https://mysteryspot.org/report/awaji-israel/awaji-israel.htm
さて、この遺跡について書かれている唯一の本が昭和28年に出版された『淡路の神秘 エル・エロヘ・イスラエル』 (淡路古文化開放協會編 解説者武智時三郎、発行人白山義高)である。昭和47年に再編され『日本学とイスラエル』(著者武智時三郎、発行者思金鴻秀)として思金書房から出版された。さらに平成12年に成錦堂から改訂版が発行されたが、現在は品切れ中である。
内容は、武智時三郎が言霊学と数秘術を用いて、日本とイスラエルの宗教を比較したものであるが、非常に難解で私が解説できるようなものではない。 ここでは、イスラエルの遺跡の解説部分だけ引用させていただく。
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問題の古代イスラエル文化遺跡といふのは 昭和二十七年十月十六日正午、場所は淡路洲本市古茂江、小路谷の海岸、四州園内の小磯とよばれる景勝地の海面に突出した盤岩の岬に秘められた問題の古代淡路文化遺跡の實相が、遂に多人數立會いの許に確認されました。 其の遺跡といふのは、意外にも、自然の盤岩の裂目を巧みに利用し、其の上に鑿の無い時代の工作を想はせる火と水との作用で製作した女の陰所(ホド)の彫像でありました。今から三十年程前に一度發掘したことがあつて、この預期せぬ工作物を發見したことがあるが、祟をおそれ再び埋没したといふ曰くつきの存在であります。其の當時の目撃者の談話を綜合しますと、埋没されていたV字型に置かれた二枚の板石といふのは、この女陰部を、かくした覆であると共に、陰所の名を表はす呪文的象形と考へられます。二度目の發掘であつたが為にV字型の施設を、古人の意圖として觀ることは出來なかつたが、第一回の發掘時にはV字型の樋の上に、幾つかの玉石が置いてあり、その上に石蓋を置き、これを▽の象形にして、土中に埋没し、其の上にバベの樹を紀念に植え後代に遺した上代人の意圖が窺はれます といふのが、淡路古文化開放協會の發掘報告の一節であります。 武智時三郎:淡路の神秘エル・エロヘ・イスラエル、淡路古文化開放協會編、(1953)14-15 より |
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