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白馬寺 (洛陽) - Wikipedia

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白馬寺 (洛陽)

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(2017年9月)

白馬寺(はくばじ、簡体字中国語: 白马寺拼音: Báimǎ Sì)は、後漢明帝の、仏教の中国伝来に関する感夢求法説話に基づいて、洛陽郊外に建立された仏教寺院

概要

迦葉摩騰竺法蘭の二人の僧が、白馬に乗り『四十二章経』という経典を携えて、都の洛陽を訪れたという説話に因んで、白馬寺と名づけられた。[1]

洛陽伽藍記』巻4によると、北魏時代には後漢の明帝が建立した寺として、洛陽城の城西、西陽門外3里の地点にあったと記される。北魏の頃には、寺に安置された経函が放光し、その経函に対する信仰があったことが記される。ただし、その経函中に収められた経典が『四十二章経』であるとは明記されていない。

文献で確認できる伝承上では中国最古の仏教寺院である。1961年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。

伽藍

  • 山門前の白馬

  • 天王殿

  • 大佛殿

  • 大雄殿

  • 接引殿内部

  • 清涼台

  • 斉雲塔

  • 羅漢

  • タイ廟

  • インド廟

脚注

  1. 釈氏稽古略(大正蔵49-766b)によれば、永平七年(AD.64)に明帝が大きな金人の夢を見て、そのことを群臣に諮ったところ、それが仏であるとわかり、西域に仏法を求めて使者を遣わし、迦葉摩騰と竺法蘭の二人を招請した。その際、二人は四十二章経と仏像を白馬に駄して訪れたことから、二人の為に寄進したその寺院の名を白馬寺としたとある。

関連項目

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