2024年9月24日火曜日

宇佐神宮15 宇佐一族の物語 | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

宇佐神宮15 宇佐一族の物語 | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

宇佐神宮15 宇佐一族の物語

 宇佐八幡宮の現在のご祭神は、応神天皇、神功皇后、それに姫神(宗像の三女神)だとされています。
しかし、900年代には、ご祭神が違っていました。
八幡大菩薩宇佐大神、大帯(たらし)姫神、姫神の三神です。最後の姫神は、宇佐地方・御許山の神でした。

そしてのちに、大帯姫神が息長(おきがな)帯姫、つまり神功皇后とされ、その結果として八幡大神は神功皇后の御子・応神天皇とされたのでした。

 御許山の姫神は、もともとは土着の神と言われ、ウサツヒコ・ウサツヒメが本拠地である妻神山や御許山の祭祀を行っていました。
御許山の三個の巨石を目印に、降臨した比売大神がご祭神でした。

 宇佐族の口伝では、宇佐族は、もともと島根県の隠岐の島で漁業を中心に生活していました。船で移動して暮らしていた海人族が定住した一族だったのでしょう。
 この古い宇佐族は、同じ海人族で奈良に勢力を伸ばした和邇族(わにぞく)との取引に失敗して、丸裸になってしまったそうです。

その時、大国主に、「新しい土地に行って再起せよ」と言われ、大国主からもらった因幡の国八上の地を開拓して成功したのです。
この地の巫女は八上比売で、大国主の妻になりました。

 菟狭族(宇佐族)の天職とする天津暦(あまつこよみ)は、月の動きを見て月日を数える月読(つきよみ)や、日知・聖(ひじり)などにより、満月の月面に見える模様をウサギに見立て、月を「ウサギ神」として崇拝したのです。それで、「ウサ族」と言ったと伝わっています。

時代は下り、神武天皇が宇佐の地に来た時のことです。、
菟狹津彦ウサツヒコ菟狹津媛ウサツヒメが、菟狹の川上に一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って歓迎の宴会を行いました。

 そのとき神武天皇は、菟狹津媛(ウサツヒメ)を神武天皇の家臣である天種子命(アメノタネコノミコト)に娶らせました。

 天種子命には、天児屋命(あめのこやねのみこと)という別名があり、岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出している神様です。そして、天孫降臨の際にはニニギに随行して共に降臨しました。
この結婚は、天の神であるアメノコヤネと地の神であるウサツヒメの和合を象徴しています。

地上的な意味では、地方の豪族を婚姻によって大和政権に引き入れて行ったということでしょうか。

宇佐神宮は、もともと大神氏 辛島氏が祭祀を務めていました。
宮司はこの氏族からしか任じられることはなかったのですが、道鏡事件が起こると、宇佐池守が宮司に任じられ、以降は宇佐氏の世襲職となります。

宇佐氏は、到津と宮成の両氏に分かれ、宮司職が続けられてきましたが到津家の男系が途絶えたことで、近年、宮司職をめぐりトラブルが起きています。

次は、秦氏のことをザっとみてみます。

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