徐福ゆかりの船かも 串本で歴史検証ロマン展
和歌山県串本町串本の町文化センター1階展示ホールで「笠嶋遺跡から徐福、高塚の森につながる歴史検証ロマン」と題した展示が始まっている。4月5日まで、無料。南紀串本笠嶋遺跡・徐福・高塚の森研究部会の木村正治部会長(78)=串本町串本=が展示した。展示品の目玉は、町内にある笠嶋遺跡から出土した構造船と同じ特徴を持つ京都若狭地方で使用されていた艫太船(ともぶとせん)=全長7・7メートル、幅1・2メートル=で、丹後郷土資料館(京都府宮津市)から借りてきたという。その他、パネルや関連本などを並べている。
笠嶋は潮岬が離島だった古代に入り江だった場所で、串本高校(現串本古座高校)の運動場拡張工事の際に見つかった。弥生後期(約1800年前)の土器、建築用材類、動物の骨などが出土し、同町串本の無量寺応挙芦雪館に展示されている。
笠嶋遺跡から出土した構造船の一部は、復元すると全長約8メートル。水押材がないのが特徴で、この型の船は、日本の他の場所では見つかっていないという。その後の調査で、京都府伊根町亀島で使用されていた艫太船に似ていることが分かり、資料館に保存されていることを知った木村さんが、今回、展示用に借りてきた。
木村さんは、今から2200年前、秦の始皇帝の命令で、不老長寿の薬を求めて日本に渡来したという伝説がある徐福の一行が、構造船の技術を串本の住民に伝えたのではないかと推測している。
4日に、串本ライオンズクラブのメンバーを招いて構造船などについて解説した木村さんは「町民にもあまり知られていない貴重な串本の遺跡を多くの人に知ってもらいたい。将来的には構造船を復元し、近くの海で乗るなどして観光に生かすことができれば」と話した。
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