2024年9月6日金曜日

『2019秋、中国旅行記25(14/34):11月19日(2):洛陽(2):白馬寺(2):天王殿、線香立、大仏殿、大雄殿、東屋』河南省(中国)の旅行記・ブログ by 旅人のくまさんさん【フォートラベル】

『2019秋、中国旅行記25(14/34):11月19日(2):洛陽(2):白馬寺(2):天王殿、線香立、大仏殿、大雄殿、東屋』河南省(中国)の旅行記・ブログ by 旅人のくまさんさん【フォートラベル】

2019秋、中国旅行記25(14/34):11月19日(2):洛陽(2):白馬寺(2):天王殿、線香立、大仏殿、大雄殿、東屋

洛陽郊外の白馬寺の紹介です。文献で確認できる伝承上では、中国最古の仏教寺院とされます。後韓の明帝時代の永平10年(67年)に建立されたと伝わります。68年建立説や、75年説もあるようです。<br />

洛陽郊外の白馬寺の紹介です。文献で確認できる伝承上では、中国最古の仏教寺院とされます。後韓の明帝時代の永平10年(67年)に建立されたと伝わります。68年建立説や、75年説もあるようです。

  • 白馬寺の『天王殿』の建物光景で後漢,明帝の永平10年(67年)に迦葉摩騰(かしょうまとう)と竺法蘭(じくほうらん)の二人の高僧が、西域から仏像と経典を白馬に載せてこの地に至りました。仏像と経典を運んできた白馬に因み、明帝の命によって創建されたのが『白馬寺』です。二人の高僧は、経典の翻訳を行ったようです。<br />

    白馬寺の『天王殿』の建物光景で後漢,明帝の永平10年(67年)に迦葉摩騰(かしょうまとう)と竺法蘭(じくほうらん)の二人の高僧が、西域から仏像と経典を白馬に載せてこの地に至りました。仏像と経典を運んできた白馬に因み、明帝の命によって創建されたのが『白馬寺』です。二人の高僧は、経典の翻訳を行ったようです。

  • 四天王が祀られている『天王殿』の扁額のズームアップ光景です。四天王は仏教と寺僧の守護神ですから、『天王殿』は、寺院の入口に近い場所に建てられることが多いようです。 仏教伝来のきっかけになったのが、明帝が見たとされる夢です。『魏書』によれば、『空を飛び金色に輝く人の夢』が仏陀とされ、西域(印度)に人を派遣しました。

    四天王が祀られている『天王殿』の扁額のズームアップ光景です。四天王は仏教と寺僧の守護神ですから、『天王殿』は、寺院の入口に近い場所に建てられることが多いようです。 仏教伝来のきっかけになったのが、明帝が見たとされる夢です。『魏書』によれば、『空を飛び金色に輝く人の夢』が仏陀とされ、西域(印度)に人を派遣しました。

  • 天王殿の中に祀られていた仏像の光景です。四天王像の内の2体のようです。時間がなく、あとの二体は撮影できませんでした。四天王は、須弥山の中腹にあるとされる四天王天の四方において仏法僧を守護している四神とされます。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天です。『四大王(しだいおう)』とも呼ばれます。

    イチオシ

    天王殿の中に祀られていた仏像の光景です。四天王像の内の2体のようです。時間がなく、あとの二体は撮影できませんでした。四天王は、須弥山の中腹にあるとされる四天王天の四方において仏法僧を守護している四神とされます。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天です。『四大王(しだいおう)』とも呼ばれます。

  • 『護国佑民』の文字が記された金色の扁額と、その背後にぼんやりと見える四天王像の一部と思われる像の光景です。ネット情報によれば、同じ河南省の開封にある古刹の『大相国寺』の山門にも、『護国佑民』の扁額が掛けられています。自由路にある創建555年、以後1500余の歴史を持つ著名な仏教寺院です。空海の留学先だった寺院です。

    『護国佑民』の文字が記された金色の扁額と、その背後にぼんやりと見える四天王像の一部と思われる像の光景です。ネット情報によれば、同じ河南省の開封にある古刹の『大相国寺』の山門にも、『護国佑民』の扁額が掛けられています。自由路にある創建555年、以後1500余の歴史を持つ著名な仏教寺院です。空海の留学先だった寺院です。

  • 『天王殿』の次に向かったのは『大仏殿』です。その移動途中の光景です。参道の中央に建つ、大きな香炉の姿が見えてきました。周りにはプラタナスらしい黄葉の木々がありました。中国で経典の翻訳に従事した訳経僧で有名なのが、鳩摩羅什と玄奘三蔵です。平安時代の日本には、霊仙三蔵のような日本人の訳経僧もいました。

    『天王殿』の次に向かったのは『大仏殿』です。その移動途中の光景です。参道の中央に建つ、大きな香炉の姿が見えてきました。周りにはプラタナスらしい黄葉の木々がありました。中国で経典の翻訳に従事した訳経僧で有名なのが、鳩摩羅什と玄奘三蔵です。平安時代の日本には、霊仙三蔵のような日本人の訳経僧もいました。

  • 参道の中央に置かれていた、大きな香炉のズームアップ光景です。錆の色から判断して、ブロンズなどの銅合金製ではないようでした。鉄製のように見えましたが、石製の台座が、赤錆で汚れてはいませんでしたから、防錆処理もされている材質のようです。蓋の代わりに屋根が乗った造りです。

    参道の中央に置かれていた、大きな香炉のズームアップ光景です。錆の色から判断して、ブロンズなどの銅合金製ではないようでした。鉄製のように見えましたが、石製の台座が、赤錆で汚れてはいませんでしたから、防錆処理もされている材質のようです。蓋の代わりに屋根が乗った造りです。

  • こちらは参道の中央に置かれた、線香立の光景です。同じように、立派な屋根が乗っていました。勢いよく線香が燃え上がっていました。鉄製らしい台座には、『中国洛陽・白馬寺』の陽刻の文字がありました。

    こちらは参道の中央に置かれた、線香立の光景です。同じように、立派な屋根が乗っていました。勢いよく線香が燃え上がっていました。鉄製らしい台座には、『中国洛陽・白馬寺』の陽刻の文字がありました。

  • 『大仏殿』の扁額のズームアップ光景です。歴史が古い白馬寺ですが、現存する建築の多くは、明清代に再建されたものとされます。最も古い建造物が、1175年に再建された石塔の『斉雲塔』です。<br />

    『大仏殿』の扁額のズームアップ光景です。歴史が古い白馬寺ですが、現存する建築の多くは、明清代に再建されたものとされます。最も古い建造物が、1175年に再建された石塔の『斉雲塔』です。

  • 大仏殿の室内に祀られた複数の仏像の光景です。それぞれに、頭上に天蓋がありました。『天蓋(てんがい)』は、『仏教やキリスト教で仏像や祭壇などの上にかざす傘。仏教では,もと貴人にさしかけた日傘が仏像の荘厳となったもので,金属製,木製で天井からつるす。僧の歩行にも長柄の天蓋を用いる』(コンバクト)、と紹介されていました。

    大仏殿の室内に祀られた複数の仏像の光景です。それぞれに、頭上に天蓋がありました。『天蓋(てんがい)』は、『仏教やキリスト教で仏像や祭壇などの上にかざす傘。仏教では,もと貴人にさしかけた日傘が仏像の荘厳となったもので,金属製,木製で天井からつるす。僧の歩行にも長柄の天蓋を用いる』(コンバクト)、と紹介されていました。

  • 同じく、天蓋の下に坐した菩薩像の光景です。その中間の背後に高僧らしい立姿がありました。菩薩像と藩出したのは、背後に『普賢菩薩』などの文字が見えたためです。

    同じく、天蓋の下に坐した菩薩像の光景です。その中間の背後に高僧らしい立姿がありました。菩薩像と藩出したのは、背後に『普賢菩薩』などの文字が見えたためです。

  • 室内に吊り下げられた梵鐘の光景です。軽量に出来ているようでした。その先に祀られた仏像の姿が見えました。

    室内に吊り下げられた梵鐘の光景です。軽量に出来ているようでした。その先に祀られた仏像の姿が見えました。

  • 梵鐘の先に見えていた仏像のズームアップ光景です。左右に脇侍が立った仏像でし下から、仏陀のような如来のようです。薬師如来か、阿弥陀如来などかも知れません。右側の脇侍は地蔵菩薩のように見えました。日本の釈迦三尊の場合、左脇侍が文殊菩薩、右脇侍が普賢菩薩が多いようです。

    梵鐘の先に見えていた仏像のズームアップ光景です。左右に脇侍が立った仏像でし下から、仏陀のような如来のようです。薬師如来か、阿弥陀如来などかも知れません。右側の脇侍は地蔵菩薩のように見えました。日本の釈迦三尊の場合、左脇侍が文殊菩薩、右脇侍が普賢菩薩が多いようです。

  • 表紙でも紹介をした仏像のお顔です。端正なお顔ですが、頬の部分に白く剥落した部分ありました。背後の後輩にも同じ事象が生じていました。折角のお顔に傷がついたままでは、残念です。早く手当てをして欲しいところです。

    イチオシ

    表紙でも紹介をした仏像のお顔です。端正なお顔ですが、頬の部分に白く剥落した部分ありました。背後の後輩にも同じ事象が生じていました。折角のお顔に傷がついたままでは、残念です。早く手当てをして欲しいところです。

  • 先にお顔をズームアップで紹介した仏像の全体光景です。岩山の洞窟での修行姿のように見えました。人気の仏像らしく、足元にユリなどの沢山の生花がお供えしてありました。朱塗りの格子窓付きの扉の中に安置されているようでした。

    先にお顔をズームアップで紹介した仏像の全体光景です。岩山の洞窟での修行姿のように見えました。人気の仏像らしく、足元にユリなどの沢山の生花がお供えしてありました。朱塗りの格子窓付きの扉の中に安置されているようでした。

  • 仏像に向かって左手前側から眺めた、仏像の光景です。正面から眺めたイメージとかなり異なって、ダイナミックな造形でした。ネット情報では、観音像との紹介もありました。

    仏像に向かって左手前側から眺めた、仏像の光景です。正面から眺めたイメージとかなり異なって、ダイナミックな造形でした。ネット情報では、観音像との紹介もありました。

  • 境内で見かけた白鳩さんです。ハナコブを含めて前進が真っ白でした。伝書鳩、ドバトなどとも呼ばれるカワラバトさんのようです。伝書鳩のエピソードの紹介です。第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで、ドイツ軍に包囲されたフランスの一要塞守備隊が、救援を要請する伝書鳩は、フランス軍の本営にたどり着くも、衰弱しきって死亡、『殉職』としてレジオンドヌール勲章が叙勲されました。

    境内で見かけた白鳩さんです。ハナコブを含めて前進が真っ白でした。伝書鳩、ドバトなどとも呼ばれるカワラバトさんのようです。伝書鳩のエピソードの紹介です。第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで、ドイツ軍に包囲されたフランスの一要塞守備隊が、救援を要請する伝書鳩は、フランス軍の本営にたどり着くも、衰弱しきって死亡、『殉職』としてレジオンドヌール勲章が叙勲されました。

  • 同じく、伝書鳩とも呼ばれる、境内で見かけたカワラバトさんです。伝書鳩のエピソードの二つ目の紹介です。大富豪のネイサン・ロスチャイルドは、伝書鳩によってワーテルローの戦いの結果をいち早く知り、イギリス公債相場で巨利を得たといわれます。1815年6月、ナポレオンが敗れた最後の戦いです。

    同じく、伝書鳩とも呼ばれる、境内で見かけたカワラバトさんです。伝書鳩のエピソードの二つ目の紹介です。大富豪のネイサン・ロスチャイルドは、伝書鳩によってワーテルローの戦いの結果をいち早く知り、イギリス公債相場で巨利を得たといわれます。1815年6月、ナポレオンが敗れた最後の戦いです。

  • 参拝客が多いらしく、もうもうと煙を上げていた線香立の光景です.前方に、丸い窓が並んだ建物がありましたが、残念ながら、今回の旅行日程では立ち寄る時間はありませんでした。

    参拝客が多いらしく、もうもうと煙を上げていた線香立の光景です.前方に、丸い窓が並んだ建物がありましたが、残念ながら、今回の旅行日程では立ち寄る時間はありませんでした。

  • 正面から眺めた、『大雄殿』の建物光景です。本が綿葺で、外壁や柱は全てベンガラ色でした。再建された建物ばかりのようですが、白馬寺は軒高の建物は少ないようでした。

    正面から眺めた、『大雄殿』の建物光景です。本が綿葺で、外壁や柱は全てベンガラ色でした。再建された建物ばかりのようですが、白馬寺は軒高の建物は少ないようでした。

  • 『大雄殿』の扁額が懸かった建物光景です。『大雄宝殿』の名前の堂宇ですと、本堂の場合もよくあります。この建物も、白馬寺の主要な建物になるようです。

    『大雄殿』の扁額が懸かった建物光景です。『大雄宝殿』の名前の堂宇ですと、本堂の場合もよくあります。この建物も、白馬寺の主要な建物になるようです。

  • 『大雄殿』の扁額のズームアップ光景です。黒地に金文字の扁額ですが、素朴な感じがする造りでした。

    『大雄殿』の扁額のズームアップ光景です。黒地に金文字の扁額ですが、素朴な感じがする造りでした。

  • 左側の門柱に記された文字の紹介です。一部読めませんでしたが、『嗜(口偏なし)閣堀(山偏)山接(または楼)嵩華〇(不明)嶺』らしい一文でした。

    左側の門柱に記された文字の紹介です。一部読めませんでしたが、『嗜(口偏なし)閣堀(山偏)山接(または楼)嵩華〇(不明)嶺』らしい一文でした。

  • 左側の門柱に記された文字の紹介です。こちらも一部読めませんでしたが、『阿将達水通神甸八川』の一文です。『甸』の文字は、雲南省旅行の時の『中甸(ちゅうでん)』の文字で初めて目にしました。

    左側の門柱に記された文字の紹介です。こちらも一部読めませんでしたが、『阿将達水通神甸八川』の一文です。『甸』の文字は、雲南省旅行の時の『中甸(ちゅうでん)』の文字で初めて目にしました。

  • 『大雄殿』の室内光景だったようです。歴史を感じさせる古い造りの建物が収まっていました。繊細な彫刻が施され、歴史的価値がある建造物が、この場所に移築されたような雰囲気でした。残念ながら、ネット上などでも、まだ確認できていません。

    イチオシ

    『大雄殿』の室内光景だったようです。歴史を感じさせる古い造りの建物が収まっていました。繊細な彫刻が施され、歴史的価値がある建造物が、この場所に移築されたような雰囲気でした。残念ながら、ネット上などでも、まだ確認できていません。

  • 『大雄殿』の室内に置かれていたらしい、歴史を感じさせる古い造りの建物のズームアップ光景です。全面に精緻な彫刻が施されていました。そのテラスのような部分の光景です。

    『大雄殿』の室内に置かれていたらしい、歴史を感じさせる古い造りの建物のズームアップ光景です。全面に精緻な彫刻が施されていました。そのテラスのような部分の光景です。

  • 密集した木々が刈り込まれた生垣の光景です。隙間がないほど幹や小枝が伸びていました。ついでに撮影しておきました。

    密集した木々が刈り込まれた生垣の光景です。隙間がないほど幹や小枝が伸びていました。ついでに撮影しておきました。

  • 見学の建物を移動する途中で目にした、白馬寺の境内光景です。古刹らしく、木々が十分に生い茂っていました。

    見学の建物を移動する途中で目にした、白馬寺の境内光景です。古刹らしく、木々が十分に生い茂っていました。

  • 赤い柱の数が8本ですから、八角形の屋根を持った東屋になるようです。二重屋根になっていましたが、階段が見当たらず、二階部分はないようでした。基壇の上の1階に、簡単なベンチが置いてありました。

    赤い柱の数が8本ですから、八角形の屋根を持った東屋になるようです。二重屋根になっていましたが、階段が見当たらず、二階部分はないようでした。基壇の上の1階に、簡単なベンチが置いてありました。

  • 東屋の中から周りを眺めるより、東屋自体が景色になっていました。風流な名前の扁額があるかと思いましたが、残念ながら見当たりませんでした。二胡の調べ当たりが聞こえてくれば最高です。二胡は、中国の伝統的な擦弦楽器の一種で、2本の弦を間に挟んだ弓で弾きます。唐代に北方の異民族がもたらした楽器のようです。

    東屋の中から周りを眺めるより、東屋自体が景色になっていました。風流な名前の扁額があるかと思いましたが、残念ながら見当たりませんでした。二胡の調べ当たりが聞こえてくれば最高です。二胡は、中国の伝統的な擦弦楽器の一種で、2本の弦を間に挟んだ弓で弾きます。唐代に北方の異民族がもたらした楽器のようです。

  • 建物の名前は分かりませんでしたが、寺社らしい緩やかな勾配を持った大屋根と、破風の光景です。屋根飾りは色々と乗っているようでしたが、装飾のない破風はレンガ積でした。

    建物の名前は分かりませんでしたが、寺社らしい緩やかな勾配を持った大屋根と、破風の光景です。屋根飾りは色々と乗っているようでしたが、装飾のない破風はレンガ積でした。

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