日ユ同祖論(者)という言葉は今現在、実際にはかなり広範囲な人々を含んだ意味で使われています。
ケンペルやマクラウドは日本の上流階級の顔を見て異なる人種が合流していると考えました。
遺伝子研究を背景に日ユ同祖論を日ユ同化論と言い換えるべきという人もいますが(田中英道、久保有政)、ケンペルやマクラウドによれば、日ユは同化していない、下層階級と上流階級としてはっきり分化しているとも読み取れます。
川守田英二は自分はユダ王国を想定しているので失われた十支族は関係ないと述べています。
佐伯好郎は最終的に景教から弓月へ研究対象を移行しました。
唯一小谷部全一郎は字義通り日ユ同祖論者と呼べますが彼にしてもアイヌに日本の同祖を求めても得られなかった確信を偶然ユダヤに見つけたわけで、その過程を検証すべきです。
日ユ同祖論者と言えない人を日ユ同祖論者としてひとまとめにして、なおかつ日ユ同祖論という言葉を演繹的に使用して否定するのは一種の藁人形論法です。
広い範囲で使われている日ユ同祖論という言葉を規制すると、結局誰も残らなくなります。
大事なことは、第一に日本は多民族国家であり、第二にシルクロード沿いに古代イスラエルの影響下にあるコミュニティが多数発見されていることです。
特に四川省の羌族に関しては更なる研究が必要でしょう。
世界経済におけるユダヤ人の功績は信用経済の波及にあり、一部財閥の悪行にあるわけではありません。またユダヤ教徒は今回の戦争に反対する人が多い。
自分の考えは特に秦氏を考慮しなければ日本の建国は今の形ではあり得ず、その意味で日ユは同祖というものです。
もちろん秦氏がユダヤ系と証明できるならの話ですが、否定も出来ない話です。
重要なのは現実に秦氏は政治の中心から排除されその功績に対して一種の背乗りが行われたということです。ここに自分自身が日ユ同祖論には根拠がないと脳天気に言えない理由があります。
2:18:09
ところでヘブル語では天幕をオーヘルと呼ぶそうです。PCで発音させるとオヘン、またはオヘと聞こえます。麻植という姓、地名を連想させます。
天幕は幕屋とは別の言葉になります。天幕は失われた十支族のガド族の紋章になります。一般に幕屋と言われますがガド族の紋章とされるのは幕屋(内装)ではなく天上のある天幕(外装)です。
0 件のコメント:
コメントを投稿