2024年8月6日火曜日

中村元 東西文化の交流 /日本語の真実: タミル語で記紀、万葉集を読み解く | 田中 孝顕 |本 | 通販 | Amazon

中村元 東西文化の交流 /日本語の真実: タミル語で記紀、万葉集を読み解く 田中 孝顕 


中村元も大野晋を参照している。


どこうじん と連関があり、むしろ「琵琶」の名はこの楽器のペルシア名であるビバットに由来すると解するほうが適 当であろう。インドにも竪琴があったが、仏教の衰退した頃には衰えて、かえってビルマなどで盛んにな ったという。ともかくこれらの楽器の間に何らかの影響・交渉のあったことは確かである。ことに盲僧琵 あるいは荒神琵琶と称するものは、盲僧琵琶に合わせて 『地神経』を唱え、 土荒神を祈祷するものの ことで、伝説によれば釈尊が巌窟尊者という盲目の弟子をあわれんで、琵琶に合わせて『地神陀羅尼経』 を唱えることを教えたのに始まるという。しかしこれは後代に成立した伝説であって、歴史的人物として の釈尊の頃のことではない。 (6) 
 琵琶はわが国には早くから伝えられ、正倉院の御物の中にもある。 正倉院の宝物は八世紀の世界文化の 縮図のようなものであるが、その中にはインド産の香もあるし、すご六には「胡」という地名が記されて いるが、これは当時インドの近くの国名を示していたらしい。 (T) 
 インド起源の日本語はまだそのほかにもいろいろあるが、このように、インド文化はわれわれの気のつ かぬところで跡を残しているのである。 

 ところでわれわれがインド文化の影響を受けていたのは、仏教渡来以後のことなのであろうか。いな、 仏教の渡来する以前に、すなわち日本人が極めて原始的な生活を送っていた時代において、すでにインド 文化の影響を受けていた。その最も顕著な例は「米」の名称であろう。粳米を「うるち」といい、古名は 「うるしね」であるが、九州・四国では稲をこのように呼ぶという。ところで、これはサンスクリット語 のヴリーヒ (vrihi) から来たのである。 
 稲作の起源については、はっきり知られていない。現在、熱帯地方にはいろいろの野生のイネがはえて

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第一章 日本におけるインド文化の発見







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本書は『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などの、表面に現れない意味、表面的には何を言っているのか不明な文言、あるいは一見、他愛もない説話に隠された本来の意味の解読を日本語の起源と考えられるタミル語で行なう試みの一端である。英語で記述されたタミル語辞典などを用いているため、英単語などが多く含まれ、見た目は取っ付きにくい印象を与えているが、英語を併記することで、日本語訳の信憑性を担保する意図によるものなので、普通に読む場合は英語は無視していいと思う。 

日本語タミル語起源説というのがある。日本語学者の泰斗、大野 晋氏が1978年に提唱したもので、音韻対応、語彙対応、文法対応と三拍子揃ったこれまでにない精緻な起源説である。
同氏は『ドラヴィダ語語源辞典』(タミル語もドラヴィダ語族に属する。同書の日本語版は私が監修し、きこ書房で出版されている)を見入っているうちに、直感によってタミル語が日本語の元であることに間違いない、と確信したという。 

 比較言語を学ぶ者であれば、誰でもウイリアム・ジョーンズの1786年2月2日のカルカッタ講演を知っているはずだ。以下、風間喜代三『言語学の誕生—比較言語学小史』(岩波新書・1978年刊)から概略引用する。
 「彼(引用者注—ジョーンズ)はサンスクリット語はギリシャ語よりも完全であり、またラテン語よりも豊富である、と述べ、サンスクリット語とこれら二つの言語とは、動詞の語根においても文法の形式においても、偶然とは思えないほど顕著な類似を持っている。故にこれら三言語はある共通の源から発したものと信ぜずにはいられないだろう。ゴート語とケルト語も古代ペルシャ語も同じ語族に加えられるだろう」 

 風間氏は「彼は一つの実例もあげていない。けれども一年間のサンスクリットの学習によって、直感的にこれらの言語の関係をとらえていたに違いない」とも言う。こうしてインドヨーロッパ語族の比較言語学の研究は「ある個人の意図せざる発言から急速に進展した」が、それには「その言葉を受け止める側にそれなりのバックがあったと考えざるを得ない」(同p.18)とする。 

 私は何であれその分野の専門家の直感(たとえばベテラン刑事の直感など)というものを信じる。なぜなら直感とは無意識上の熟考の結論だからである。熟考というと、誰しも意識的・能動的注意集中による論理抽出過程のみしかない、と考えがちである。
 
 しかし、脳は人が何らかの問題解決を常時考えているとき、あるいは何らかの問題意識を常時持っているとき、能動的思考をやめても無意識の分野でなお、解決を求めて思考は続けているのである。それゆえにひとつのことを専ら考えている人の直感は、意識上の熟慮の結果と等価と看做しうる。なにせ大野氏は日本語学の大家であり、その知識は計り知れないものがある。 

 なお、本書は大野氏が行なった音韻対応、語彙対応、文法対応を再度検証するというだいそれた意図はない。私が大野『日本語の形成』(岩波書店・2000年刊)にある語彙対応以上に、幾ら新しい語彙対応を書き連ねたところで、あまり意味はないからである。私はそれよりも日本の古典に登場する未詳語や意味不明の伝承をタミル語で解けば、大野説が正しければ、正しい解が出るはず、つまり謎が解けるはず、という作業仮説のもとに、もっぱら謎解きに専念した。
 
 本書はその第一号として誕生したものである。すべての対応が正しいとまでは言わないが、いくつか間違いがあるというだけで、産湯と一緒に赤子まで流してしまうことだけは避けるべきであろう。

抜粋

「第三章 万葉集、額に双六が生える歌の謎を解く」4節より一部抜粋
 
万葉集に次のような不思議な歌がある。
3838  我妹子が額(ぬか)に生ひたる双六の事負の牛の鞍の上への瘡(くら) 

3839  我が背子が犢鼻褌(たふさぎ)にせるつぶれ石の吉野の山に氷魚(ひを)
そ下がれる
(中略)
 
この歌が出来た事情は、万葉集自体に書かれている。「右の歌は、舎人親王、侍
(もとこびと)に令(のりごち給はく、もしよる所無き歌を作る者有らば、銭
帛(ぜにきぬ)を賜(たばら)むとのりたまへり。
 時に大舎人安倍朝臣子祖父(こをぢ)、すなはち斯の歌を作りて献たてまつ
上る。すなはち募る所の銭二千文給へりき」
 つまり、意味の分からない歌を歌ったら褒美を与える、と舎人親王が周囲の人たちに言った。
そうすると子祖父という人物(子祖父というのはいかにも奇妙な名である)が右記のような二首の歌を作ったので、銭二千文という大金を褒美として与えたという。(中略) 

つぶれ石
 「つぶれ石」は「潰れた石」と解しては意味が通らない。これはタミル語tuvarat-ai[salmoncoloured cloth(ピンク色の布)]の日本語対応形である。ピンク色の布のフンドシを歌の作者は想定したに違いない。tuvarat-ai はおおむねツヴァラーティと読む。日本語ではtu- が狭音なのでこれに引かれて次の-va- は-bu- となったようである。-tai はte からe/i 交替で*ti > si となる
ので原始日本語、ツブレチあたりからツブレシとなったと考えられる。この言葉があったということは、おそらくtuvar-i[to dye with salmon colour(ピンク色に染める)]という意味の日本語*tubur-u という語もあったのではないだろうか。 

吉(えし)
 吉野の山は昔から桜の名所である。春ともなればまるで山全体がピンク色の布で覆われたようになる。こういうことも歌に含ませたのであろう。
 同時に、吉(えし)はタミル語vet-i[fissure(亀裂). crevice(隙間). cleft(裂け目)]と対応する*wes-i>es-i である。e/a 対応からa/o 交替しても「吉(よし)」となる。(中略) 

野(の)
 野は、タミル語nal-am[to extent(広がり)]の-l 脱落形*na> no であり、非脱落形はnor-a で、これは野良仕事の野良(のら)となっていることは既に述べた。
 つまり、「吉野」は「隙間の広がり」という意味ともなる。意訳すれば「破れた(広がりの)ところ」とでもなるであろう。 

氷魚(ひを)
「氷魚」は鮎の幼魚である。日本語では同音となるタミル語にpil-al という語があり、これは日本語では*piy-a ∨ fiw-o と対応する(-l の脱落。l/y 対応。半母音同士のy/w 交替)。このpil-al はpudendum muliebre、つまり恥部のことだが、ここでは男性器を指す。
 以上から、この歌は「私の亭主がフンドシにするピンク色の布の破れたところから陽物が垂れ下がっている」という意味となる。
 ここから分かるのは、漢字の流入(日本語の50%を占める)により、かなり大量の大和言葉が廃滅に追い遣られた、という事実である。万葉時代においても、このように同音異義語を駆使しただけで(仮に話の上だけとしても)莫大な報酬を与える価値があるということは、多くの人が同音異義語をすでに忘れ去っていた証拠のように思える。言い換えれば、こういう言い換えが出来るほど、万葉時代のある時期以前には、まだ数多くのヤマト言葉があったということになる。(後略)
 

著者について

ジャーナリスト
著書 「日本語の起源」(きこ書房。2004年)
訳書 「オックスフォード・ドラヴィダ語語源辞典」(きこ書房。2006年)

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