブライ語で解釈してみると、意外にも最初から最後まで読み通すことができるだけでなく、言葉の意味合いにおいても何ら矛盾なく、作者のメッセ―ジをくみ取ることができます。果たしてヘブライ語で読む歌の意味とは、いかなるものなのでしょうか

「八」は「神」を象徴する言葉

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」の和歌をヘブライ語で読むにあたり、まず大切なポイントは、「八」「ヤ」を「神」と理解することです。「ヤ」という言葉は、ヘブライ語で神を意味する「ヤ―ウェー」の頭文字であり、イスラエル人にとっていつの日も、「ヤ」は神を意味する言葉なのです。

それ故、「ヤ」が繰り返し4回も使われているということは、歌のテーマに関わるだけに、極めて重要です。しかも、そのうち3回は、「八重」「ヤエ」という正に、ヘブライ語の神の名「ヤ―ウェー」そのものが、「ヤエ」と歌われているのです。「八重」と「八」を「神」と理解することにより、この歌の趣旨が明確になってきます。

「八雲立つ」の意味

次に、「八雲立つ」という歌詞に注目です。日本語では八つの雲が立ち上がるようなイメージの言葉に捉えることができます。しかしながらヘブライ語では、「神が立ち上がり、出てくる」というさらに具体的な意味の言葉として解釈できます。

「ヤ」は「神」、そして「クモ」「雲」の発音は、ヘブライ語で「立ち上がる」を意味するקום(kum、クム)とほぼ同じであることから、それが語源と考えられます。すると「ヤクム」は「神が立ち上がる」の意味となります。そして「ヤクム」が多少訛り、「八雲」の漢字があてられたと想定できます。

次の「立つ」は、「出てくる」「出てきて」を意味するתאצא(tatze、テツェ) が語源になっていると推測されます。その後半2文字、צא (tza、ツァ)は「出る」「現れる」を意味することから、「タツェ」は日本語では「出てくる」と解釈できます。そして「ヤクム」と「タツェ」が合わさって「ヤクムタツェ」となり、「神が立ち上がり出てくる」という意味の言葉になったと考えられます。その「ヤクムタツェ」が多少訛り、「八雲立つ」という文字が当てられたのではないでしょうか。

「ヤクムタツェ」「八雲立つ」の言葉の意味は、表面上の日本語では、八つの雲が立ち上がることを意味しますが、言葉の背後に潜むヘブライ語では、「神が立ち上がって出てくる!」という祈りの言葉として解釈できます。その意味合いはわかりやすく、言葉ひとつひとつの内容をより細かく理解できるだけでなく、続く言葉との繋がりも明確であることから、ヘブライ語の歌詞が語源となり、それに日本語が当てられたという順番で創作された歌と推測されます。

「出雲」に象徴される最先端の地

続く「出雲」「イヅモ」は、ヘブライ語で「先頭」「最先端」を意味するיצומו(itsumo、イツモ) の発音が「出雲」とほぼ同一であることから、それが語源となった可能性があります。その「イツモ」には最先端の意味があることから「出」があてられ、続く「モ」には「雲」の漢字があてられたと想定できます。

その後の「モ」に「雲」があてられた理由は一見不透明です。何故なら、「モ」と表現できる漢字は複数あるからです。「モ」に「雲」をあてて「出雲」とすることにより、前段の「八雲」に続き、繰り返し「出雲」と、「雲」の漢字が繰り返され、「雲」が強調されていることになります。つまり、「ヤクム」の「クム」に「雲」を当てた経緯は、「クム」と「クモ」の発音が酷似していたことだけでなく、何かしら「雲」にこだわる意図があったと考えられます。

「モ」に「雲」を当てた理由は、もしかすると最先端に立つ「イツモ」の神が「雲の神」のような存在であったからかもしれません。それが「出雲」と表記された理由ではないでしょうか。つまり「八雲立つ」の神とは、「立ち上がり出てくる」だけでなく、群集の最先端を行く雲のような存在だったのです。それ故、「最先端」を意味する「イツモ」という言葉が用いられ、「出雲」の漢字が当てられたのです。

「八雲立つ出雲」の語源は、ヘブライ語の「ヤクムタツェ・イツモ」であり、「神よ、立ち上がり先頭へ出てきて!」という意味の言葉であった可能性が見えてきました。そして「神」とは「雲」のような存在であったことから、「八雲立つ出雲」のように、「雲」の文字が連続して使われたと推測されます。よって、「イツモ」「出雲」という言葉は、神が雲のように現れた後、先頭に立って導かれていく神の姿を象徴するだけでなく、出エジプトの時代、神がイスラエルの民を日夜、雲で導いたという伝承を彷彿させる言葉としても理解できるのです。

古代、遠いアジアの大陸から東の島々となる日本列島の新天地に到達した渡来者は、列島を見出した後、船団で巡り回る途中、日本海側の最北端のエリアとなる出雲に着岸したと推測されます。そこは、「雲」のように民を導かれる神が示された最初の聖地であったことから、最先端という意味も込めて「出雲」の国と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

「八重垣」とは「神が立つ壁」

「八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」の一句も、同様に日本語とヘブライ語、2つの言語で読むことができます。「八重垣」をヘブライ語で読むと、まず、「ヤエ」という言葉が際立ちます。何故なら「ヤエ」という発音は、ヘブライ語で神を指す名称だからです。そして「ガ」は、「上がる」「増える」を意味する動詞のגאה(gaah、ガ) が語源と考えられます。この「ガ」という言葉には「誇り」「立派」という意味もあります。

その「ガ」に「壁」を意味するקיר(kir、キー)を合わせると、「誇り高き壁」「立派な壁」を意味する「ガキー」という言葉になります。よって、「ヤエ」と「ガキ―」を合わせて「ヤエガキー」とすると、「神の誇り高き壁」の意味となります。それが「垣根」のような存在に例えられたことにより、「八重垣」という漢字が当てられたと推測できるのです。

「ガキ」という言葉は、ヘブライ語でもうひとつの解釈ができます。ヘブライ語では「嘆く」を意味するבכי(bekhiy、ベキ) という言葉があります。「ベキ」の発音は、「ガキ」に似ています。「嘆きの壁」と呼ばれているエルサレム城壁の名称にも使われている言葉です。すると「ヤエガキー」には、単に「神の誇り高き壁」の意味だけでなく、人々の嘆きを象徴するエルサレム神殿の「嘆きの壁」としてのニュアンスも含まれているのかもれません。

「八重垣」とは神の姿を匂わす立派な壁であり、その雄大な姿は雲のように例えられたことでしょう。そして時には、「嘆きの壁」に象徴されるような神聖な壁の意味も込められていたのかもしれません。「八重垣」を神に纏わる壁と想定することにより、「八雲立つ八重垣」の歌詞には、神への篤い信仰心が潜んでいた可能性が見えてきます。

「妻籠めに」は祈りの言葉!

「妻籠めに」もヘブライ語で読むことができます。「ツマ」はヘブライ語で「大きくなる」「出現する」を意味する צומח(tsomeakh、ツォメッ) が語源と考えられます。次の「ゴメニ」は、「救い」「救い主」を意味するגואל(goel、ゴェル) にמני(meni、メニ) の語尾を足した、「私の救い主」の意味をもつ「ゴェルメニ」という言葉が語源と考えられます。これらの言葉を合わせると、「ツマ・ゴェルメニ」となり、日本語の「妻籠めに」に酷似した発音となります。

すると「妻籠めに」の意味はヘブライ語で「私の救い主が出現する」となります。その言葉は正に、「八重垣」の意味を後押ししているようです。ヤーウェ神の誇り高き壁が、私の救い主として出現することを指していると考えることにより、一連の歌詞の意味が繋がります

また、代替案として「ツマゴメニ」をヘブライ語で、צומא גו מני(tsuma go meni、ツマゴメニ)と読むこともできます。「ツマ」を「のどが乾く」を意味するצומא (tzuma、ツマ) と想定することにより、「ツマゴメニ」という言葉には、神の救いを切望するあまりに「私は渇く」、つまり信仰の思いに魂いが渇き救いを求める、という思いとしても解釈できます。

「八重垣作る」の背景に潜む「雲の柱」

その祈りの理由が、次の「八重垣作る」という句に秘められています。「作る」は、「岩」のצור(tsur、ツ) と、「声」の קול(khol、コル) という2つのヘブライ語が合わさった言葉で、「岩の声」を意味します。発音も「ツコル」となり、「作る」とほぼ同じです。

「岩」を意味する「ツ」という言葉は、「神」の意味でも用いられているヘブライ語であることにも注目です。「岩なる神」という言葉のとおり、イスラエル人にとって、「ツ」「岩」は「神」なのです。また、「ツ」には「創造する」「作る」という意味もあります。よって「岩の声」は「神の声」という意味に捉えることもでき、神聖なる神の声が聞こえてくるというニュアンスも込められているかもしれません。

すると「八重垣作る」という言葉は、「神の誇り高き壁」に結び付く「神の声」というテーマに紐付けて理解することができます。神が立ち上げた壁から「神の声」が聞こえてくるようなイメージです。それはもしかすると、出エジプト記に記載されている「雲の柱」を暗黙の内に指していたのかもしれません。


《13:

21 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。 22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。

33:

9 モーセがその天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。こうして主はモーセと語られた。 10 雲の柱が天幕の入り口に立つのを見ると、民はみな立ち上がって、それぞれ自分の天幕の入り口で伏し拝んだ。 11 主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。  12 さて、モーセは主に言った。「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身が、『わたしは、あなたを090名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われました。》


何故なら、「雲の柱」は壁のような存在であり、その雲の中から救いの神が現れ、モーセを通じてイスラエルの民に語りかけたことが聖書に記されているからです。歌の中で3度も「八重垣」という言葉が繰り返され、しかも歌が「八雲」、「神が立ち上がる」というヘブライ語で始まっていることからしても、「ツマゴェルメニ、ヤエガキツコル」「妻籠めに八重垣作る」の背景には「雲の柱」が存在すると想定しても不思議ではないようです。

旧約聖書のテーマに繋がる和歌の真相

「八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠めに八重垣作る その八重垣を」。この著名な和歌は、元来ヘブライ語で書かれた歌であった可能性が見えてきました。「八雲」「ヤクム」とはヘブライ語で、神が立ち上がることを意味することから、この歌の主人公は「神」であることがわかります。そして歌の趣旨は、神への信仰に結び付いていたことを理解することにより、最初から終わりまで一貫して、神を讃える歌として、読み通すことができます。その歌の意味は、以下のとおりになります。

「神が立ち上がり、先に行く。神が立つ壁 私は救いに乾く 神が立つ壁の神の声 神が立つ壁」

「ヤクムタツェイツモ・ヤエガキ・ツマゴェルメニ・ヤエガキツコル・ソノヤエガキヲ」

「八雲立つ」の歌は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語が当てられたのではないでしょうか。その内容は、人々の先頭に立って現れる神を称え、救い主として出現することを待ち望むという信仰の告白とも考えられます。そして神は立ち上がり、大きくなって壁のような存在として人々を守り、そこから語り告げ、雲のような存在にも捉えられたが故、日本語では「雲」の字が当てられたと想定されます。

およそ3200年前、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、指導者モーセによってカナンの地へと導かれました。広大な荒野をさまよい歩く民の先頭には、常に神の雲が出現したことが、旧約聖書出エジプト記 に書かれています。「神の雲」は導きの象徴であり、その「動く」雲を見上げながら、群集は見知らぬ荒野を旅し続けたのです。そして神は天空に現れた雲の中から人々に語られたのです。

出エジプト記に綴られているこれらの不思議な出来事と、イスラエルが体験した数々の奇跡は、天岩戸神話に関連している可能性があります。神が立ち上がり、出てくるというモチーフは、岩間から立ち上がって出てくることを願い求められた天照大神の天岩戸神話にも通じる内容だからです。そして天照大神は雲隠れしたかのごとく岩の陰に潜んでいたことから、その声はまさに、雲の中からの語りかける声のように聞こえたのではないでしょうか。

「八雲立つ」の和歌は、ヘブライ語と日本語を見事にブレンドし、神への信仰を歌うために創作された、古代文学の結晶と言えます。

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