解読進む古代都市バビロンの天文日誌 最古のオーロラ記録も
旧約聖書に登場する「バベルの塔」で知られる古代メソポタミア(現在のイラク)の大都市バビロンの遺跡で大量に見つかった「天文日誌」の解読が、筑波大の研究者によって進められている。書かれた期間は約600年間におよび、天体観測や物価、歴史的事件など内容もさまざまだ。未知の出来事を伝える生の記録で、今後の研究成果が期待される。
未解読の粘土板は1000枚
天文日誌は、粘土板に葦の茎を押し付ける形で、古代メソポタミア文明の楔形(くさびがた)文字が刻まれたものだ。19世紀後半にバビロンの遺跡で大量に見つかり、英国の大英博物館に収められた。言語は当時のアッカド語が使われていた。
解読を進める筑波大の三津間(みつま)康幸助教(古代西アジア史)によると、これまでに見つかった粘土板の断片は、天文日誌の本体と日誌作成のために用いられたメモ書きなどを合わせた約1700枚。このうち約700枚が欧米の研究者によって解読された。
天文日誌が書き継がれた期間は、解読された範囲だけでも紀元前652年から同61年までの約600年間におよぶ。
そのうち自然科学の観点から注目されるのが、オーロラとみられる現象の世界最古の記録だ。天文日誌によると、紀元前567年3月12日から13日にかけての夜、西の空で4時間にわたって「赤い光」が輝いた。
オーロラといえば北極や南極のような高緯度で見られるイメージが強いが、まれに低緯度でも見られる。日本上空でも過去に赤い色で輝く様子が観測されてきた。バビロンは日本とほぼ同じ緯度で、天文日誌では他にもオーロラとみられる記録が何回か登場する。
三津間さんは、天体観測を行う目的の変化にも注目する。当初は人々の未来を占う占星術との関連が強かったが、後に天体現象を予測する方向へと移っていったことから「天文学の起源は、この辺りにあるのではないか」と考えている。
アレクサンドロス大王の記録も
三津間さんは、2011年から2年ほどロンドンに滞在。大英博物館に通い、未解読の粘土板を中心に約8万枚の写真を撮影した。楔形文字は粘土板の表だけでなく裏や側面などにも刻まれているため、これだけの枚数になったという。
天文日誌は月ごとに区切られて記録され、大きさが約20センチ四方の粘土板1枚で半年分をカバーしていた。天体の運行や天候、ユーフラテス川の水位に加え、大麦やナツメヤシ、羊毛を始めとした農畜産物の価格や歴史的な事件なども詳細に記録されている。
天文日誌を残したのは、バビロンの主神マルドゥクを祭る神殿で天体観測に関わってきた学者たちだ。三津間さんは「当時の神殿は企業的な性格も有し、経済活動を行っていた。そのこともあって詳細な記録を残したのでは」と推測する。
天文日誌が書かれた期間には、ユダヤ人のバビロン捕囚や、アケメネス朝ペルシャ帝国を破ったアレクサンドロス大王のバビロン入城といった世界史上の出来事が次々と起きた。歴代の学者たちは、それらの目撃者でもあったわけだ。
古代の"ビッグデータ"
バビロンは、イラクの首都バグダッドから南へ約90キロのユーフラテス川沿いに成立し、紀元前18世紀ごろには「目には目を、歯には歯を」の法典で知られるハンムラビ王が統治した。
天文日誌が書かれていた紀元前6世紀ごろには、新バビロニア王国の首都として繁栄。日干しれんがの城壁や天然のアスファルトを用いた舗装道路も作られ、人口は当時としては空前の約20万人にも達した。
学者たちが仕えた神殿には「ジッグラト」と呼ばれる高層建築物もあり、これがバベルの塔のモデルとなったとされる。まさに古代メソポタミア文明を象徴する大都市だったが、紀元後2世紀までに街は廃れ、楔形文字も失われた。
バベルの塔の下で連綿と書き継がれてきたバビロン天文日誌。三津間さんは「これはいわばビッグデータだ。未知の出来事に加え、河川の水位や農作物の価格などから当時の気候変動が分かるかもしれない。ライフワークとして解読に取り組みたい」と意気込む。(科学部 小野晋史)
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