http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p50
恐怖なき希望というものはありえずまた希望なき恐怖というものもありえないことが明らかであり
定理五〇 おのおのの物は偶然によって希望あるいは恐怖の原因であることができる。
証明 この定理はこの部の定理一五と同じ 方法で証明される。同定理をこの部の定理一八の備考二と併(あわ)せ見よ。
備考 偶然によって希望あるいは恐怖の原因たる物は善い前兆あるいは悪い前兆と呼ばれる。ところでこれらの前兆は、希望あるいは恐怖の原因である限りにおいて喜びあるいは悲しみの原因である(希望および恐怖の定義による。この部の定理一八の備考二にあるその定義を見よ)。したがって我々は(この部の定理一五の系により)その限りにおいてそれを愛しあるいは憎み、また(この部の定理二八により)それを我々の希望するものへの手段として近づけあるいはその障害ないし恐怖の原因として遠ざけるように努める。その上この部の定理二五から分かる通り、我々は希望するものを容易に信じ・恐怖するものを容易に信じないようなふうに、また前者については正当以上に・後者については正当以下に感ずるようなふうに生来できあがっている。そしてこれからして、人間がいたるところで捉われているもろもろの迷信が生じたのである。
なおまた希望および恐怖から生ずる心情のさまざまの動揺をここに説明することは無用であると私は信ずる。なぜなら、単にこの両感情の定義だけからして、恐怖なき希望というものはありえずまた希望なき恐怖というものもありえないことが明らかであり(これは適当な場所でいっそう詳しく説明するであろう)、その上また我々は、あるものを希望しあるいは恐怖する限りそのものを愛しあるいは憎み、したがって我々が愛および憎しみについて述べたことを各人は容易に希望および恐怖に適用しうるからである。
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