秦島麻呂
秦 島麻呂(はた の しままろ)は、奈良時代の貴族。氏姓は秦下のち太秦公、太秦公忌寸。官位は従四位下・長門守。
経歴
聖武朝の天平12年(740年)平城京から恭仁宮に遷都されると、天平14年(742年)造宮録として恭仁京の垣を築造したことを賞されて、正八位下から十三階昇進となる従四位下に叙せられて、太秦公姓の賜姓を受けると共に、銭100貫・絁100疋・布200端・綿200屯を与えられた[1]。のち、造宮輔に昇格し、天平17年(745年)恭仁宮に派遣されて掃除を行っている[2]。
天平19年(747年)3月に長門守に任ぜられるが、同年6月4日卒去。最終官位は長門国守従四位下。
官歴
注記のないものは『続日本紀』による。
- 時期不詳:正八位下
- 天平10年(738年) 日付不詳:見東史生[3]
- 時期不詳:造宮録
- 天平14年(742年) 8月5日:従四位下。秦下から太秦公に改姓。賜銭100貫・絁100疋・布200端・綿200屯(恭仁大宮垣築造労)
- 天平17年(745年) 5月3日:見造宮輔
- 時期不詳:公姓から忌寸姓に改姓
- 天平19年(747年) 3月10日:長門守。6月4日:卒去(長門国守従四位下)
系譜
- 父:不詳
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 女子:藤原小黒麻呂室[4]
脚注
- 『続日本紀』天平14年8月5日条
- 『続日本紀』天平17年5月3日条
- 『大日本古文書』(編年文書)24巻84頁
- 『公卿補任』
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