守るべきもの、新たに創り出されるものが渾然一体となり、時間の経糸(たていと)を紡いでいく。[東京"真"宝島/東京都 八丈島]
Hachijo Island/Part.3 Interview
外国人旅行客も多数参加。ダイバーシティ溢れる島の祭り。
という威勢のいい掛け声とともに八丈太鼓が打ち鳴らされ、練り歩いていく面々。その顔ぶれは実に様々です。日焼けした漁師もいれば誘い合わせて参加した地元の高校生たち、さらには海外からの御一行まで。みな降りしきる雨の中、濡れるのも厭わず一心不乱に神輿を担いで目の前を通り過ぎます。
八丈島で毎年恒例の、『優婆夷宝明神社』秋の例祭。3日間開催される祭りのうち、神輿を担ぎ島の各地区を練り歩くのが初日の習わし。優婆夷宝明神社のある大賀郷(おおかごう)地区から神輿をトラックにのせて移動し、末吉(すえよし)、中之郷(なかのごう)、樫立(かしたて)、三根(みつね)と全5つの地区を巡り再び神社へと戻ってくるのです。
そして道路を練り歩く神輿を先導するトラックの荷台で、ひたすら打ち続けられるのが八丈太鼓。打ち手は自由で、誰でも参加できるといいます。今回は、なんと八丈太鼓ツアーで来日していた外国人の打ち手が大勢祭りに参加しており、太鼓を打つのはもちろん神輿も担ぎ、地元の方に混じって大健闘。ヤシの木を背景に様々な人種が入り乱れ、もはや何語ともつかなくなった掛け声が響き渡る空間……。それは人種の坩堝のごとき混沌であり、しかし同時に限りないエネルギーに満ちていました。祭りとは、日本の伝統文化とは? といった固定概念を吹き飛ばすそのパワー。ただみなが音を鳴らし続け、神輿を担ぎきる。そしてその人手を絶やさず、来る年も来る年も存続させていくという意志。それをごく自然に受け入れ歓待する島民の姿に、脈々と引き継がれてきた懐の深さ、柔軟性を感じずにはいられません。
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Hachijo Island/Part.3 Interview
消滅の危機にある八丈方言を、語り部として後世に伝えていく。
「手」ひとつとっても「てい」「てー」「ちー」「てぃー」「ちー」。大賀郷、樫立、中之郷、末吉、三根。この5つの地区で、かつて人々はそれぞれ別々の方言で話していたといいます。「島言葉」と呼ばれているこれらの方言、実は2009年にユネスコの消滅危機言語にリスト入りしてしまった希少な言語なのです。
この八丈方言の語り部として、「劇団かぶつ」で八丈方言を使った舞台を上演したり、保育園の子供たちに方言で絵本の読み聞かせを行ったりしているのが川上絢子さん。
「『大きなかぶ』とか、みんなが知ってる童話をね。子供たちはだまーって聞いてくれて。いつの間にか一つ二つ、島言葉を覚えてしゃべってくれますよ」
そう語る川上さんは三根生まれ、大賀郷育ち、中之郷に嫁いできたそうです。実際、嫁いできた当初は方言の違いに理解できない言葉もあったとか。
それほどまでに特色のある方言を、後世にきちんと語り継ごうと教育委員会が取り組んだのが「八丈・島ことば かるた」でした。2011年の初版は人口が最も多い三根の方言で作られましたが、それに対し反対の声が寄せられたといいます。「ある地域の言葉だけが正しいわけではない、地域によって異なる言葉をそれぞれ盛り込むべき」という意見を受けて、次の年には5つの地区全ての方言が書かれた改訂版が出版されたのです。
かくして島ことばかるたは島民の間で浸透していき、2012年から開始されたかるた大会は現在でも続いています。こちらの大会、初代優勝者はなんと川上さんでした。
川上さんを始め、島言葉を残していこうと積極的に活動をされている語り部の方々。言葉やイントネーションという、形に残せないものを伝える。そのために、自らの足で方言サミットなどの集まりや子供たちの元に出向き、自分たちの生の音声を届けていく。彼らの挑戦は、まだまだ続いていきます。
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みな同じように見えて、実はバラバラ。不揃いな石を一個ずつ重ねて作り上げられた美しい玉石垣。
戦国時代から島の中心部であったという大賀郷の大里地区。そこは、寸分の狂いもなくきれいに積み上げられた、玉石の石垣が数多く立ち並ぶ区域です。雨風をしのぐため、主に有力者が家屋の回りに巡らせたといわれている玉石垣。近所に住み、島内でも有名な園芸店「大興園」を営む菊池國仁さんも、代々引き継いできた自宅の玉石垣を守り、壊れた際にはその都度補修してきたといいます。
「世界中探しても、ここまでの玉石垣は珍しいのでは? 誇りに思ってるし、守っていきたい。」
そう語る菊池さん。玉石垣を維持するのには手間も労力もかかり、周りに若者も少なくなったなか作業できる人間が減ってきたそう。
かつて、島に流されてきた流人が労働として海から運んできたとの説もある玉石。現在では玉石垣が崩れたとしても、なかなか新しい石を調達することができず、残されたものを組み合わせて復元するしかないそうです。
「玉石は、あるものを全然加工しないで、合うところに合わせる。この石はここにはまるために生まれてきたんじゃないか、なんてみんなで話しながら積んでますね。」
正面から見ると、全く同じ寸法の石がぴっちり敷き詰められているように見える玉石垣。しかし、実は不揃いの形のものが土台として半分地面に埋まっていたり、裏側から見ればいかにバラバラの大きさの石が互いにうまく支え合っているかが分かるといいます。
「短い石は弱い。その石を周りの長い強い石が支えてあげる。どんな変な玉石でも使い道はあるし、置いてるうちになくてはならない石になる。人間社会と同じだね。」
親父の受け売りだけど、と照れくさそうに笑う菊池さん。父方のご先祖様は2〜300年ほど前、飛騨高山の百姓一揆を先導した咎(とが)で島に流されてきたのだといいます。当時、読み書きやそろばんができた流人は周りにそれを教えたりと、重宝される存在だったのだとか。いろんな形のもの同士、互いに支え合って。玉石のように積み上げてきた歴史の上に、菊池さんの今があります。
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生産のその先に。島唯一の染織元としての矜持。
「同じ着物は二度と作りません。街で同じものを着た人を見つけたら、嫌でしょう。」
そう快活に笑うのは、『黄八丈めゆ工房』の三代目である山下芙美子さん。中学生から機織りを始め、日々自然との暮らしのなかで思い浮かんだイメージをデザインに反映させているそう。
1917年、初代の山下めゆさんが祖父に染めを教わり創業した『黄八丈めゆ工房』。染色から機織りまで一貫した生産を行う、現在では島でただ一つの工房です。染色はご主人の山下誉氏、機織りは芙美子さん他4〜5人で担当しています。
八丈島の名前の由来にもなっている黄八丈。島で織り始めるようになったのがいつからなのかは定かではありませんが、江戸時代から明治の初めまで、年貢として内地へ納められていました。高級な絹糸を使い、鮮やかな黄をベースに樺と黒が混じる美しい色合いは当時から大人気。全て八丈島に自生する草木を用いる独自の染色法は今も変わらず継承されています。
『黄八丈めゆ工房』では、黄八丈の魅力を伝えたいとの想いから毎年、お気に入りの着物や黄八丈を着て銀ブラを楽しむ「黄八で銀座」というイベントを開催してきました。黄色、樺色、黒色の3色しかないにも関わらず、多彩で個性豊かなデザインの着物が一堂に会する様はまさに百花繚乱。銀座の街に大輪の花々が咲き乱れたようでした。
イベントは2019年、10回目となる開催で惜しまれつつも終了してしまいましたが、これからも黄八丈を守り伝えていくため、山下さんたちは新しい試みを提案していくことでしょう。連綿と紡がれてきた伝統を支えていきたい。ただその想いに突き動かされて……。
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Hachijo Island/Part.3 Interview
島での新しい生き方を体現する、若い世代の台頭。
今、末吉地区の秘かなブーム。それが『希望の村』で週末、不定期に開催される「ウィークエンドカフェ」です。いつ開催されるか分からない希少性、そして毎回趣向を凝らし、八丈島の食材を活かした感度の高いメニューが好評を博しじわじわと浸透。今ではすぐに満席になってしまうほどの人気カフェなのです。
30年ほど前、祖父と祖母が始めた宿泊施設『希望の村』で、丹下遥さんがカフェをやろうと思い立ったのは5年前のことでした。幼い頃は教員だった父に連れられ、各地を転々としてきた丹下さん。成人してからもずっと島の外で暮らしてきましたが「一番楽しい時を過ごした」という想いから帰島。元々介護士をしていましたが、今では宿の仕事を継いでいます。
「末吉には小学校の時、移住してきたんです。みんなフレンドリーで、島外からの人間も温かく受け入れてくれた。同級生にも、町を盛り上げようと島外から戻ってくる人が多いんですよ。」という丹下さん。ケーキ作りを担当する地元出身の藤井真代さんとともに昨年調理師免許を取得し、さらにウィークエンドカフェに力を入れていくとのこと。
メニューに使うのは、祖父と祖母が残してくれた畑で育てた野菜や、知り合った生産者から仕入れた食材。海外生活で得た料理の知識を活かし、島の食べ物を多彩なテイストに変身させ自分なりの表現ができるのが魅力といいます。
新メニュー開発の着想を得るためにも、毎年カフェの売上で藤井さんと海外を巡るという丹下さん。今後は雑貨を仕入れて、フリマも開催していきたいと語ります。
そんな彼女の生き方は、島の若者たちがこれからのライフスタイルを模索する上での一つの道標となるでしょう。
弛まず粛々と、伝統を守り続けようと奮闘する古い世代。
また、古きものを尊重しつつも、新たな形で明日へ繋げていこうとする若い世代。
根底に流れるのは、島への誇りと深い愛情、そして「よりよい島へ」という想い。その熱やベクトルが、まだ見ぬ新しい八丈島へと導いていってくれるに違いありません。
2「優婆夷宝明神社」 住所:東京都八丈島八丈町大賀郷660-1 電話:04996-2-1440
3「陣屋跡」 住所:東京都八丈島八丈町大賀郷
4「黄八丈めゆ工房」 住所:東京都八丈島八丈町中之郷2542 電話:04996-7-0411
5「希望の村」 住所:東京都八丈島八丈町末吉2788 電話:04996-8-0523
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