2024年10月23日水曜日

東京都の離島、八丈島の島民が守り続ける島のカタチ。 | ONESTORY

東京都の離島、八丈島の島民が守り続ける島のカタチ。 | ONESTORY

守るべきもの、新たに創り出されるものが渾然一体となり、時間の経糸(たていと)を紡いでいく。[東京"真"宝島/東京都 八丈島]

優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)例祭で神輿を担ぐ人々。八丈太鼓を荷台にのせたトラックに先導され、通りを練り歩く。

優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)例祭で神輿を担ぐ人々。八丈太鼓を荷台にのせたトラックに先導され、通りを練り歩く。

Hachijo Island/Part.3 Interview

外国人旅行客も多数参加。ダイバーシティ溢れる島の祭り。

「せいやっ、せいやっ!」
という威勢のいい掛け声とともに八丈太鼓が打ち鳴らされ、練り歩いていく面々。その顔ぶれは実に様々です。日焼けした漁師もいれば誘い合わせて参加した地元の高校生たち、さらには海外からの御一行まで。みな降りしきる雨の中、濡れるのも厭わず一心不乱に神輿を担いで目の前を通り過ぎます。

八丈島で毎年恒例の、『優婆夷宝明神社』秋の例祭。3日間開催される祭りのうち、神輿を担ぎ島の各地区を練り歩くのが初日の習わし。優婆夷宝明神社のある大賀郷(おおかごう)地区から神輿をトラックにのせて移動し、末吉(すえよし)、中之郷(なかのごう)、樫立(かしたて)、三根(みつね)と全5つの地区を巡り再び神社へと戻ってくるのです。

そして道路を練り歩く神輿を先導するトラックの荷台で、ひたすら打ち続けられるのが八丈太鼓。打ち手は自由で、誰でも参加できるといいます。今回は、なんと八丈太鼓ツアーで来日していた外国人の打ち手が大勢祭りに参加しており、太鼓を打つのはもちろん神輿も担ぎ、地元の方に混じって大健闘。ヤシの木を背景に様々な人種が入り乱れ、もはや何語ともつかなくなった掛け声が響き渡る空間……。それは人種の坩堝のごとき混沌であり、しかし同時に限りないエネルギーに満ちていました。祭りとは、日本の伝統文化とは? といった固定概念を吹き飛ばすそのパワー。ただみなが音を鳴らし続け、神輿を担ぎきる。そしてその人手を絶やさず、来る年も来る年も存続させていくという意志。それをごく自然に受け入れ歓待する島民の姿に、脈々と引き継がれてきた懐の深さ、柔軟性を感じずにはいられません。

【関連記事】東京"真"宝島/見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。
上拍子と下拍子に分かれ、左右から打つのが特徴の八丈太鼓。この日は八丈太鼓ツアーに参加して来日した外国人の打ち手が祭りに参加していた。

上拍子と下拍子に分かれ、左右から打つのが特徴の八丈太鼓。この日は八丈太鼓ツアーに参加して来日した外国人の打ち手が祭りに参加していた。

八丈太鼓はトラックの荷台にのせられ、終始打ち続けられる。それを追う形で神輿が後に続く。

八丈太鼓はトラックの荷台にのせられ、終始打ち続けられる。それを追う形で神輿が後に続く。

神輿は早朝から夕方まで、ところどころトラックで移動しながら島の各所を回る。早朝には少なかった担ぎ手も、時間が経つにつれ徐々に増えていった。

神輿は早朝から夕方まで、ところどころトラックで移動しながら島の各所を回る。早朝には少なかった担ぎ手も、時間が経つにつれ徐々に増えていった。

『民芸あき』で途中休憩。あいにくの雨でもみな一生懸命に神輿を担ぎ続けたが、ややコースを短縮することに。

『民芸あき』で途中休憩。あいにくの雨でもみな一生懸命に神輿を担ぎ続けたが、ややコースを短縮することに。

神輿の担ぎ手のために、朝早くから飲み物や食べ物の準備をしていた店の方々や島の女性たち。子供たちは一目散にジュースやお菓子に手を伸ばしていた。

神輿の担ぎ手のために、朝早くから飲み物や食べ物の準備をしていた店の方々や島の女性たち。子供たちは一目散にジュースやお菓子に手を伸ばしていた。

至るところで一休みしながら、神輿は5つの地区を回っていく。必ず用意されているのが焼酎。お酒のお供に、またおやつ代わりにとくさやも振る舞われた。

至るところで一休みしながら、神輿は5つの地区を回っていく。必ず用意されているのが焼酎。お酒のお供に、またおやつ代わりにとくさやも振る舞われた。

神輿を収納した後の優婆夷宝明神社。翌日には夜店が並び、島民による演芸大会や、みなが心待ちにしているという抽選会が行われるという。

神輿を収納した後の優婆夷宝明神社。翌日には夜店が並び、島民による演芸大会や、みなが心待ちにしているという抽選会が行われるという。

東京"真"宝島

Hachijo Island/Part.3 Interview

消滅の危機にある八丈方言を、語り部として後世に伝えていく。

「手」ひとつとっても「てい」「てー」「ちー」「てぃー」「ちー」。大賀郷、樫立、中之郷、末吉、三根。この5つの地区で、かつて人々はそれぞれ別々の方言で話していたといいます。「島言葉」と呼ばれているこれらの方言、実は2009年にユネスコの消滅危機言語にリスト入りしてしまった希少な言語なのです。

この八丈方言の語り部として、「劇団かぶつ」で八丈方言を使った舞台を上演したり、保育園の子供たちに方言で絵本の読み聞かせを行ったりしているのが川上絢子さん。

「『大きなかぶ』とか、みんなが知ってる童話をね。子供たちはだまーって聞いてくれて。いつの間にか一つ二つ、島言葉を覚えてしゃべってくれますよ」

そう語る川上さんは三根生まれ、大賀郷育ち、中之郷に嫁いできたそうです。実際、嫁いできた当初は方言の違いに理解できない言葉もあったとか。

それほどまでに特色のある方言を、後世にきちんと語り継ごうと教育委員会が取り組んだのが「八丈・島ことば かるた」でした。2011年の初版は人口が最も多い三根の方言で作られましたが、それに対し反対の声が寄せられたといいます。「ある地域の言葉だけが正しいわけではない、地域によって異なる言葉をそれぞれ盛り込むべき」という意見を受けて、次の年には5つの地区全ての方言が書かれた改訂版が出版されたのです。

かくして島ことばかるたは島民の間で浸透していき、2012年から開始されたかるた大会は現在でも続いています。こちらの大会、初代優勝者はなんと川上さんでした。
川上さんを始め、島言葉を残していこうと積極的に活動をされている語り部の方々。言葉やイントネーションという、形に残せないものを伝える。そのために、自らの足で方言サミットなどの集まりや子供たちの元に出向き、自分たちの生の音声を届けていく。彼らの挑戦は、まだまだ続いていきます。

八丈島ふるさと観光大使も務める川上絢子さん。小学校の教員だったキャリアを活かし、保育園や学校で八丈方言での読み聞かせを行う。

八丈島ふるさと観光大使も務める川上絢子さん。小学校の教員だったキャリアを活かし、保育園や学校で八丈方言での読み聞かせを行う。

2012年に改訂された「八丈・島ことばかるた」。一枚の札に大賀郷、樫立、中之郷、末吉、三根、全ての方言が書かれている。

2012年に改訂された「八丈・島ことばかるた」。一枚の札に大賀郷、樫立、中之郷、末吉、三根、全ての方言が書かれている。

東京"真"宝島

Hachijo Island/Part.3 Interview

みな同じように見えて、実はバラバラ。不揃いな石を一個ずつ重ねて作り上げられた美しい玉石垣。

戦国時代から島の中心部であったという大賀郷の大里地区。そこは、寸分の狂いもなくきれいに積み上げられた、玉石の石垣が数多く立ち並ぶ区域です。雨風をしのぐため、主に有力者が家屋の回りに巡らせたといわれている玉石垣。近所に住み、島内でも有名な園芸店「大興園」を営む菊池國仁さんも、代々引き継いできた自宅の玉石垣を守り、壊れた際にはその都度補修してきたといいます。

「世界中探しても、ここまでの玉石垣は珍しいのでは? 誇りに思ってるし、守っていきたい。」

そう語る菊池さん。玉石垣を維持するのには手間も労力もかかり、周りに若者も少なくなったなか作業できる人間が減ってきたそう。
かつて、島に流されてきた流人が労働として海から運んできたとの説もある玉石。現在では玉石垣が崩れたとしても、なかなか新しい石を調達することができず、残されたものを組み合わせて復元するしかないそうです。

「玉石は、あるものを全然加工しないで、合うところに合わせる。この石はここにはまるために生まれてきたんじゃないか、なんてみんなで話しながら積んでますね。」

正面から見ると、全く同じ寸法の石がぴっちり敷き詰められているように見える玉石垣。しかし、実は不揃いの形のものが土台として半分地面に埋まっていたり、裏側から見ればいかにバラバラの大きさの石が互いにうまく支え合っているかが分かるといいます。

「短い石は弱い。その石を周りの長い強い石が支えてあげる。どんな変な玉石でも使い道はあるし、置いてるうちになくてはならない石になる。人間社会と同じだね。」

親父の受け売りだけど、と照れくさそうに笑う菊池さん。父方のご先祖様は2〜300年ほど前、飛騨高山の百姓一揆を先導した咎(とが)で島に流されてきたのだといいます。当時、読み書きやそろばんができた流人は周りにそれを教えたりと、重宝される存在だったのだとか。いろんな形のもの同士、互いに支え合って。玉石のように積み上げてきた歴史の上に、菊池さんの今があります。

大里地区の『陣屋跡』と呼ばれる一帯。江戸時代には島役所が置かれ、以来明治まで島の政治の中心地であったという。

大里地区の『陣屋跡』と呼ばれる一帯。江戸時代には島役所が置かれ、以来明治まで島の政治の中心地であったという。

『陣屋跡』の小高い場所からは、横間海岸と八丈小島が見渡せる。玉石はかつて横間海岸から拾い集めてきたとの説も。

『陣屋跡』の小高い場所からは、横間海岸と八丈小島が見渡せる。玉石はかつて横間海岸から拾い集めてきたとの説も。

表からだと一様に、同じ大きさに見える玉石。裏から見れば多種多様な石が、バランスを取るように積まれているのが分かるという。

表からだと一様に、同じ大きさに見える玉石。裏から見れば多種多様な石が、バランスを取るように積まれているのが分かるという。

東京"真"宝島

Hachijo Island/Part.3 Interview

生産のその先に。島唯一の染織元としての矜持。

「同じ着物は二度と作りません。街で同じものを着た人を見つけたら、嫌でしょう。」
そう快活に笑うのは、『黄八丈めゆ工房』の三代目である山下芙美子さん。中学生から機織りを始め、日々自然との暮らしのなかで思い浮かんだイメージをデザインに反映させているそう。
1917年、初代の山下めゆさんが祖父に染めを教わり創業した『黄八丈めゆ工房』。染色から機織りまで一貫した生産を行う、現在では島でただ一つの工房です。染色はご主人の山下誉氏、機織りは芙美子さん他4〜5人で担当しています。

八丈島の名前の由来にもなっている黄八丈。島で織り始めるようになったのがいつからなのかは定かではありませんが、江戸時代から明治の初めまで、年貢として内地へ納められていました。高級な絹糸を使い、鮮やかな黄をベースに樺と黒が混じる美しい色合いは当時から大人気。全て八丈島に自生する草木を用いる独自の染色法は今も変わらず継承されています。

『黄八丈めゆ工房』では、黄八丈の魅力を伝えたいとの想いから毎年、お気に入りの着物や黄八丈を着て銀ブラを楽しむ「黄八で銀座」というイベントを開催してきました。黄色、樺色、黒色の3色しかないにも関わらず、多彩で個性豊かなデザインの着物が一堂に会する様はまさに百花繚乱。銀座の街に大輪の花々が咲き乱れたようでした。
イベントは2019年、10回目となる開催で惜しまれつつも終了してしまいましたが、これからも黄八丈を守り伝えていくため、山下さんたちは新しい試みを提案していくことでしょう。連綿と紡がれてきた伝統を支えていきたい。ただその想いに突き動かされて……。

『黄八丈めゆ工房』では染色も行う。釜場では樺染めに使うタブの木を大釜で煮て、「フシ」と呼ばれる煮汁を作っていた。

『黄八丈めゆ工房』では染色も行う。釜場では樺染めに使うタブの木を大釜で煮て、「フシ」と呼ばれる煮汁を作っていた。

釜場で煮出した煮汁に糸を一晩漬けて、天日で乾燥させる作業を何回も繰り返していく。

釜場で煮出した煮汁に糸を一晩漬けて、天日で乾燥させる作業を何回も繰り返していく。

島に一台しかないという希少な地機(じばた)。全身で糸の動きをコントロールすることで、繊細な仕上がりになるのが魅力という。

島に一台しかないという希少な地機(じばた)。全身で糸の動きをコントロールすることで、繊細な仕上がりになるのが魅力という。

現在製織に使うのは、主に高機(たかはた)と呼ばれる手織り機。地機に比べ2倍以上の速さで織ることが可能。

現在製織に使うのは、主に高機(たかはた)と呼ばれる手織り機。地機に比べ2倍以上の速さで織ることが可能。

『黄八丈めゆ工房』では製作工程の見学を受け付けている他、黄八丈織物の小物などの販売も行う。

『黄八丈めゆ工房』では製作工程の見学を受け付けている他、黄八丈織物の小物などの販売も行う。

東京"真"宝島

Hachijo Island/Part.3 Interview

島での新しい生き方を体現する、若い世代の台頭。

今、末吉地区の秘かなブーム。それが『希望の村』で週末、不定期に開催される「ウィークエンドカフェ」です。いつ開催されるか分からない希少性、そして毎回趣向を凝らし、八丈島の食材を活かした感度の高いメニューが好評を博しじわじわと浸透。今ではすぐに満席になってしまうほどの人気カフェなのです。

30年ほど前、祖父と祖母が始めた宿泊施設『希望の村』で、丹下遥さんがカフェをやろうと思い立ったのは5年前のことでした。幼い頃は教員だった父に連れられ、各地を転々としてきた丹下さん。成人してからもずっと島の外で暮らしてきましたが「一番楽しい時を過ごした」という想いから帰島。元々介護士をしていましたが、今では宿の仕事を継いでいます。

「末吉には小学校の時、移住してきたんです。みんなフレンドリーで、島外からの人間も温かく受け入れてくれた。同級生にも、町を盛り上げようと島外から戻ってくる人が多いんですよ。」という丹下さん。ケーキ作りを担当する地元出身の藤井真代さんとともに昨年調理師免許を取得し、さらにウィークエンドカフェに力を入れていくとのこと。

メニューに使うのは、祖父と祖母が残してくれた畑で育てた野菜や、知り合った生産者から仕入れた食材。海外生活で得た料理の知識を活かし、島の食べ物を多彩なテイストに変身させ自分なりの表現ができるのが魅力といいます。

新メニュー開発の着想を得るためにも、毎年カフェの売上で藤井さんと海外を巡るという丹下さん。今後は雑貨を仕入れて、フリマも開催していきたいと語ります。
そんな彼女の生き方は、島の若者たちがこれからのライフスタイルを模索する上での一つの道標となるでしょう。

弛まず粛々と、伝統を守り続けようと奮闘する古い世代。
また、古きものを尊重しつつも、新たな形で明日へ繋げていこうとする若い世代。
根底に流れるのは、島への誇りと深い愛情、そして「よりよい島へ」という想い。その熱やベクトルが、まだ見ぬ新しい八丈島へと導いていってくれるに違いありません。

ウィークエンドカフェは『希望の村』の「憩の家」で開催。敷地内には他にも宿泊施設や、丹下さんの祖父が集めた本が並ぶ「文庫」と呼ばれる建物も。

ウィークエンドカフェは『希望の村』の「憩の家」で開催。敷地内には他にも宿泊施設や、丹下さんの祖父が集めた本が並ぶ「文庫」と呼ばれる建物も。

食材の調達から調理、ホールまで全て行う丹下さん。客は末吉地区の地元民が多いが、島外からの観光客も気兼ねなく入りやすいオープンな雰囲気。

食材の調達から調理、ホールまで全て行う丹下さん。客は末吉地区の地元民が多いが、島外からの観光客も気兼ねなく入りやすいオープンな雰囲気。

この日のメインは豚角煮のバオ。無農薬で育てたツボクサ、明日葉、グァバやパッションフルーツで作ったフレッシュなスムージーもヘルシーな一品。

この日のメインは豚角煮のバオ。無農薬で育てたツボクサ、明日葉、グァバやパッションフルーツで作ったフレッシュなスムージーもヘルシーな一品。

料理に使う明日葉は、丹下さんが庭で摘んできたもの。母のまりさんは薬草研究会のリーダーで、母娘ともに野草の知識に長ける。

料理に使う明日葉は、丹下さんが庭で摘んできたもの。母のまりさんは薬草研究会のリーダーで、母娘ともに野草の知識に長ける。

1「民芸あき」 住所:東京都八丈島八丈町三根1542 電話:04996-2-2093
2「優婆夷宝明神社」 住所:東京都八丈島八丈町大賀郷660-1 電話:04996-2-1440
3「陣屋跡」 住所:東京都八丈島八丈町大賀郷
4「黄八丈めゆ工房」 住所:東京都八丈島八丈町中之郷2542 電話:04996-7-0411
5「希望の村」 住所:東京都八丈島八丈町末吉2788 電話:04996-8-0523

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