2024年10月28日月曜日

とりよろふ 天の香具山 | 古代文化研究所

とりよろふ 天の香具山 | 古代文化研究所

とりよろふ 天の香具山

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○前回、『万葉集が記録する大和三山(再掲)』を載せ、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されていることを紹介した。「万葉集」が載せるこれらの和歌を詳細に検証して行くと、なかなか面白いことが存在することに気付く。

○最初に問題にするのは、香具山の問題である。「万葉集」巻一に、次の和歌が存在する。

   天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌   天皇登香具山望国之時御製歌
  大和には   群山あれど           山常庭  村山有等
  とりよろふ  天の香具山           取与呂布 天乃香具山
  登り立ち   国見をすれば          騰立   国見乎為者
  国原は    煙り立ち立つ          国原波  煙立龍
  海原は    鷗立ち立つ           海原波  加万目立多都
  うまし国ぞ  秋津島             怜可国曾 蜻嶋  
  大和の国は                  八間跡能国者

○この和歌が案内する情景には、
  国原は    煙り立ち立つ          国原波  煙立龍
  海原は    鷗立ち立つ           海原波  加万目立多都
とあるから、誰が考えても海の見える風景であることは間違いない。しかし、題詞に拠れば、この和歌が詠われたのは奈良県橿原市に存在する香具山だと言う。橿原市から海は見えない。実に不思議な表現だと言うしかない。

●古来、このことについては、万葉学者先生によって、様々な説明がなされている。一例を挙げると、
  【「万葉集講義」山田孝雄:昭和三年初版:宝文館出版】
   ・海原ーさてこの海原とは何処ぞと考ふるに香山にてよませたまへるなれば、大和國内にして、し
  かも目前に見てよませたまへるものなれば、蓋し、埴安池をさして宣へるならむ。埴安池は香山の北
  麓にありし池にして、古は大なる池なりし由なるが、今はあせてなくなりにたれど、なほ池尻村又池
  内などいふ地名残れりといふ。(以下略)

●他に著名な万葉学者先生の次のような著作を全て検証してみたが、おおよそ、山田孝雄の「万葉集講義」と大差無い。誰もがあくまで、奈良県橿原市に存在する香具山での詠歌だと信じて止まない。
   據嵋鑈媾弦峙繊彁嚇長雄:昭和三年初版:宝文館出版】
  ◆據嵋鑈媾舷群髻徂霤塚患函Ь赦存淒初版:山海堂出版部】
  【「万葉集全釈」鴻巣盛廣:昭和十年初版:廣文堂書店】
  ぁ據嵋鑈媾乎躰瓠彗瀉久孝:昭和三十二年初版:中央公論社】
  ァ據嵋鑈媾源簔蹇彭擴以弧澄Ь赦存渊衆貲初版:筑摩書房】
  Α據嵋鑈媾護拊蹇廾貌G遏О豢絛絽淒(平成七年)初版:集英社】

●もちろん、「万葉集」には『見立て』と言う手法もあるから、それかとも受け取れないことは無いけれども、かなり無理がある。つまり、舒明天皇が香具山で詠った和歌が上記の和歌だと言う。

◎しかし、現実的には、上記の舒明天皇の和歌を奈良県橿原市に存在する香具山でのご詠歌だとすることには、相当無理がある。併せて、舒明天皇のご詠歌となっているけれども、当時のこういうご詠歌が必ずしも当人のご詠歌である必要性は、あまり重要な問題では無い気もする。

◎それは現代に於いても同様のことが言える。例えば、日本各地に弘法大師の伝承が幾らでも存在する。そのように有名人への仮託の作品は幾らでも考えられることである。少なくとも「万葉集」には、そういう作歌例は幾らでも見ることが出来る。

◎そういう際に、採用されるのは、作者のはっきりしない古くからの名歌であることが多い。そうすると、誰よりもその有名人作者の方がより作者らしくなるのだから不思議である。おそらく、ここの舒明天皇詠歌もそういうものなのではないか。

◎もともと、舒明天皇の作品でも無いし、詠歌の時代も場所も全く別のものであると考えると、この和歌がよく理解される。
  大和には   群山あれど           山常庭  村山有等
  とりよろふ  天の香具山           取与呂布 天乃香具山
と言うのだから、天の香具山は、特別の山であることが判る。しかし、奈良県橿原市に存在する香具山を訪れて見るとよく判るのだが、奈良県橿原市の香具山は、まるでそういう山では無い。

◎人にはそれぞれ、ものの見方がある。だから、私の個人的意見だと思われるかも知れない。しかし、
  大和には   群山あれど           山常庭  村山有等
  とりよろふ  天の香具山           取与呂布 天乃香具山
と詠う香具山は、いくら何でも1000探蘚靴旅甼饂海了海世蹐Αまさか、それが150辰らいの山であるとは、誰も想像しまい。奈良県橿原市に存在する香具山は標高152辰任△襦

◎また、
  大和には   群山あれど           山常庭  村山有等
  とりよろふ  天の香具山           取与呂布 天乃香具山
とあるけれども、標高152辰了海鮹がこういうふうに詠じるであろうか。「とりよろふ 天の香具山」とあるけれども、まるで何も揃っていない山が奈良県橿原市に存在する天の香具山なのである。

◎実際、大和三山へは何度も出掛け、これまで6回登り、そのことを確かめている。
  第一回  平成4年3月28日
  第二回  平成15年8月11日
  第三回  平成17年5月10日
  第四回  平成21年3月29日
  第五回  平成22年4月3日
  第六回  平成23年4月29日

◎加えて、決定的なのは、香具山が『天の香具山』だと言うことである。万葉学者先生は、このことについて、天から降って来たのが香具山だから、『天の香具山』だと説明なさる。それなら、畝傍山や耳成山はどうして降って来なかったのか。同じ大和三山ならおかしいではないか。そんな気がする。

◎香具山が『天の香具山』であるのは、別の意味だろう。それは『天橋立』で説明できる。『天橋立』には、しっかり『天』の文字が付してある。しかし、『天橋立』は、別に天から降って来たものでも無い。海の中に、まるで橋が架かっているかのように存在するのが『天橋立』である。つまり、『天』は天空の意味ではなく、海を意味する言葉であることが判る。

◎大和三山のうち、香具山だけが特別なのである。だから、『天』が付してある。それは香具山が海に存在する山の意だと言うことになる。それが畝傍山や耳成山と違う点である。

◎そういうものを、奈良県橿原市に存在する香具山で説明することは、誰にもできない。そんな誰にもできないことを平然と説明なさるのが万葉学者先生なのである。

◎香具山は奈良県橿原市に存在する。それは間違いの無いことである。しかし、和歌は別である。「万葉集」が載せる和歌は、必ずしも奈良県で詠われたものとは限らない。そういう古い和歌が「万葉集」には混在している。そういうふうに考えない限り、「万葉集」を読むことはできない。

◎そういうことを考えたのは40歳前後のことだから、今から27、8年も昔のことになる。それで最初にそれを確かめるために奈良県橿原市へ出掛けた。それが平成4年3月28日であった。

◎中央の万葉学では、いまだに、香具山が奈良県橿原市に存在すると信じて疑わない。確かに、奈良県橿原市に香具山は存在するけれども、あれはレプリカであって、真実の香具山では無い。真実の香具山は鹿児島県に存在する。そういうに理解するのが日向国の万葉学である。

◎どうして、そういうことが言えるのか。決定的な話を、次回したい。

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