2024年9月1日日曜日

Good News Collection: 鶴見警察署長、大川常吉さんのこと


https://web.archive.org/web/20060420003444/http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1750156.html

鶴見警察署長、大川常吉さんのこと


 鶴見にすんでいて自慢できることが三つある。そのひとつは満州園の餃子、どこの中華料理屋のものよりもここのはうまいと思っている。そして第二に鶴見は床屋が安い。   
一〇〇〇円の床屋ができる前から、一五〇〇円で散髪できる店が駅前に三つもあった。でもこのことは利用者の立場からいうといいことだが、働いている人の立場からいうと喜んでいいことかどうかはわからない。やすい労働力の上に成り立っていると思われるからだ。そう思いながらも毎回利用している。
 そして三つ目。前は「よね饅頭」といっていた。あの「お江戸日本橋」のうたの二番目にある「鶴と亀とのよね饅頭」のあれである。でも食べてもそれほど特徴あるものではない。

 最近、これに変わる素晴らしい話しを発見した。それは関東大震災の時の鶴見警察署長大川常吉(一八七七~一九四〇)という人である。この人は鶴見が誇りにできる人である。「よね饅頭」の比ではない。それでその人のことをここで紹介したい。

 私がこの人を知ったのは、学校で中学三年生とともに「在日韓国朝鮮人」のオモニ(婦人)の話を聞いた時である。
 講師となった「在日の」オモニは、「在日」であることを隠して日本姓を名のっていた自分が、ある時勇気を持って韓国姓を名のったという話をしてくれた。それがどのような反応を周りの人に生み出し、それにどう抗していったかという話はとても感動的であった。

 その話の中で大川常吉さんが紹介された。大正十二年の関東大震災の直後、「朝鮮人が井戸に毒をいれた」というデマが広がり、あちこちで朝鮮人に対する襲撃虐殺事件が起こったことはよく知られている。川崎から横浜にかけては朝鮮人が多くすんでいたので、その舞台となった。大川常吉さんはそのときの鶴見警察署長であった。

 鶴見警察署にはこのとき警察に保護を求めてきた朝鮮人が三百名ほどいたという。このことを知った民衆は「朝鮮人を出せ」と叫びながら警察署を取り囲んだ。その数は千人ほどという。そのうちに「朝鮮人に味方する警察などたたきつぶせ」と次第に暴徒化の気配を漂わせ始めた。
 もはやこれまでと覚悟を決めた大川署長は群衆の前に立ち、「よし、君らがそれまでこの大川を信頼せず、いうことを聞かないなら、もはや是非もない、朝鮮人を殺す前に先ずこの大川を殺せ」と叫んだ。身命をかけたこの大川署長の態度に猛り狂っていた群衆も威圧されてようやくなりを潜めた。
 群衆を前にして彼はこうも言ったという。「朝鮮人が毒を投入したという井戸水をもってこい。私が先に諸君の前で飲むから、もしも異常があれば朝鮮人を諸君に引き渡す。異常がなければ私に預けよ」

 戦後助けられた朝鮮人たちが大川さんの墓の前に感謝の碑を建てたというので、その墓のある潮田三丁目の東漸寺を訪ねてみた。
 
 故大川常吉氏の碑
 関東大震災当時、流言飛語により激昂した一部暴民が鶴見にすむ朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し、当時鶴見警察署長故大川常吉氏は、死を賭してその非を強く戒め、三〇〇余名の生命を救護したことは誠に美徳である故、私たちはここに故人の冥福を祈り、その徳を永久に讃揚する。
       一九五三年三月二一日 
           在日朝鮮統一民主戦線鶴見委員会

 日本人の朝鮮人に対する差別意識をこの時ほどあらわにしたことはないというこの事件の話は私たち日本人には聞きづらい話である。でもそういうときにも大川常吉氏のような日本人がいたという話は、崩れそうになる日本人としての誇りをかろうじて支えてくれる「福音」である。虐殺がなぜ起こったのかということとともにこの話はもっと知られていてよい話だと思う。聞くところによると、地元の小学校や中学校ではこの話は語り伝えられているし、「在日」の人たちの間ではよく知られているという。

 私は「倫理」の授業の時によくアウシュビッツや日本のアジアへの戦争責任や日本の開発援助の話をとりあげる。実態を知れば知るほど、人間としてのあるいは日本人としての誇りを失ってしまいそうになる。残念ながらそれは事実である。それは認めなければならない。しかし、それをいくら言葉強く告発したとしても救いようのない空しさを伴う。
 そういうとき、単にその事実を告発するだけでなく、そんな中にもほんの少数だったけれどもこういうすばらしい生き方をした日本人がいることを紹介しようと思っている。それは「福音」になるからだ。
たとえば、第二次世界大戦の時にリトアニアの総領事だった杉原千畝氏はユダヤ人を救出するために本国の命令に抗して六〇〇〇人のビザを発行した、と言う話はまさにそんな「福音」である。彼はロシア正教のクリスチャンであったという。

 この大川常吉氏のこともこういう日本人の誇りを取り戻す「福音」である。それで私はこの話を鶴見の三つの自慢できることに加えることにしたのである。まだまだこういう話は眠っているだろうと思う。それを発掘して鶴見の自慢できる話しをもっとたくさんに増やしていって、鶴見を「福音」のあふれる町にしたいものである。
 
Posted by mrgoodnews at 01:15  |Comments(0) |TrackBack(0) | 人、生き方、思想

0 件のコメント:

コメントを投稿

20240202『日本とユダヤの古代史&世界史』田中英道 第五章 | PlanetWork五番町 BLOG

20240202『日本とユダヤの古代史&世界史』田中英道 第五章 | PlanetWork五番町 BLOG p209 田中 ルネサンス美術は、メディチ家(ユダヤ人資本家)が教会に大金を出し、文化が生まれる。反対にユダヤ自身からは文化は生まれない。作家を助ける形。ユダヤ人の...