2024年8月25日日曜日

freeassociations: 御所野縄文博物館[縄文探訪(青森・八戸と周辺編) ]川守田下

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御所野縄文博物館[縄文探訪(青森・八戸と周辺編) ]川守田下

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第6章 日本ヘブル語の諸問題

第二節 文字入縄紋土器の発見とその意義

一、発見の事情

最近日本のある方面では古代文字の有無論が再燃している。公平なベース

ボールのアンバイャーになった積りで、その有無論を批判すれば、どうも無

いという方が論拠が強いようだ。ところが、今より十八年前、私は東北民謡

現地踏査中、はしなくもカルデャ文字 「アーレフ」 「ヨード」二字を浮彫させ

縄紋土器を発見したのである。同地方に行わるる「ナニアド ナサレ アエノ ナニアド

レャー」(彼方へわれらアエノ族を追払わんとす、前方へエホバ神進み給え)という簡単な歌詞を

追究して行ったら、段々複雑になって、遂には紀元前一四四六年(三四〇〇年の昔)に起った、イ

スラエル民族の出埃及の軍旅の歌にまで遡ってしまった。学究の責任上、現地踏査のため帰朝した

が、己が郷土岩手県一戸町へ帰ったら、少年の頃、矢の根石を拾い漁った桑畑の中から、ザクザク

と繩紋土器が出土し、その大部分は久慈という素封家に保存してあるとの事だ。行って見せて頂き、

その検分中、「ア、大変なものがある」と私は叫んだ。立会の人々は、巧妙無比な土偶のことでも 20

あろうかと目を見張っている際、私は片隅に無雑作に放り出してあった、蓋様のカワラケを拾い上

ヤー

第3篇 日本ヘブル語の研究

げた。皆んなが呆気にとられているところで「この蓋はやがて国宝となる時が来る」と預言した。

案の如く、次回、今一度この土器を見せて貰いに行った時には、黄色の布につつまれ桐の箱に納め

られ、当に国宝待遇を受けていた。後に高松宮殿下にもお目見得したという。

二、何と読むべきか

三四〇〇年前イスラエルの民族が雲の柱、火の柱に導かれながら歌った古謡の保存せらるる地帯

で、カルデャ文字入の縄紋土器を発見したのだから、たったそれだけでも外部的証拠を挙げた喜び

で満足すべきである。 所がこの二字を何とよむべきかということは一層興味深いことであらねばな

らない。

1 最初この二字を、そのままゲゼニアスの辞書で索引し、その二項に従って「オイ」と読んだ。

その意味は「嗚呼」または「禍なる哉」の語義なので、納骨棺の蓋でもあろうかと思った。

ところが、地中海のパレスチナに再建されたイスラエル国の郵便切手にこの二字が印刷さ

れ、「エーレッツ 「イスラエル」と読ませ、「イスラエル国」の略字に用いられている。

③ しかしこれは「エーレッツ ャウーダ」と読んで「ユダャの国」の略字にもなる。日本は北

朝イスラエル(失われた十族)よりも南朝ユダャ (失われざる二族)と関連しているからである。

ャアマド」と読んで 「ヤマド(天壌無窮の

(更にこれは日本で発見された以上、「エーレッツ

19-2

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第6章 日本ヘブル語の諸問題

意の国」とも解される。 「ヤマド」の解説は別に一論文に価するからここに省く。

「イワレ」即ち「磐余(伊波礼)

⑤更に「ヤマト」の国の主権者の名を借りて、「エーレッツ

日子の国」とも読まれる。日本ヘブル詩歌の大半は神武天皇に関連しているからだ。

⑥ 何れにしても、少なくも「エーレッツ ャーエ」即ち「エホバ(神)の国」と解すれば、右の

一切を包容する釈明を得るのである。神功皇后の新羅征伐の時、日本は外国に神の国として知られ

ていた。「吾聞く、東に神の国あり、ヤマトという。またヒヂリのキミあり、天皇という、必ずそ

の国の神兵ならん」云々。

7 こうなると、この二字を「イ・ヨ」(伊予の地名を連想せしむる)と読んで、英語で「アイラ

ンド・オブ・ャーエ」 (N)と訳し、日本語の「エホバの島国「という解釈もつく。この島国とい

う語の複数形「イイム」はイザヤ書に頻々と出て来て、大抵日本列島を指示している。即ち二四章

一五節、四一章一節、四二章一〇節『海にうかぶもの海の中に充つる者、もろもろの島およびその

民よ、エホバに向いて新しき歌をうたい、地の果よりほまれをたたえまつれ』 『この故に汝ら東にて

エホバを崇め、海の島々にてイスラエルの神のみ名を崇むべし、われら地の極より歌をきけり」。

三、土器の重大性

この土器の持つ重大性は多々ある。

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⑥縄紋土器はアイヌ土器に非ず、如何となればそれはアイヌ民族掃盪の歌を高唱した固有日本

人祖先の遺物なればなり、と結論されるからだ。従来の考古学では、縄紋土器をアイヌ土器と見做 20

し、彌生式土器のみを固有日本人々祖の遺物と鑑定して来た。しかるに、 右の土器が出土したこと

によって、縄紋土器も彌生式土器も共に固有日本人祖先の異なる文化過程の遺物であることが明示

されたからである。

ことだま

② 日本に先住した諸民種を統合せる天孫民族は文字の知識を包含していたが、文字の普及より

も諸民種に通用する大和言葉の大成の方が当時刻下の急務であった。「言霊の幸はう国」というの

は、文字の国に対する自慢の種ではなく、 事情止むを得なかったのである。通用する言葉さえ

出来ていない国では、文字の普及は意味をなさない。

⑥模様化されたる文字 私がこの文字入縄紋土器について発表するに至らしめた一つの刺戟

は、秋田県北秋田郡沢口村出土の縄紋土器にも、鮮やかに「アーレフ」 「ヨード」の二字が花文字

で浮彫にされてあるからである。一般に普及の出来なかった文字は、象徴化され、模様化されて、

装飾の役目を果す外に途がなくなった経路を思わしめる。神社の護符などにある記号なども同一轍

の経路を経て、次第に原型から遠ざかったものであろう。

古代文献古代天孫民族はヘブル語で書いた文献を持っていたに相違ない。しかし、それは

皮や紙に書いた巻物であったに相違ないから、湿気の多い日本の国土では長く保存せられなかった

第3篇 日本ヘブル語の研究

川守田下より

~~~

初期ヘブライ文字 : 日本人は漢字を使用する前、初期ヘブライ文字を使用していた

米山益弘 

 

詳細情報

タイトル初期ヘブライ文字 : 日本人は漢字を使用する前、初期ヘブライ文字を使用していた
著者米山益弘 
著者標目米山, 益弘, 1930-
出版地(国名コード)JP
出版地東京
出版社文芸社
出版年月日等2000.8
大きさ、容量等74p ; 20cm
ISBN4835505565
価格1000円
JP番号20090454
出版年(W3CDTF)2000
NDLCKF19
NDC(9版)810.49 : 日本語
対象利用者一般
資料の種別図書
言語(ISO639-2形式)jpn : 日本語


縄文人のことば: アイヌ語又はヘブライ語を使用していた縄文人 - 40 ページ

books.google.co.jp › booksnormal

米山益弘 · 1984 · ‎スニペット表示

次の書籍のコンテンツと一致: – 40 ページ

... エレファンテン出土の青紙にも「 A 」「 Y 」の頭文字があり,それはアーレフヨード又はエーレッツヤウーダ= =の頭文字であることがわかって居ます。 ... この縄文土器の花文字は今,聖心女子大学の助野健太郎教授(キリスト教史専攻)が所持して居ます。

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