【天孫降臨とインドのドラヴィダ人】古代世界最高の航海術を持ったインド人とタミル語が日本にやって来た!
魏志倭人伝にははるか南方の記述があります。
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里 | また、その南に、人の身長が三、四尺という侏儒国がある。女王から四千余里離れている。 | |
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至參 | またその東南に裸国、黒歯国があり、船で一年かかって至ることができる。 女王国を去って4千里のところに裸国黒歯国があり、それは船で一年かかるとなります |
そしてイザナギイザナミ神話は南方の海洋民の神話との共通が多いと言います。
3世紀の邪馬台国、ひいてはもっと前の紀元0年前後の時代に、倭国が南方との交易があるとするならばという話です。
邪馬台国時代には中国は魏ですがそれより前の漢の時代
日本は奴国が倭王の称号をもらって朝貢していた時代ですね。
この時代に
漢民族の22人の骨がイギリスで見つかっている。
ロンドン近郊の川辺で発見されて去年大発見だと騒ぎになっています。
そして1世紀から3世紀の頃、
インドネシアでローマの金貨が見つかっています。
つまり
間接的にでも海のシルクロードは
ヨーロッパ、ローマと
中国やインドネシアとつながっていたのですね。
それにはインド洋航海をしたドラビダ人の航海術が不可欠でした。
さてインドです。
******************************
古代南インドの活動領域については我々のイメージは全く追いついていません。
上記ピンク部分は押し寄せたアーリア人の国ですね。
世界4大河文明というのがありますね。
いまでは12文明とかになっていて4つどころではないとなっていますが、インド代表は
インダス文明です。
これをつくったのがドラヴィダ人です。
かの有名なモヘンジョダロを作った人たちです
さてそれでインド神話によると
北からやってきたアーリア人たちはドラビダ人の神を悪魔の神とよび、
ドラビダ人の地域ではその神は当然正義の神となりますから、インドでは山の向こうとこちらで同じ神が正義だったり悪魔だったりすることがあるようです。
ドラビダ人は北方から押し寄せるアーリア人に負けて南へ逃げて、アーンドラ朝などを作ったというわけです。地図上の南側の王朝はたぶんドラビダ人の国ではないのだろうかと思います。
********************
当時のユーラシア大陸の交通網です。
紀元0年あたりの頃です。
海のシルクロードを見ると、各地の海路をつなげるとローマ帝国と漢はつながってますね。すると必然として、広州、泉州と長江はつながるでしょう。
そして長江と朝鮮半島や日本列島もつながるから、海のシルクロードの終点は日本列島ですね。
つまり日本とローマは海路でつながっていると言えないこともないわけです。
誤解のないように述べますが
もちろんこれをもって現代のように、
ヨーロッパとアジアを自由に行き来していたということではありません。
各地の海路はそこで自己完結していて、
たとえば長江からインドに直接いくこさえなかったとおもいますし、
ローマからインドというのも
地中海の航海者と西インドの航海者ば別であり、
西インド洋と東インド洋も別であり、結果としてしかしつながっているということです。
海上版のインターネットのようなものでしょうか。
そのアーンドラ朝が邪馬台国前夜の時代、国際交易の国として隆盛を極めます。
なんといってもその航海術がすごい。インド洋を横断していますよね。
この海路、NHKでも紹介されていましたし、世界史の教科書に昔から載っています。
陸路伝いではなく一気にアラビア半島からインド半島に航海しています。
これがどれだけすごいことかというと
上の地図のラインの距離は最長3000キロくらいありますし、ちょっと外洋航海するだけで1000キロなのですね。
赤線は長い方が3000キロくらい。短い方が1500キロです。
これを東アジアに当てはめると
この赤線は1000キロから1200キロくらいです。
3000キロというと日本の九州からベトナム近くまで行きますね。
つまりドラビダ人たちが駐屯していたベトナムのオケアから
ドラビダ人の航海術を使えば
そのまま日本列島にも来れるということですね。
少なくとも長江あたりへは行くのですから
難破したドラビダ人船団が日本に来たかもしれない。
その邂逅が神話の中に反映しているかもしれない。
その鍵の一つがタミル語で神話の神々を読み解くと驚くほど意味が通るというのが
あります。
日本語の起源そのものではないが天孫族の起源にはなっているかもしれない。
そんな話ですね。
インドのタミル語が日本語の起源であるという説があります。その説には構造的に欠陥があり、今では
ほぼ否定されていますが、まあ、原語の起源とはいかなくても、ドラビダ人との交流が相当程度あったのではないかと想像するのも楽しいものです。
日本語とタミル語 (1981年) | |
大野 晋 | |
新潮社 |
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿