2024年8月20日火曜日

イザヤ書に記された 国外脱出の道 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

イザヤ書に記された 国外脱出の道 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

直後、北イスラエル王国がアッシリアからの侵略により、崩壊する運命となりました。そして南ユダ王国の人々も恐怖に慄いていたころ、エルサレムの宮殿で仕えていたイザヤは祈りのうちに、アジアの東方にある海の島々に新天地があることを悟ります (24章15節)。イザヤ書には所々に、希望と救いのメッセージが書かれている点も見逃せません。イザヤ書には幾度となく島々についての記載があり、特に東方の「海の島々」や聖なる山に、救いの道が残されていることがほのめかされていることには注目です。島国とは全く縁のない西アジアのイスラエルにてイザヤは、遠くの東に浮かぶ島々で神を崇めることを預言したのです。

その結果、イザヤは宮で仕える働き人や家族らとともに東方の島々に向けて旅立つ準備をはじめ、神の存在を象徴する証の箱、すなわち契約の箱なる聖櫃も携えて、東の海の島々を目指してエルサレムを脱出するプランが立てられたと想定されます。そしてイザヤの言葉に励まされた大勢の民は、北イスラエル王国が崩壊した後、南ユダ王国も滅びに至る危機に直面していたちょうどその時、イザヤのリーダーシップに従って密かに国を去り、新天地に向けて旅立ったと考えられるのです。その先陣をきったのがイザヤとその仕え人達であり、船に乗って新天地へと旅立った後、もはや振り返ることはありませんでした。こうしてイザヤ、イスラエルの歴史の中から突如として、姿を消すこととなります。

「東の地で神を崇めよ!海の島々で、神の名、イスラエルの神を!」というイザヤに与えられた神の声(24章15節)を確信したイザヤは、アジア大陸の南岸に沿って、太陽が昇る東の方へ向けて航海を続けました。そして神から与えられた言葉のとおり、いつか東方の海に浮かぶ島々を見出し、その島々に聳え立つ山にて神を祀り、新しい国家を樹立するという思いが、いつもイザヤの心の中には秘められていたことでしょう。イザヤの目は、神が導く東方の新天地に、ひたすら向けられていたのです。そして神宝を携えて船旅に出たイザヤとその民は、やがて日本列島を見出すことになります。


https://www.historyjp.com/article/187/#i

イザヤ書に記された 国外脱出の道

東方に浮かぶ海の島々に約束された新天地

イザヤ書

国家の崩壊を警告するイザヤの預言

紀元前8世紀、国家の崩壊を目前にしたイスラエルの10部族と南ユダ王国2部族に対し、預言者イザヤはユダ王国の首都、エルサレムから南北の同朋に対して警告のメッセージを投げかけていました。イザヤの思いは、旧約聖書のイザヤ書に詳細が記されています。66章からなるイザヤ書の前半、24章13節までは、緊迫した時代を背景に、さまざまな警告とともに大胆な裁きについての預言が綴られています。

イザヤが預言者として活躍した時代、現実的な問題として北イスラエル王国はアッシリア帝国による攻撃を目前に控えていただけでなく、南ユダ王国も徐々に崩壊の道を辿り、国家の滅亡は時間の問題でした。そして侵略の恐怖に日々さらされる中、いざ、国家がアッシリアの大軍により攻撃を受けて敗退し始めると、その緊迫した政治情勢を背景に、イスラエルの民の危機感は一気に高まったのです。そして神に救いを求めた民の多くは、国家が滅びる前に一刻も早く、国外へ脱出することを望んだに違いありません。

それ故、イザヤが語る神の教えや御告げ、導きの言葉は預言も含め、イスラエルの民にとっては特別な意味をもつことになります。

イスラエルに残された希望の光インマヌエル

イザヤ書には神の裁きがアッシリアから押し寄せる大軍の攻撃によって成し遂げられ、南北イスラエル国家の崩壊へと繋がることが綴られています。さらには周辺国家への厳しい裁きについても言及されています。しかし、それらの厳しき裁きに関する預言の言葉の合間に、希望と救いのメッセージが書かれている点も見逃せません。特にイザヤ書6章から12章には、イスラエルの救いの道が残されていることが記載されています。

ある日、イザヤは祈りのうちに、救いの印として「神がともにおられる」ということを意味する「インマヌエル」と呼ばれる男の子が与えられることを悟ります(7章14節)。すると間もなく、その言葉のとおり、男の子がイザヤと女預言者との間に誕生します。9章6節には、その幼子が神の霊が伴う国家のリーダーとして、「驚くべき指導者、力ある神」の象徴となることも預言され、イザヤは神の導きにより、惨事の中にあってもイスラエルが平和の道を見出すことができることを悟りました。

それ故、預言者イザヤは神の裁きによりイスラエルを含む諸国が崩壊していく最中、一筋の光明となる救い主の象徴とも言える子どもが生まれ、その子に希望を託することが重要であることを、人々に訴えたことでしょう。「見よ、わたしと、主がわたしにゆだねられた子らは、シオンの山に住まわれる万軍の主が与えられたイスラエルのしるしと奇跡である」(8章18節)と書いてあるとおりです。その「インマヌエル」とも呼ばれるイザヤの子は、悪を懲らしめて人々を神のもとへと導くだけでなく、イザヤとその子どもたちと共に、「イスラエルのしるしとなり、奇跡となっている」と神から告げられたとおり、救いの道を示すことになります。「インマヌエル」という名前の意味には、救いと希望の道が残されているという確信が込められていたのです。

神の裁きと救いの道への希望

イザヤの祈りのうちに与えられた、イスラエルの救いの象徴とも言える「インマヌエル」と呼ばれた男の子には、別名で「速やかな略奪と捕獲」(マヘル・シャラル・ハシ・バズ)という、間近に迫る戦争と略奪を暗示する名も与えられました(8章1節)。それは国家の滅亡を象徴する名前でもありました。その言葉のとおり、イザヤが語った預言の直後の前731年、ダマスコ(現・ダマスカス)が陥落し、それから9年後の前722年には北イスラエル王国が滅亡し、アッシリアの占領下に置かれたのです。

しかし、神を信じる民にとってこの「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」の預言は、北イスラエル王国の崩壊が速やかに訪れることを予知するだけに留まらず、南ユダ王国の危機も予感できるものでした。よって緊迫が連日増し加わる最中、神を信じる民にとって、「略奪と捕獲」により国家が滅びる前に速やかに救いの道を見出し、国外に脱出することを企てることが急務となったことでしょう。

その国難を逃れるという至難の道筋には、神が約束された希望が残されていました。その救いのシンボルがイザヤの子、「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」であり、その恩恵にイスラエルの民が預かったがゆえに、信仰の民は祖国を後に見知らぬ地へと旅立つ勇気が与えられたのです。そして「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見た」(9章1節)という神からイザヤに与えられた言葉が、彼らの心の支えになったはずです。

イザヤの言葉をとおしてイスラエルの民は救いの恩恵に預かったがゆえに、たとえ国家が侵略され、敵国が激流のように国家になだれこんで首の皮一枚までに達しても、神の守護が約束されたことを信じて国外脱出を考えることができたのです。国家の崩壊という激流の中に残された民が国を脱出することは極めて困難なことだったにもかかわらず、「その広げた翼は国土の隅々まで満たし」、「神が我らとともにおられる」というインマヌエルの意味のとおり、人々が救われる計画が示されたのです。こうしてインマヌエルの神が導かれる所は、どこにおいても人々は救いの道を見出し、未知の東方へと向かっても、速やかに相手を征服することができる力と権威が与えられたと信じられるようになったのではないでしょうか。

東方の島々へ脱出を思い立つイザヤ

北イスラエル王国が紀元前722年に滅びた後、南ユダ王国ではイザヤによる国王への助言により、一旦はヒゼキヤ王による過去に例をみないほどの大規模な宗教改革が行われました。しかしながら、かたくなな民の心はさほど変わることもなく、国土全体が偶像礼拝に満ちていたことから、南ユダ王国に対しても神の裁きがくだり、国家の滅亡が間近に迫っていることがイザヤには見えていました。それ故、神から託された契約の箱をはじめとする神宝を、何としても国家の崩壊と略奪という最悪の事態から守り、神を信じる人々を導きながら新天地へと向かう必要に迫られていたのです。イザヤはいつか、自らが国を去る運命にあることを心得ていました。

直後、北イスラエル王国がアッシリアからの侵略により、崩壊する運命となりました。そして南ユダ王国の人々も恐怖に慄いていたころ、エルサレムの宮殿で仕えていたイザヤは祈りのうちに、アジアの東方にある海の島々に新天地があることを悟ります (24章15節)。イザヤ書には所々に、希望と救いのメッセージが書かれている点も見逃せません。イザヤ書には幾度となく島々についての記載があり、特に東方の「海の島々」や聖なる山に、救いの道が残されていることがほのめかされていることには注目です。島国とは全く縁のない西アジアのイスラエルにてイザヤは、遠くの東に浮かぶ島々で神を崇めることを預言したのです。

その結果、イザヤは宮で仕える働き人や家族らとともに東方の島々に向けて旅立つ準備をはじめ、神の存在を象徴する証の箱、すなわち契約の箱なる聖櫃も携えて、東の海の島々を目指してエルサレムを脱出するプランが立てられたと想定されます。そしてイザヤの言葉に励まされた大勢の民は、北イスラエル王国が崩壊した後、南ユダ王国も滅びに至る危機に直面していたちょうどその時、イザヤのリーダーシップに従って密かに国を去り、新天地に向けて旅立ったと考えられるのです。その先陣をきったのがイザヤとその仕え人達であり、船に乗って新天地へと旅立った後、もはや振り返ることはありませんでした。こうしてイザヤ、イスラエルの歴史の中から突如として、姿を消すこととなります。

「東の地で神を崇めよ!海の島々で、神の名、イスラエルの神を!」というイザヤに与えられた神の声(24章15節)を確信したイザヤは、アジア大陸の南岸に沿って、太陽が昇る東の方へ向けて航海を続けました。そして神から与えられた言葉のとおり、いつか東方の海に浮かぶ島々を見出し、その島々に聳え立つ山にて神を祀り、新しい国家を樹立するという思いが、いつもイザヤの心の中には秘められていたことでしょう。イザヤの目は、神が導く東方の新天地に、ひたすら向けられていたのです。そして神宝を携えて船旅に出たイザヤとその民は、やがて日本列島を見出すことになります。

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