2024年10月26日土曜日

秦島麻呂 - Wikipedia

秦島麻呂 - Wikipedia

秦島麻呂

秦 島麻呂(はた の しままろ)は、奈良時代貴族氏姓は秦下のち太秦、太秦公忌寸官位従四位下長門守

経歴

聖武朝天平12年(740年平城京から恭仁宮遷都されると、天平14年(742年造宮録として恭仁京の垣を築造したことを賞されて、正八位下から十三階昇進となる従四位下に叙せられて、太秦公姓の賜姓を受けると共に、100貫・100疋・200端・綿200屯を与えられた[1]。のち、造宮輔に昇格し、天平17年(745年)恭仁宮に派遣されて掃除を行っている[2]

天平19年(747年)3月に長門守に任ぜられるが、同年6月4日卒去。最終官位は長門国守従四位下。

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

脚注

  1. 『続日本紀』天平14年8月5日条
  2. 『続日本紀』天平17年5月3日条
  3. 『大日本古文書』(編年文書)24巻84頁
  4. 『公卿補任』

参考文献

0 件のコメント:

コメントを投稿

【熊野信仰をめぐる】祭祀遺跡の神倉神社と徐福上陸伝説|名取老女とみちのくを旅する過去と未来

【熊野信仰をめぐる】祭祀遺跡の神倉神社と徐福上陸伝説|名取老女とみちのくを旅する過去と未来 https://note.com/natoriuba/n/na0ba6a023b1c 【熊野信仰をめぐる】祭祀遺跡の神倉神社と徐福上陸伝説 2024年5月2...