2024年10月28日月曜日

万葉集第二歌 大和には 群山あれど とりよろふ これは大和の歌ではない 正木裕

万葉集第二歌 大和には 群山あれど とりよろふ これは大和の歌ではない 正木裕

これは大和の歌ではない

  正木 裕
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英文解説:万葉集第二歌

 この歌は万葉集の二番目の歌です。そして舒明天皇が作ったと言われています。しかし必ずしもその解釈が唯一であるとは限りません。

万葉集巻一の二 現在の解釈

高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇]
天皇登香具山望國之時御製歌
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者
國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者
 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

外字 A 扁左[忙]旁[可]

1)全体として大和飛鳥の光景ではない。

 最初に「とりよろふ」という言葉は、日本語で他の山より際(きわ)だっているという意味である。しかし大和の香久山は他の二つの山より少しも注意を引かない。飛鳥三山(大和三山)で一番目立たない。明らかに頂上からは展望のない低い山です。
 それに大和の飛鳥の香久山からは決して海は見えません。同様にカモメもほとんど飛鳥では見ることが出来ない。特に煙に到っては何の意味も持ちません。
 (香久山は一六二メートル、藤原京は七五メートル、海に面した二上山は海抜高度五一七メートルです。)
 それで、この歌の解釈は事実と違っている。

 

 二番目に、万葉仮名の二つの「大和」は、全く読めないことはないが、「大和」と読むことは難しい。
 最初の「大和」は「山常」と書いてある。しかしこんな「大和」は例がない。普通「常 とこ」は万葉仮名の読み方では「と」とは読まない。常識的には、後ろの「こ」を取る。しかし「やまこ」では意味を為さない。それで、もう一つの読み方には「常 つね」がある。後ろの「ね」を取れば、「山根 山嶺 やまね」となる。山根であれば、山根さんの名前や島根県があり、大変自然である。又そう読めば、この解釈は他の山よりきわだっていると理解できる。
 次に二番目の「大和」は「八間跡」と書いてあります。しかしこんな「大和」は例もない。「大和」と理解する感触もない。他方「八」は「や」と読める。この読み方は海辺を意味する「八間跡 浜跡 はまと」となる。
 以上二つとも「大和」とは読めない。この歌が大王舒明により大和で詠われた歌と考える理由はない。

万葉集巻一の二 第二歌は、九州別府で歌われた

2) この歌が大和で詠われた歌でないなら、別の視点を必要とします。この項目ではこの問題について述べる。

 一番目に大和の代わりに「秋津島」が焦点となります。古事記に「大倭豊秋津島」という形で存在します。古代において「大倭豊」は現在の九州大分県の一部です。秋津は別府湾を意味します。その形跡の一つが別府湾の入り口に存在する安岐町の存在です。「秋津島」は、海から見た「九州」島を意味します。

 次の焦点は、「天香具山」の存在です。別府湾は古代において、たとえば和名抄等により、天(安万 海部)と呼ばれる所として知られている。その形跡が北あるいは南海部郡の存在です。

 次の調査のねらいは別府において一番目立っている鶴見岳が「香具山」と呼ばれたかどうかを調べつくすことです。その痕跡の一つが、平野部と、山の中腹に存在する火男火売(ほのをほのめ)神社の火香具津神(火軻具土 ほのかぐつち)という火の神です。もう一つが神楽女(かぐらめ)湖です。どちらも神聖さを示す「かぐ」が語幹です。だから土蜘蛛人(つちぐもじん)が、海部人(あまじん)に支配される前に、鶴見岳を「香具山」と呼んでいたと考えることは十分可能です。香具山は縄文時代、土蜘蛛人に火山として崇拝された聖なる山です。

 実際、三代実録の記録に、867年の歴史的な鶴見岳の噴火が存在する。その大爆発では二〇〇〇メートル近くあったと思われる頂上が切り取られ、溶岩流が川に流れ魚が全滅した。火男火売神社の記録では、並んでいる由布岳より高かったと伝えられている。加えてこの山は、伊予風土記逸文でも何回も噴火を行っている有名な山です。
(鶴見岳は標高一三七五メートル、神楽女湖は六〇〇メートル、由布岳は一五八三メートルです。)

 比較して、大和の香久山は雨乞いの儀式が行われ尊敬される山として、「雨の香具山」と言われる。大和に天(安万 海部)と呼ばれる所は存在しない。絶対に飛鳥に火山はない。
 そのような比較を通して、この歌の二つの解釈の違いが明らかになった。それゆえ鶴見岳を「天香具山」と呼ぶことが出来ることは明らかである。

 3) 伝統的な解釈と比較すると、新しい解釈はもっとも効果的である。全ての情景はこの歌が別府で詠われたことを見守っている。

 一番目は、鶴見岳は他の山より目立っている。火山爆発が起こる前であるなら、きわだって高い山である。
 二番目に、別府では、温泉の煙がいつも登り立っている。特に冬には目立って良く見える。大分県別府は温泉で大変有名なところである。加えて冬にカモメはいつも海の近くで見ることが出来る。
 三番目に、天、登り立、 原、秋津など、この歌の各段階に別府の字地名が登場する。なかんづく、登り立という字地名の存在に私は、この歌が大和でなく別府で作られたと確信した。加えて山嶺、村山、国見、国原、海原、浜戸など一般地名および名前が並んでいる。

 最後に、これらの理由により、この歌の作者は海から別府に来た。温泉に入ったかも知れない。それで国見をしながら、峠に向かって行った。
 「登り立て」といわれる所は、各地にある一方が崖で見晴らしがよい字地名の一つです。

万葉集巻一の二 古田史学の会 更新の解釈

 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者
 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立龍 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者
山嶺には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 浜跡の国は

  外字 A 扁左[忙]旁[可]

  「登り立て」といわれる所は、各地にある一方が崖で見晴らしがよい字地名の一つです。

4)他の歌と同様この歌の解釈でも、次のことが私たちに明らかになった。

 1、歌で信用できるのは、歌そのものである。歌は第一史料、直接史料。

 2、注釈は第一史料ではない。その歌集を作ったときの編集した人の考え方がどうであったかを示す第二史料である。  

 私たちはこの歌が大王舒明(A.D 593-641)の時代に作られた歌と理解している。この歌が国見歌ならば、隋書に登場する阿毎多利思北孤(あま たりしほこ)です。

 このような解釈は、この歌に対して私たちに大きな理解をもたらした。

  (訳 横田幸男)

 直訳に成りましたが、誤解を避ける(?)ために、そのままにしました。


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slowslow2772さんによるXでのポスト 白馬寺

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