2024年8月16日金曜日

淡路島に残るイスラエルの足跡 イスラエル遺跡について詳しく説明


https://mysteryspot.org/report/awaji-israel/awaji-israel.htm

次に、淡路島に同類の遺跡は無いのかという疑問がわいてくる。
これについて、白山義高は、出口王仁三郎の命により(詳細は後述する)、淡路島でイスラエルの遺跡の調査を行なっている。
その結果、24ヶ所で遺跡を発見し、この古茂江の遺跡が25番目であると言っている。
『淡路の神秘エル・エロヘ・イスラエル』に掲載されている遺跡の地図には、淡路島の南海岸沿いに遺跡のマークが書かれ、油谷(ユダニ)には、イスラエル人が最初に渡来した所と記載されている。
 【図1 白山義高が描いたイスラエルの遺跡地図】淡路の神秘エル・エロヘ・イスラエルより

また、武智時三郎は、この祟神の祠は小さい石室で、その表面の扉に当たるところに【マーク】が彫刻されていると述べている。
ちなみにこのマークについて、武智は、ダビデ章のヅレを直して正しく天地人に組み替えたものと説明している。
【図2 イスラエルの遺跡に描かれていたマーク】淡路の神秘エル・エロヘ・イスラエルより

白山義高は、淡路島の随所で発見する石室の表面にこのマークが施してあるとも言っている。
ここでいう石室が、図に書かれた24ヶ所の遺跡のことを指すのかどうかは定かではないが、私は古茂江の遺跡以外にそれらしい遺跡を知らない。

地元の人に聞いてみても、白山義高が発見した遺跡の情報を得ることはできておらず、当時の資料は、白山義高の死と共に全て焼却されてしまっていて、手かがりも残っていない。

白山は、この遺跡の地図で、イスラエル人が油谷に上陸し、その後淡路島の東南岸を北上し、最後に古茂江の遺跡を造ったということを言いたかったのではないかと考える。

確かに、そこに登場する油谷(ユダニ)、諭鶴羽(ユズルハ)、由良(ユラ)という地名はユダヤを連想させる。

淡路島の南にそびえる諭鶴羽山は、行者達らによって途絶えていた修験道が復興され五大修験場の一つとなっているが、諭鶴羽神社は、伊弉冊尊、速玉男命、事解男命を祀り、元熊野と云われているほど古い神社である。イスラエルの痕跡が残っていても不思議ではないが、残念ながらその痕跡は見つけることはできていない。

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