2024年3月2日土曜日

東三河のピラミッドと東ヤマト ユズルハ 

東三河のピラミッドと東ヤマト

 また、この地方に「ゆずりは」や「矢部」という地名があるが、「ユズルハ」は、
「ユダヤ魂」を意味するといわれる。「ヤベ」は、「ヤーベ」と同音である。
 新城市「豊島」付近の「法性寺」に、ユダヤの痕跡を示す遺跡があると言われる。

http://kodaishinto.my.coocan.jp/page005.html

東三河のピラミッドと東ヤマト

世界のピラミッド考                              

1.ムー文明とピラミッド                            

 小泉源太郎氏の「ムー大陸原典」によれば、ムーの神官皇帝クロソーは、太陽
神礼拝の制度を創った、という。 また、火山が爆発し、噴出する溶岩が傾斜のな
い地面にたまり、冷えて、側面が段状をなす奇妙な円錐形の岩となった。ムーには
このような円錐岩が沢山あって、「古き者たち」(ムーに先行する洞窟人)の宿る聖
地として崇められた。
 ムー大陸の子孫たちは全世界に広がって、北米のマウンド・ビルダーの蛇塚、ネ
バダの岩石碑文、メキシコの人頭石、ピラミッド、アマゾン地方の彩石碑文、中国
の「竜の道」、ヨーロッパ北部のメンヒル、ストーンサークル、ストーンヘンジの創作
へとつながっていったという。

 アメリカインディアン・ホピ族の祖先は、太平洋の今は沈んだ陸地から、アメリカ
にやってきたと伝えている。ホピ族は日本の古代のヘビ族だともいわれているので
ある。  
 これらの話の中で、興味深いのは、ムー大陸に噴出した溶岩の堆積が円錐状の
丘となってあちこちに存在しただろうということである。この円錐は遠くからの目印
になったし、「人類の母なる国」の特異な景観ともなっていた。「地の丘の国」「粘土
の国」というような形容が生まれたのはこのためだという。
 そして、この「地の丘」のうち巨大な円錐は神聖化された。そこで、皇帝ラ・ムーや
ムー神官たちは、ムーが破滅から救われるように、祭儀を催し、三角形が表象化
されていったという。
 この円錐、三角形の山こそ、ピラミッドの原点ではないのか。           
 ピラミッドは太平洋周辺の各地にあるし、エジプトにもわざわざ造られた。
 酒井勝軍氏の説によれば、日本列島各地にも、三角断面形状の山が存在し、太
陽神を祭る日来神宮・ピラミッドとして、祭儀を催し、崇められている。

 東三河の山々も、石巻山を始めとして、旧"穂の国"周囲を取り巻く、三角形状山
の頂上には、メンヒルや、磐座が築かれ、祭儀をもたれたあとがある。本宮山の砥
鹿神社もその一つであり、頂上には粘土がある。
 まさに。伝説のムー大陸に対していわれていることが、東三河には、現存してい
るのである。

 環太平洋ピラミッド文明は、ムー文明であり、それは、4~5万年前からの新人
のつくった、巨石ピラミッド文明で、日本列島ないしその南方の海中に沈んだムー
大陸の文明であったと考えられる。                          

2.秀真伝とピラミッド                             

 日本にピラミッドがあると提唱したのは、昭和に入ってからで、酒井勝軍氏が、広
島県の葦岳山をピラミッドと比定したのが始まりと考えられたが、既に、古史古伝
の「秀真伝(ほつまつたえ)」にピラミッドの思想が表されていた。
 鳥居礼著「"秀真伝"が明かす超古代の秘密」(日本文芸社)によれば、ピラミッド
の謎は「高天原の原理」によって解ける、という。                  
 若干、引用させていただくと、                         

 「修験道の「神奈備信仰」は山を神の霊(ひ)のこもれるものとする古代民族の信
仰で、その山には神の霊をこめるための神離(ひもろぎ)を立て、磐堺(いわさか)
を祭るのがつねとされる。また、その神の霊を祖先の霊とするのが、古い形である
とも考えられている。「神奈備山」とは、天界「高天の原」に帰るための地上の「高
天の腹」なのである。山は地上の腹であり、子宮ともいえる。
 このような「高天の腹」としての「神奈備信仰」や、天界との交流地としての「高天
の原」の超古代伝承が、エジプトにも伝えられ、そこに美しい山がなかったために、
人工的にピラミッドを建設したのである。
 酒井勝軍がピラミッドは「天の御柱」の「八尋の殿」であるとしている点も「秀真
伝」の思想とまったく一致している。」                        
ということである。                               

 ところで、「秀真伝」とはどういう文献であろうか。
 佐治芳彦著「謎の秀真伝」(徳間書店)で紹介される「秀真伝」は次の通りであ
る。
「秀真伝は、景行天皇の朝に成立と伝えられ、世界の創成から大和武尊までを、"
ホツマ文字と呼ばれる神代文字で描いた一大叙事詩である。その長さは、七五調
で一万行に及び"日本書紀"の原典ともいわれ、その内容は記紀編纂の過程で棄
てられたものまで包含するため、記紀理解のうえで貴重な注釈書の役割を果たし
ている。」

 「秀真伝の編者は、クシミカタマノミコト、オオタタネコノミコトといわれ、大物主系
の伝承と云うことになる。大物主神(三輪山信仰の神)は日本列島の国土神であ
り、出雲神話の主人公である大国主命と同一視されている。つまり、天孫族に国
譲りさせられた先住民の最高神である。」                        
     

 秀真伝に現れる「神々」は、記紀とほぼ同一であるが、特に注目されるのは「創
世伝承」の中の「アメノミヲヤノ神」の存在と「初(うい)の一息」の記述である。
 「アメノミヲヤノ神」は、地上に生まれたアメノミナカヌシノ神以前の、宇宙的"始源
神"であり、「旧約聖書」に登場する、天地を創造した「ヤハウェー」に近い存在であ
る。つまり、竹内文書の「モトフミクライヌシノオオ神」と通ずるものがある。
 また、興味があるのは、「扶桑国蓬莱参山章(コエクニハラミヤマノアヤ)」であ
る。扶桑国(コエクニ)とは、日本の古称のひとつというが、日本の中部には扶桑国
と呼ばれていたところがある。それは、東三河の鳳来町(蓬莱の呼称がある)であ
る。 蓬莱参山(はらみやま)は通常"富士山"と解されている。しかし、豊橋蓬莱と
いう言葉があるし、東海三神山も東三河にある。よって、蓬莱参山は"ホウライ三
山"と解することができる。

 つまり、秀真伝では、皇孫ニニキネノミコトによる、通常富士山麓の蓬莱宮(はら
みやでの治世を語るもので、コノハナサクヤヒメとのロマンスが記されているという
のであるが、筆者は、これこそ、不二山といわれた東海三神山の麓、即ち、三河
一宮の本宮山の麓の出来事と解するのである。

 秀真伝の天孫降臨伝説は、まさに「宮下文書」と同一で、東三河高天原を裏付け
る資料となっている。
 そもそも、「秀真伝(ほつまつたえ)」の名称自体、穂の真国伝を表している。
東三河が、穂の国で、その内陸部に「真国」(新城市)がある。            
そして、高天原は、日高見国(ヒタカミノクニ)にあったと云うのであるが、日高見は
東北仙台ではなく、設楽国(シタラノクニ=シタカミノクニ)、つまり、新城市、鳳来町
を含む設楽郡にあったのである。またシタラのラは羅にあたり、国、村、太陽を表
しているか。
 この地方の山々は、三角形状断面のピラミッドを思わせるものが無数にある。そ
して、その山頂には、磐倉、メンヒルが立てられ、祭祀が行われていた。
 まさに、高天原はピラミッドの発祥地の如くである。
 筆者は、石巻山、本宮山、照山、船着山、明神山、神野山などに、ピラミッドの原
形をみている。                                   

3.その他のピラミッド                             

 ヒンズー教の須弥山はピラミッドである。
 また、ユダヤの祖・アブラハムが、エホバの神に、イサクを奉じようとしたところ、
モリヤの山もピラミッドである。
 秦の始皇帝が、神人交流の封禅の儀式をおこなった泰山もピラミッドである。始
皇帝はあちこちの三角山の頂上に立石を設け聖化していった。
 日本の三角山の頂上の多くには、磐座がおかれ、神の降りる山として崇められ
ている。 韓国でピラミッドをプシと呼ぶ。尖り山もプシという。すなわち、フジであ
る。    エジプトのピラミッドも山のことである。
 太陽神を祭る三角山がピラミッドとすれば、全世界にピラミッドは分布している。
エジプト、インド、シュメール、クメール、南米マヤ、アステカ、それに日本の山岳、
磐座信仰がそうである。
 中米の謎のオルメク文明(BC1500以前)の地ラベンダには、段状四角錐ピラミ
ッドに加えて、円錐形のピラミッドがある。壁面に10のうねりがあり、高さ30m、直
径60mほどで、あらゆる基準からみて巨大な記念碑と判断されている。(グラハ
ム・ハンコック著、大地舜訳「神々の指紋」(翔泳社)1996.2)           
                                       
 ピラミッドは平面分布して、ストーンサークルになり、また天之御柱になった。  
 
 また、古墳はピラミッドの変形である。 いずれも神のよりどころである。

 伊勢の内宮床下に祭られる真の神(心の御柱)は天の根元神であり、地に降り
たアラハバキ神の表象であった
 東三河照山の頂上にあった「天地主大神の璽」は根元神の表象である。     
  

<参考>                                   
 伊勢神宮の心の御柱の考察                            
 グラハム・ハンコック著「神々の指紋」によれば、世界の古代文明は、世界を臼
の回転や回転軸あるいは独楽(こま)になぞらえた神話をもっているという。
 1969年に出版された「ハムレットの臼」(サンティラーナ、デヒエント著)では、彼
らが解読した古代の科学的言語において、「水車の心棒のように"世界の軸を表
現している"。この軸は外側に伸び、(北半球の人からみれば)天球の北極に至っ
ている。
これが直感的に連想させるのは、真っすぐ立った柱だ。・・・軸は天球面の大円を
思い起こさせるだろう。天球面の2つの大円とは、春分や冬至の時を示す分点経
線と至点経線である。」と。
 つまり、古代人は地球をある軸を中心として回転する臼であると見抜いていたの
である。
 これが伊勢神宮の心の御柱や、諏訪神社の御柱祭りに受け継がれてきたので
はないか。地球の回転軸は天の御柱であり、地球は歳差運動をしながら回転する
臼である。それは、相似現象として、大は太陽系の回転軸と回転する惑星群であ
り、銀河の中心軸と銀河系である。小は原子の核と電子の回転を表す。      
               
 神話レベルで云えば、心の御柱は、天父神であり、世界は地母神である。そし
て、人間レベルでは、人間の再生を司る陽根と陰局部を表す。
 古代の神社で祭られた祭器、石棒と石板は陽根と陰局を表すと思われるが、世
界現象全てを表すものでもあるのだ。
 この延長から、日本各地にあるストーンサークルも、陽と陰からなる性器の表象
だけではなく、軸と臼からなる根元的世界を表しているのかも知れない。
 アラハバキ神は、陽神と陰神から生まれた第1の創出神「アラ(父)・ハバキ(地
母神)」であり、根元神である。そして、伊勢神宮の心の御柱に表象されてきたので
あろう。この神は古代神都・東三河の本宮山や大宮の石座神社でも祭られていた
のである。                                           
  

4.日本のピラミッド文明                        
       

 日本のピラミッド文明については、酒井勝軍氏は2万年前の巨石文明の一環と
見ている。このころは、ウルム氷河紀の最終段階で、世界の陸地が広がり、日本
も中国大陸と繋がっていた。チャーチワードが唱えるムー大陸も太平洋の島として
ポリネシア、ミクロネシア、イースター島、ハワイ島に分散して今より相当大きな
島々として存在していたであろう。フランスが核実験をおこなって問題をかもしだし
ているムルロア環礁はムーの名残かも知れない。
 日本南海については、伊豆東南の小笠原諸島からマリアナ諸島、九州南西の沖
縄諸島から台湾が大きな島や陸橋として存在していた。沖縄の湊川人(多量の人
骨が島の断崖の約2万年前の地層から発見された。)はこのころの旧石器人であ
る。

 また、日本列島中部の伊勢、渥美半島は連結し、伊勢湾、三河湾は大きな湖を
なしていた。伊勢~伊良湖の沖合まで陸地を形成し、旧石器人が想像外の高度な
文明を築いていたかも知れない。
なぜなら、伊勢の沖合に神島があり、その周辺の海底には竜宮があったという伝
承がある。伊勢の海女が、海にもぐるのも、古い都をしたって還る深層心理が働い
ているのかもしれないのである。
 二見ケ浦の夫婦岩もその古代の都を想って注連縄をかけ、拝まれているのかも
知れない。伊勢の沖には、アラハバキ神を祭る島があったり、紀州の沖には常世
の国があったと云われている。紀州の牟屡郡、三河の牟呂はつながり、ムーの国
を形成していたと考えられる

 竹内文書に出てくる、ミヨイ国は、ムー大陸だといわれるが、筆者は、日本列島
の南海に沈む陸棚と、太平洋に浮かぶ島々(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシ
ャル諸島、フィージー諸島、ハワイ諸島、ツアモツ諸島)が、2万年前から海進の始
まる1万2千年前の、ミヨイ国であり、ムー大陸であったと想像するのである。

 日本のピラミッド文明はそんな所に生まれたのであろう。 伊良湖水道にある神
島は一つのピラミッドであったろう。また、少し北の三河のあちこちの山も神の山で
ある。石巻山、砥神山、蔵王山、本宮山などは神山の名残を遺している。頂上に
磐座を持ち太陽信仰がある。不思議にも、伊勢、三河、そして、日本列島全体と沖
縄にも原始的太陽信仰があるようなのだ。
 与那国海底遺跡で現れた、石造のグスクや環状列石も、ピラミッド志向の延長線
上にあるものかも知れない。

 これらは、1万2千年前に沈んだ、伊勢の沖の神国(ムー)の名残という仮説を提
唱しておく。伊勢湾とその沖の海底考古学がすすめば、これらは証明されるであろ
う。

 このような観点からすれば、エジプトのピラミッドは紀元前2800年作成(本当は
もっと古いと思われるが)といわれているから、随分と時代が下ったところでの作品
である。マヤのマチュピチュ山や、後期マヤ文明のピラミッドも更に時代が下る。

 古代中国でも蓬莱山を含む三神山とか、山東半島北東海岸に沿う之不・成石・
浪邪などの代表的名山を巡り祭る風習があった、というから山岳崇拝(ピラミッド崇
拝)の信仰があったようだ。
 ただ、いずれも、尖り山と太陽信仰が共通しており、環太平洋というより、世界的
ピラミッド文明が紀元前数世紀までに存在していたのである。

                                        
5.石巻山ピラミッドは須弥山か
                         
愛知県豊橋市の東北にある石巻山は、その形状、祭祀場的性格、遥拝所を周
囲にもつという被礼拝性から云って、東北秋田県鹿角市の黒又山と同様の古代環
太平洋文明の一翼を担うピラミッドであろう。
 石巻山の山上社より上は階段状の段を形成している。この段は南北朝の時代
(14世紀半 ば)に高井主膳正と いう石巻本町の玉川に居城を持つ南朝側の城主
が隠れ城としてこの 石巻山を段状に拓き、北朝の侵攻に備えたと云うのである
が、まとまった広さの城跡はなく、建物を建てるようにはなっていなかったようであ
る。

 しかし鈴木旭氏著の"ピラミッドの正体"に記されているのと同様、段状物は環太
平洋文化共通の段状ピラミッドの基本形状をなすもので、段状ピラミッドの段を利
用して、高井主膳正が砦を築いたに違いない。
地元の今井氏の談によれば、山上神社より頂上側は、自然の山ではないと云わ
れているとのことである。つまりクロマンタと同様、人工の手のはいった段状三角
山であった可能性がある。
この石巻山には竜が3周り半巻き付いていたという云われがあるし、蛇穴があ
り、蛇信仰の原点である大巳貴が主神として祀られている。蛇神=龍神信仰がま
さに行われていた縄文遺跡であった。

一方、「太陽信仰の祀り場」としての機能はどうであったかと言うと、これは、山頂
を中心として、周囲数KMにわたり、3重4重に取り巻く40社を越える神社群があ
る。その配置は、東西南北、および45度回転した8方向に整然と配置されており、
神社のあるものには、遥拝石を有し、その創立時期も古代に遡り、時期不詳という
社が多い。

配置された神社の幾何学的位置関係はとくに、内周の神社において整然として
いる。 3角形状組み合わせからなり、神社と山頂を結ぶ線は、夏至、冬至、春秋
分の日の出、日没の位置と関係があるようである。不思議なことにこの神社配置
は正確に東西南北を指すものではなく、5から7度時計と逆向きに捻れているので
ある。鈴木旭氏の論ずるクロマンタにおいてもこのような捻れが5度程度あり、そ
の原因は、地球の歳差運動に基づく南北軸のズレが表現されているものであると
いう。そうであれば、石巻山の周囲の遥拝所が基本配置された時期は、クロマンタ
より更に古く、約5000年前の前期縄文時代であることになる。 石巻山山麓の神郷
や東南の牛川町には、縄文時代の土器片や鏃が出土しており、縄文人が集団居
住していたことをしめす痕跡は多い。
つまり、石巻山は古代日本の縄文人の精神的基盤である神の山であり、それは
環太平洋ピラミッド文化の一環に組み込まれたまさにピラミッドそのものであった
のである。

更に、この山は密教でいう天國山、須彌山であった可能性がある。        
  1993年の夏、石巻山の周辺の神社群を調査していたところ、山上社のほぼ
真北にある東光寺の前方にメンヒル(立石)があることを見いだしていた。そして、
この立石には細かい漢字がぎっしりと刻み込まれている。その書き出しは、    
                          

天國峰之権主安楽坊 字茂敬行順頗深 選深山岩岳
不厭風雨雪霜 或十旬或百旬 修顕密秘 夏則無貴無賤
諸障往往 蒙益者幾萬人千茲従 ・・・                    

つまり、天国峰の権主、密教の宗主安楽坊行順が石巻山頂上で修験し、金光妙
経を作り、写経を石巻山の岩塔の下に埋めたというのである。
この場合、仮にしろ、石巻山は天国峰の代わりのものと見られている。すなわ
ち、ヒンズー・仏教の説く須彌山(シュミセン)と考えられているのである。

渡部勇王氏著の「古事記」大予言(徳間書店発行1992.9)によれば須彌山信仰は
古事記 に記された高天原信仰と一致するという。
須彌山はSumelの音写で仏教の宇宙観にあっては、大海の中にあって、世界の
中心に聳 える巨大な霊峰である。その構造は七段の階段構造からなるピラミッド
そのものである。中央の須彌山を7つの陸地と7つの海が取り囲み、その外側に
更に外海があって4つの州が浮かび、更にその外側を一つの陸地が取り囲むと言
うように、須彌山を8つの地と8つの海が取り巻いてい
る。      

須彌山は古代バビロニア(シュメールの後身都市)のジグラートや空中庭園と酷
似しており、キリスト教の描いたエデンの園でもあるという。

石巻山の北麓は神郷、取り巻く山を隔ててその北の町は古代には須瀬(スセ)、
(今は嵩山(スゼ))と呼ばれた。縄文海進の頃は須瀬まで海が浸入していたと考え
られ、嵩山の蛇穴の前の追間が池が貝殻の捨て場になっていた。とすれば中心を
なす石巻山は当然「須山」即ち「須彌山」であり、天国峰であった訳だ。
                                       
ところで、イギリスのヘレフォード寺院に収録されている古代の世界地図・いわゆ
る"ヘレフォード地図"は、東を上にした円形地図で、一番上の頂点にはHEVEN
(天国 ) と記されている。そこはまぎれもなく日本の位置である。
「竹内文献」でも日本を「天国」と記しており、これらの原点はどうやら日本の中央
である東三河の石巻山にあった可能性が高い。
                                       
石巻山は、極めて純度の高い石灰石でできている。同質の石灰石は、チリ南部
と、アラスカにあるという。これらの起源が同一であるというのだ。即ち約5億年前
に太平洋の中央で、珊瑚虫の堆積でできた石灰の山が、大陸移動説の原理によ
って、日本とチリとアラスカに分かれていったのだ。石巻山の上部には特殊な熱帯
植物や、本来海洋性の海が住み着いて陸貝になって生きている。太平洋の真ん
中を突き進む三角形状のピラミッド山、これこそ蓬莱山であり、須弥山である。不
老長寿の薬草が育っているのもうなづける。                       
                   
  石巻山が神山(三輪山、ミワヤマ)と呼ばれたのも、"故あるかな"というところで
ある。 豊橋蓬莱と言う言葉があるが、まさに須彌蓬莱である。
蓬莱は古事記では、高天原と表現されている。他方、いわゆる'古史古伝'の秀真
伝(ホツマツタエ)には、高天原と、ピラミッドの関係が記されている。つまり、ピラミッド
は高天 の原(腹)だと云うのである。須彌蓬莱、高天原、神山、ピラミッドは、一つ
の線で括られるのであった。                               
                                         
 石巻山の頂上には昔、石巻神社の山上社があったという(八名郡史、大正15年
4月発行)。ある年暴風で社殿が吹き飛ばされ山の中腹に留まった。その地が神
意に叶うものとして、後にそこを社地に定めたという。祭神は大巳貴命(オオナムチノミ
コト、大国主命)である が、次のような諸説がある。
                                       
1)大日本史には、「石巻神社相伝祀大巳貴命土人説」と記されている。
2)三河誌第三巻式社考に、「延経神主曰く大山祇神」「或いは曰く天御中主尊」
と。
3)神名帳考証には、「郡名によれば八野若日女命」と。               
4)石巻宮旧記録には、「神勅により文武天皇を配祇す」と。
5)石巻宮古記録には、「文武天皇の若宮武児親王を配祇す」と。
6)大津旧記には、「葺不合尊第2王子の参比古天皇」と。
7)石巻神社諸事和帳には、「勧請イザナギイザナミ尊」と。

なお、石巻神社の里社は古の美和郷(神郷)にあり、孝安天皇時代の設立と伝え
られている。しかし神社設置の場所は、縄文時代の神山遥拝所の石柱や磐座が
元になり、祠を建て神社に成長していったものと思われる。石巻山の周辺にはこの
様な、神社群が40社以上あった。
即ち、石巻神社の祭神として、天御中主尊と言う天地の中心となる神が、古代よ
り、イザナギ・イザナミ尊の勧請によって祀られていたというのである。
天地の中心となる天御中主尊が、日本の國をつくったイザナギ・イザナミ尊によ
って祀られているとはいかにも大変なことであって、これによっても、石巻山が須彌
山と呼ばれる価値のある神山であったと言えよう。                    

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