顕名霊社
三井家の先祖を祀る祖霊社「顕名霊社」。没後100年を経過した三井家当主夫妻が神として合祀されており、幾多の変遷を経て、現在は東京・向島にある三井家の守護社・三囲神社内の一角に鎮座している。
呉服を商う三井家は京都で養蚕の神・木嶋神社を信仰しており、宝暦元年(1751)、「顕名霊社」として勧請し、神社内に社殿を設けた。しかし、明治に入り、廃仏毀釈運動が活発化。神社・仏閣の排斥が進む中で、明治7年(1874)、顕名霊社は木嶋神社から京都・油小路の三井総領家邸内への遷座を余儀なくされる。一方、京都から東京へ事業拠点を移した三井家では同年、東京・深川の三井家別邸内にも顕名霊社の社殿を新たに造営し、京都・東京の両地で祖先の御霊を祀った。
下鴨の地に遷座
京都の顕名霊社は、廃仏毀釈運動の終息とともに木嶋神社に戻されたが、三井家は明治31年(1898)、京都・下鴨神社の南側に6,000坪の土地を購入。明治42年(1909)、三井家の遠祖・三井高安の300年忌に際し、下鴨の地に遷座された。同地では三井家による盛大な例祭が執り行われてきたが、戦後の財閥解体を受け下鴨の地は国有化される。顕名霊社は再び、油小路の三井総領家邸内に戻されるが、総領家邸も昭和33年(1958)に処分。社殿は総領家と縁戚の福井松平家の氏神「佐佳枝廼社」に譲渡されたが、その社殿も昭和末期に福井市の土地開発事業計画により撤去され、「御霊璽」は東京の顕名霊社に移された。なお、社殿は解体・移転費の負担を条件に茨城県の有志が無償で引き取った。
変遷を経て三囲神社内に
東京の社殿は三井邸の造営や空襲などの影響で、深川、土手三番町、麻布、用賀と遷座を重ねる。罹災を免れた社殿は戦後、西麻布の総領家邸に落ち着くが、三井総領家第11代・三井八郎右衞門高公当主の死後、邸の解体に伴い(三井八郎右衞門邸、江戸東京たてもの園に移築・復元)、平成6年(1994)、東京・向島にある三井家の守護社・三囲神社内に移築され、現在に至る。社殿は柵に囲われ、通常は非公開。
なお、顕名霊社の珍しい三本柱の鳥居は木嶋神社にある「三柱鳥居」を模して明治の遷座に際して造営されたもの。社殿とともに、三囲神社の裏手にひっそりと佇んでいる。
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