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◆由来の定説
七夕祭りの松明流しや精霊流しとともに、「眠り流し」(暑さの厳しい、農作業の忙しい夏季に襲ってくる睡魔という、目に見えない魔物を追い払うための行事)は全国各地で行われている行事です。これはこの弘前でも昔から行われていた習俗の一つでした。
その際、燈火なども用いられていましたが、江戸時代に入り燈籠などが用いられ、徐々に手が込んできて大掛かりな美麗なものへと進化し、そして現在の「ねぷた」へと進化してきたといわれています。
◆その他の由来説(ロマンチックですが、裏づけはありません)
ねぷたまつりの由来は諸説ありますが、現在は次の3つの説に重点が置かれています。
【伝説】平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、敵をおびき出すために大きな人形を作った。(1750年ごろから言われているとされます)
【伝承】1593(文禄2)年7月、藩祖・津軽為信が、京都の盂蘭盆会(うらぼんえ)での趣向として大燈籠を作らせた。(津軽遍覧日記、1792(寛政4)年の資料ですが、信憑性が薄いとされています)
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