年代を調べると2700年前という。
ちょうどアッシリアに北イスラエルが滅ぼされた頃だ。
ちなみにコモエという地名はヘブライ語で
「秘の上の菰」という意味があり、
遺跡が埋められていた土地の名とを想起させる。
淡路島にはユダヤの遺跡と呼ばれるものが
22箇所も存在している。
そんな洲本市菰江をはじめとするユダヤの遺跡の解明は、
親切遺伝子と言われるYAP遺伝子の解明を裏付ける
動かぬ証拠だと思えてならない。
そして私も知らなかったのだが、
日本の立て直しを標榜する大本教という
明治時代に大弾圧を受けた新興宗教団体のカリスマ指導者出口王仁三郎が、
淡路島に井戸を掘って世界を浄化する必要があることを説いていたというのだ。
私が20歳をすぎたころ、
大本教の総本山で合氣道の合宿を行ったことがあったっけ。
ここから先はもうヘビーすぎてちょっとついていけないが、
詳しくは『淡路島に残るイスラエルの足跡』というネット記事に詳しいので
こちらをご参照。
http://kitatamaoutsu.blog.fc2.com/blog-entry-252.html
日ユ同祖論と日本のはじまり淡路島
こんにちは🌞
スイスに来て早10日ちょっと、
すっかり秋の気配が漂って来ました。
8月3日、淡路島のハイちゃんのおのころハウスで、
「日ユ同祖論と日本のはじまり淡路島」無事終了しました!
18歳まで育った淡路島ですが、
当時の学校の先生も周囲の大人達もほとんど故郷のことについて
誇れる話をしてくれた覚えがない。
思い起こせば、社会の先生が
「足利尊氏が九州に逃げる途中に淡路島に寄って風待ちをしている時、
立ち寄ったお寺の名前が『妙勝寺』だったから、『妙に勝つ寺とは勝機を得る兆し』だと
喜んだ」
的な話をしてくれたことが一回だけあったっけ………。
7月の終わりから実家に帰ってきて、
なんでうちにこんな本があるの?と思えるような今や絶版になってる
秘伝の書(?)を何冊か改めて読み返しましたが、
改めて淡路島という場所は我がふるさとながら、不思議な場所だと思いました。
そもそもなぜ淡路島とユダヤなのかということだが、
ユダヤ人と日本人の祖先は同じだという説が
明治時代から根強くある。
根拠はいろいろあって、
最初にこの説を唱えたのは、
『日本言語考古学』や『日本ヘブル詩歌の研究』で知られる川守田英二という人物。
言語的な共通点が日本語とヘブライ語はとても多い。
■ミカド(帝)= ミガドル(高貴なお方)
■ミコト(尊)=マクト(王、王国)
■ネギ(神職)=ナギット(長、司)
■ミソギ(禊ぎ)=ミソグ(分別・性別)
■ヌシ(主)=ヌシ(長)
■サムライ(サムライ)=シャムライ(守る者)
■ヤリ(槍)=ヤリ(射る)
■ホロブ(滅ぶ)=ホレブ(滅ぶ)
■イム(忌む)=イム(ひどい)
■ダメ(駄目)=タメ(ダメ・汚れている)
■ニクム(憎む)=ニクム(憎む)
■カバウ(庇う)=カバア(隠す)
■ユルス(許す)=ユルス(取らせる)
■コマル(困る)=コマル(困る)
■スム(住む)=スム(住む)
■ツモル(積もる)=ツモル(積もる)
■コオル(凍る)=コ-ル(寒さ、冷たさ)
■スワル(座る)=スワル(座る)
■アルク(歩く)=ハラク(歩く)
■ハカル(測る)=ハカル(測る)
■トル(取る)=トル(取る)
■カク(書く)=カク(書く)
■ナマル(訛る)=ナマル(訛る)
■アキナウ(商う)=アキナフ(買う)
■アリガトウ(有難う)=アリ・ガド(私にとって幸福です)
■ヤケド(火傷)=ヤケド(火傷)
■ニオイ(匂い)=ニホヒ(匂い)
■カタ(肩)=カタフ(肩)
■ワラベ(子供)=ワラッベン(子供)
■アタリ(辺り)=アタリ(辺り)
■オワリ(終わり)=アハリ(終わり)
などなど。
文字の類似もよく指摘される。
そもそも
そして、大和朝廷はユダヤ人の影響を強く受けた政権であったとか、
ヘブライ語と日本語の共通点について指摘する書物なども数多くみられる。
ユダヤ人の歴史を語る上で、彼らの先祖で外せない人物がノアである。
彼が船を作り、地球上のすべての種をひとつがいづつ船に入れ、
大洪水を逃れた話は有名だ。
その息子の一人セムの子孫であるアブラハムが、
「私の示す方へ行けば、私はおまえを祝福し、おまえを大きな国民の祖先にしてやろう」
という啓示を受け、カナンの地にたどり着き、この地を神より授けられた。
しかし、なかなか子供に恵まれず、100歳の時にようやく生まれた子イサクを
神の指示どおりに生贄として捧げる姿を神は見て、
アブラハムを信用の置ける人物とみて、彼をいわば民族復活の主役に選んだ。
このアブラハムこそユダヤ人の祖とされており、
アラブ人もまた、アブラハムが86歳の時に別の女性に産ませたイシュマエルを祖となってることからアブラハムにつながる。
また血筋の上では繋がっていなくても、
クリスチャンもまたアブラハムを『信仰の父』と信じていることから
神がかつて約束した予言は実現したことになる。
カナンの地を与えられたアブラハムとその家族だが
孫のヤコブは神と相撲を取って勝ち、
神から「イスラエル」と名乗るように勧められる。
このエピソードは多くの西洋画家に描かれており
『西洋美術の謎と闇~メメントモリ~』の中にそれらの絵をまとめたサイトがみつかりましたので
こちらをご参照くださいませ。
そのヤコブの12人の息子や孫がユダヤ人の祖先ということになり、自分は何族かということがわかるが、
現在はそのうち、ユダ族とベニヤミン族のみが残っている。
◆ルベン族…………優れた威厳と優れた力の持ち主。水のような奔放性。少数派。
◆シメオン族………暴虐性。国中に散らされる。
◆ユダ族……………獅子のように獲物によって成長する。王権と指導力。繁栄。自己防衛。
◆ダン族……………己の民を裁く。マムシのような狡猾さ。
◆ナフタリ族………牝鹿のような美人系。善良さ。優雅さ。恵みに満ち足りる。
◆ガド族……………防衛的。勇敢さ。正義感。最良の地を見つける。
◆アシェル族………王の食卓に美味を供える。穏やかさ。
◆イッサカル族……たくましいロバのよう。労働。苦役を強いられる。
◆ゼブルン族………海辺に住む。そこは舟の出入りする港となり、その境はシドンに及ぶ。
◆ベニヤミン族……オオカミのように好戦的。主に愛される者。
◆マナセ族&………大自然の祝福。膨大な恩恵。生産の祝福。地の果て果てまで、
エフライム族 国々の民をことごとく突き倒していく進出力。
というのも、
その後ヤコブの息子たちはカナンの地を飢餓によっておわれ、
11番目のヨセフが先を見通す力をエジプト王に認められ宰相として君臨していたエジプトに逃れた。
しかし王が死ぬとユダヤ人は奴隷の立場に。
400年後、モーゼが現れ、ユダヤ人を約束の地カナンに導く。
後継者のヨシュアの時代~士師の支族連合の時代~ベニヤミン族出身の美男子サウル王の時代となった紀元前1000年ごろ
イスラエルの国家の基礎が形成され、ペリシテ人との戦闘に苦戦。
羊飼いの青年からカリスマ武将になったユダ族のダビデが紀元前961年、
王として祭祀から油を注がれた。
その後、神より知恵を授けられ、賢者の代名詞にもなったソロモン(ダビデの子)の時、
イスラエル王国は最大の繁栄を謳歌。
エルサレムのモリヤの丘に神殿を建設した。
ソロモン王が死ぬと、ただちに南ユダ出身の息子レハベアムが王位を継いだが、
北イスラエル連合は、重税の軽減を要求するも受け入れられず、
かくして、紀元前928年、「イスラエル統一王国」は南北に分裂し、
10支族の「北イスラエル王国」と、
ダビデを輩出したユダ族とサウルを輩出したベニヤミン族の伝統ある2支族の
「南ユダ王国」の2つの王国に分かれてしまったのである。
ダビデが開いたイスラエルの黄金時代は、わずか70年ほどで南北に分断して衰退の憂き目をみてしまったのだ。
そして北イスラエル王国は、独立後200年、すなわち紀元前722年に、大国アッシリア帝国に滅ぼされてしまった。
北イスラエルの10支族は、奴隷としてアッシリアに強制連行される。
紀元前587年、南ユダ王国は新バビロニア王国によって滅ぼされてしまった。
南ユダ王国の住民はほぼ全員新バビロニア王国へ強制連行された。
これを「バビロン捕囚」という。
その後、南ユダ王国の子孫たちは、新バビロニア王国崩壊とともに解放され、イスラエルの地への帰還を許されたので、
彼らは喜び勇んで故国に帰り、エルサレムの復興と、第2神殿と呼ばれる神殿を再建することになった。
そしてかつてアッシリアに連れて行かれた10支族を探しに行くのだが、
その痕跡はどこにも見当たらず、歴史から消えてしまった。
これが世界史最大のミステリーとも言われる失われた10支族である。
その後ユダヤ人は独立王国を築くことはもはやできず、祭司が指導する神政共同体のような形で生活を続けることとなる。
戦後イスラエル共和国が建国されるまで………
そして問題なのは失われた北の10支族だが、
現在もイスラエルの国家機関アミシャブが捜索している。
事実、アミシャブの研究者は
「文化的考察から日本人と失われた10支族の間に何らかのつながりがあることを否定できない」
としている。
最近はDNA解析も進み、
日本人の遺伝子は中国や韓国人とは全く違っていることが証明された。
父系のルーツを辿ることができるY染色体ハプログループは、数万年にわたる長期的な追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した。それに伴い、現代日本人は従来考えられてきたよりも色濃く古モンゴロイド的縄文人の血を引き継いでいる事が判明してきた。崎谷満の分析では、日本人は主にY染色体ハプログループD1bの縄文系とハプログループO1b2の弥生系を起源とする事が明らかになった。ハプログループD系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、現代アジアにおいて支配的なO系統やC2系統とは分岐から7万年以上経ており、最も近縁であり同じYAP型であるE系統とも6.5万年前に分岐した非常に孤立的な系統であると言える。このハプログループD1bはアイヌ人・沖縄人・本土日本人の3集団に多く見られるタイプであり、朝鮮半島や中国人(漢民族)には全く見られない。(縄文人/Wikiより)
このYAP遺伝子は別名「親切遺伝子」といわれ、
日本人特有の縄文からくるものだとされているが、
E系統とされるユダヤ人の遺伝子の中にもなんとYAP遺伝子は発見されたそうだ。
ちなみにD系統はチベットとインドのアンダマン諸島にも保有者がいるそうだが、
中国や韓国人にはほぼゼロというところが興味深い。
見た目はにていても別人種ということになる。
しかもD系統は最も古い遺伝子のうちの一つだそうだ。
アフリカからグレートジャーニーを経て日本に人類が渡ってきたという
従来の説が覆されることになった。
人類の中でも最も古い人種の遺伝子を日本人が多く持つということは
日本から文化が大陸に発信されたとする古代文書『竹内文書』の記述のを裏付けることにもなる。
そして淡路島の神名が『淡路之穂之狹分島(あわじのほのさわけじま)』とされ、
伊邪那岐命(イザナギノミコト)伊邪那美命(イザナミノミコト)事実洲本市菰江をはじめ、
淡路島の南部には22箇所ものユダヤ遺跡が存在している。
年代を調べると2700年前という。
ちょうどアッシリアに北イスラエルが滅ぼされた頃だ。
ちなみにコモエという地名はヘブライ語で
「秘の上の菰」という意味があり、
遺跡が埋められていた土地の名とを想起させる。
淡路島にはユダヤの遺跡と呼ばれるものが
22箇所も存在している。
そんな洲本市菰江をはじめとするユダヤの遺跡の解明は、
親切遺伝子と言われるYAP遺伝子の解明を裏付ける
動かぬ証拠だと思えてならない。
そして私も知らなかったのだが、
日本の立て直しを標榜する大本教という
明治時代に大弾圧を受けた新興宗教団体のカリスマ指導者出口王仁三郎が、
淡路島に井戸を掘って世界を浄化する必要があることを説いていたというのだ。
私が20歳をすぎたころ、
大本教の総本山で合氣道の合宿を行ったことがあったっけ。
ここから先はもうヘビーすぎてちょっとついていけないが、
詳しくは『淡路島に残るイスラエルの足跡』というネット記事に詳しいので
こちらをご参照。
高校二年の時に『くにうみの祭典』というのがあってはじめて
古事記の『国生み神話』のことを知って、
(それも先生からではなかった)
毎年初詣に行く「イザナギさん」として親しまれている神社は
本当は兵庫県で唯一の神宮で、
正式名称を伊弉諾神宮といい、格式も高く、
「淡路島って神話ではどうも日本の始まりらしい」
ということを知った、文化不毛の地で育った田舎者の高校生だった頃を思い出す。
参加者の皆様は本当に真剣に耳を傾けて下さいました。
ともあれ、ますます混迷を深める世界情勢、
しかしキリスト教もイスラム教もユダヤ教がもとになっている。
しかし、今世界に力を及ぼしている白人系ユダヤ人には
ユダヤの血はながれていない、13支族と呼ばれる偽物のユダヤ人(白人系ユダヤ人はハザール帝国の末裔)である。
もし日本人が失われた10支族の末裔であるとしたら、
国際社会で日本人の果たす役割はより重要度を増すような氣がする。
とりわけ、同じD系統の遺伝子を持つ数少ない地域であるチベット人を
中国の侵略から救わないと。
都市伝説が史実になる日も近いかもしれない。
かなり、長文になってしまいました。
最後までお読みいただき感謝です!
奥野晃士
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