2024年3月16日土曜日

教科書に書けない…

 


教科書に書けないグローバリストの近現代史 Kindle版 

第一次世界大戦でドイツだけを悪者視する間違い

 渡辺 

 私の歴史修正主義は、「第一次世界大戦とは、いったい何だったのか」を真剣に考えることから始まります。たとえばドイツについてです。   当時のドイツは皇帝ヴィルヘルム二世のパフォーマンス的な動きから、「ドイツはイギリスに負けない大帝国になろうとした」「ドイツは覇権国を目指していた」などと言われます。   大艦隊を建設し、イギリスの海上覇権に挑戦しようとして、イギリスを刺激したと言われます。しかし実際のヴィルヘルム二世は、『ドラえもん』に出てくるジャイアンのような、ただ暴力に頼って、いばり散らすだけの人物ではありません。表向き好戦的パフォーマンスは見せますが、避戦的な心情が強かった。   第一次世界大戦直前のヨーロッパ諸国の外交かけ引きの内幕詳細は拙著『英国の闇チャーチル』(ビジネス社)に書きましたが、ヴィルヘルム二世も独軍部も戦いを望んでおらず、懸命にニコライ二世にロシア軍の動員命令を撤回するよう求めていました。ニコライ二世をけしかけて動員を決断させたのはフランスです。   戦い止むなしと決断したヴィルヘルム二世はベルギーに無害通行を求めています。「ベルギーに被害を与えたら、我々は保障します」と約束したわけです。ドイツは知らなかったのですがベルギーは、密かにイギリス、フランスと通じていた。イギリス軍とフランス軍にベルギーを通過させ、ドイツに攻撃をかけることも考えていました。それを示す史料も見つかっています。   従来のような「ドイツはベルギーを蹂躙した悪いやつ」という単純な歴史観は、もう否定されかかっています。   そうして始まった大戦は戦力が拮抗し消耗戦となり長期化した。アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンは、善意の第三者的に振るまい、講和条約は懲罰的にしないと約束し仲介に入りました。その条件にヴィルヘルム二世の退位を要求し、独はそれを呑んだ。それでいて、一九一九年のパリ講和会議では、フランスとイギリス、さらにはベルギーの強欲な要求を、まったくコントロールできませんでした。   そこから生じたのが、ドイツ領土の分断です。パリ講和条約では独・墺(ドイツ・オーストリア)領土を切り刻み新しい国を作った。その代表がポーランドとチェコスロバキアだった。ポーランドとチェコスロバキア代表が強欲にも独人人口の多い地域まで領土要求し、英・仏・米はその強欲を抑えられなかったのです。その結果、彼らは少数民族としてドイツ人を抱え込むことにもなるわけです。こうした問題も含め、第一次世界大戦の始まりとパリ講和会議とその後のヴェルサイユ体制については、もう少し真剣に考える必要があります。   戦後ドイツに科した賠償金のひどさだけでなく、もっと大きな問題があったのです。これこそが、のちのヒトラーによるポーランドからのダンチヒの回復、チェコスロバキアで言えばズデーテンの併合につながっていくのです。   第一次世界大戦でドイツが負けるまで、ダンチヒはドイツ領で、ズデーテンもドイツ人居住区域がありました。それがヴェルサイユ条約やサン=ジェルマン条約(協商国とオーストリアが結んだ講和条約)により、ドイツそして墺から切り離された。ヒトラーとしては、それを取り戻しただけという解釈が十分に成り立つのです。   こうした史料は一九二六年頃から出ています。ヴィルヘルム二世もオランダ逃亡後に自叙伝を書いたりしています。彼の主張のすべてが正しいとは言いきれませんが、そこには当時のイギリスの動きなども出てきます。   イギリスは当時アスキス内閣でしたが、参戦に賛成していたのは少数派でした。対独強硬派の一人が海軍大臣だったウィンストン・チャーチルでした。彼が非戦派のリーダー格ロイド・ジョージを脅すように翻意させ参戦へと向かわせていくのです。リビジョニズム(歴史修正主義)はヴェルサイユ体制への疑念から出発したのです。その意味で、私のような見方は、欧米では先の大戦以前からあるものです。それほど特殊ではありません。 


  第一次世界大戦を起こしたマネーの動き 

茂木  

 二度の世界大戦を引き起こしたチャーチルの開戦責任について渡辺先生の最近のご著書『英国の闇チャーチル』(ビジネス社)で詳細に書かれていますが、つまりは第一次世界大戦を起こしたのは、ドイツではなく、むしろイギリスではないのかという問題提起ですね。それが「国家」なのか、それとも「国家の外にいる力」「マネーの動き」なのか。そこに私は興味があります。  

 一九世紀末のヨーロッパでは、イギリスのシティを筆頭とする金融資本が、政治軍事にも巨大な力を及ぼしていました。そこで当時の国際関係を見ていく前に、まずイギリスにおける金融資本の成り立ちまで遡って、お話ししていきたいと思います。   

 中世ヨーロッパにおける国際金融の中心は、地中海貿易の活性化を背景としてヴェネツィア、フィレンツェなど北イタリアの諸都市が握っていました。彼らイタリアの両替商が使っていた長机(Banco)が銀行(Bank)の語源とされますし、北イタリアのロンバルディア商人が移住して開いたのが、ロンドンの金融街ロンバード(Lombard)街でした。

   大航海時代、喜望峰ルートの発見によって地中海貿易が衰え、代わって世界の金融の中心地となったのが、オランダのアムステルダムでした。旧教国のスペインに対する激烈な独立戦争を戦った新教国のオランダは、スペインの圧政に苦しむさまざまな人々の避難所となりました。その中には、スペインで市民権を剥奪された大量のユダヤ人がいました。   

 迫害の中で資産を守るため、信用制度と金融ネットワークを確立していたユダヤ人は、オランダに金融と商業に関する最先端技術を伝えました。彼らは北米大陸にも乗り出し、ニューアムステルダム港を開きます。   

 この結果、一七世紀の前半には、オランダ一国で世界貿易の五〇%を握るようになり、通貨ギルダーを発行するアムステルダム銀行は、世界初の中央銀行でした。同時期に海洋進出に乗り出した新教国のイギリスにとっても、オランダの存在は脅威となりました。 

  イギリスがオランダ船の入港を禁じた航海法(一六五一)の発布を機に、両国は三次にわたる英蘭戦争に突入し、オランダの敗北に終わりました。オランダが建設したニューアムステルダム港は英領ニューヨークと改名され、オランダ人が築いた城壁に沿った道路が、やがてウォール(Wall)街と呼ばれるようになります。 

  このころルイ一四世のフランスが軍事大国化し、オランダへの侵略を開始する一方、国内では王権神授説を強要して新教徒の商工業者(ユグノー)を迫害しました。国外へ逃れたユグノーは、オランダやイギリスへ亡命しますが、彼らの多くも資産家でした。   

 イギリス国内では、親フランス派の国王ジェームズ二世と議会との対立が激化します。ジェームズ二世を廃位した議会は、オランダ総督ウィリアム三世を新国王に招くことに成功し、ここに英蘭同盟が成立しました(一六八八 名誉革命)。  

 この時ウィリアム三世が大勢のオランダ人を連れてロンドンへ移住し、オランダで発達した金融システムもロンドンへ移植されます。イングランド銀行が創立され(一六九四)、ロンドンの金融街、シティがアムステルダムに代わる国際金融センターとなります。 

  もう一つ、ドイツ(神聖ローマ帝国)のライン川の水運で栄えていたフランクフルト、これは自治権を持った「帝国都市」でしたが、ここのゲットー(ユダヤ人街)にロスチャイルド家(ドイツ語ではロートシルト家)が現れます。   

 ユダヤ教は『旧約聖書』──と呼ぶのはキリスト教徒で、ユダヤ教では単に『聖書』とか、『モーセ五書』と呼びますが──その律法を厳格に守る人たちです。彼らはキリスト教を受け入れず、そのため何度も迫害を受けました。ローマ教皇はユダヤ教徒の不動産所有を禁じたため、彼らは全財産を貴金属や宝石に交換し、襲われそうになるとそれを持って逃げるという生活を続けました。  「異国人からは利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない」(申命記二三─二〇)という律法の規定があるため、多くのユダヤ人が「異国人」=キリスト教徒にカネを貸して利子を取る、金融業を営むようになったのです。

   また彼らは教育にも熱心に投資を行い、子供たちを医者や学者、芸術家に育て上げました。ノーベル賞受賞者にユダヤ人が大きな割合を占めているのは、その成果です。

   初代ロスチャイルド(マイアー・アムシェル)は古銭商から身を起こし、貴族の金庫番兼投資プランナーのような仕事をしてフランクフルトを代表する資産家に成長しました。彼は五人の息子をフランクフルト・パリ・ロンドン・ウィーン・ナポリに分散してそれぞれ銀行業を開業させます。リスクの分散と情報ネットワークの確立です。   

 ロンドンのロスチャイルド家が台頭するのは、もう少しあとですよね。   


貨幣を製造することの価値に気づいたイングランド銀行 

渡辺

  イギリスの金融資本が大きくなるのは、ドイツにいたユダヤ人、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドの三男ネイサンがイギリスに来てからです。ロスチャイルドはナポレオン戦争で「イギリスが勝つ」という情報をいち早く仕入れ、仏勝利の噂で価値の落ちていたイギリス国債を買い占めて大儲けしました。以後イギリスは、ロスチャイルド家を筆頭に、世界に冠たるシティをつくりあげていくのです。   イギリスの中央銀行はイングランド銀行ですが、そのすごさは貨幣をつくる際に生じる出目(セニョリッジ)の大きさに気づいたことです。そこに気づいた銀行家は、日本にはいません。例えば徳川家康は経済発展における貨幣の果たす役割と、一般的な意味における出目(現実の購買力マイナス貨幣製造コスト)を理解していますが、イギリスにいた銀行家の発見した「本当の出目のマジック」には気づいていません。   ただそれに最初に気づいたのがユダヤ人なのか、ユグノー(仏のプロテスタント)なのかは私の問題意識から外れるので、よくわかりません。   

紙幣を最初につくったのは宋王朝 茂木 

 ワーテルローの戦いの時は、パリ・ロスチャイルド家がナポレオンに、ロンドン・ロスチャイルド家がイギリスにそれぞれ投資し、どっちが勝ってもいいようにリスクヘッジをしていました。そして、ナポレオン敗北のニュースをいち早く掴んだロンドン・ロスチャイルド家の当主ネイサンが、「イギリス敗北」のガセ情報を流してイギリス国債を暴落させ、最安値でこれを買い占めたのは有名な話ですね。   半世紀後には、ネイサンの息子ライオネルと、ユダヤ系のディズレーリ首相がタッグを組んで、スエズ運河会社の株式をエジプト総督から買収します。インドルートの要衝であるスエズ運河はイギリスの生命線ともいえる重要施設ですが、フランス人が建設し、運河会社の株式は、フランスとエジプトが折半していました。そのエジプト保有株を、民間銀行であるロスチャイルドのカネでディズレーリ首相が買収したのです。この結果、運河はイギリス・フランスの共同所有という形になりました。   これがイギリスの中東進出の第一歩であり、パレスチナ紛争にも繋がっていくのです。   ロスチャイルド家は、ディズレーリが苦学生だった時代からそのスポンサーになっており、長い時間をかけて彼を政界に送り込みました。こういった話は非常に重要だと思うのですが、学生に話すとびっくりします。ちなみに世界史教科書には「ロスチャイルド」という言葉すら、どこにも出てこないのです。教科書会社や執筆者は、いったい何に忖度しているのでしょう?   ところで貨幣の意味を考える時、とくに重要なのが紙幣の誕生です。紙幣をつくったのは中国人で、北宋の時代(九六〇~一一二七)まで遡ります。そもそも中国には金山・銀山が乏しく、貨幣は銅銭しかありませんでした。今の社会で一〇円玉しかないのと同じような状況です。唐代に経済が活性化してインフレになると、ものすごい量の銅銭が必要になります。   そのため唐代の商人たちは、たとえば「銅銭百枚の引換券です」という形で小切手を発行し、取引の簡素化を図りました。当時の言い方で「飛銭」と呼ばれる小切手、または手形がまず民間で流通していたのです。これを国家事業として紙幣化したのが宋王朝です。   宋の政府が発行した紙幣「交子・会子」には、銅銭の絵が描かれています。政府は税として徴収した銅銭を担保として紙幣を発行したのです。しかし王朝末期になると軍事費がかさんで国庫の準備金が足りなくなり、それでも紙幣を発行し続けたため、紙幣は信用を失い、価値が暴落してインフレを引き起こします。   ユーラシア全土をはじめて統一したモンゴル帝国は、その圧倒的な軍事力で交易ルートの安全を確保した結果、国際商業が活性化しました。最初のグローバル経済は、モンゴル時代に実現した、と考える学者もいます。   中国製の工業製品(絹と陶磁器)が西のイスラム世界やヨーロッパへ流れ、代金として大量の銀が帝国に流入しました。帝国は商業税という形でこの銀を吸い上げ、「交鈔」と呼ばれる紙幣を発行します。イタリアの冒険家マルコ・ポーロがこのモンゴル帝国を訪れたことで、ヨーロッパに紙幣という概念が伝わっていくのです。   ヨーロッパでは、金貨・銀貨の鋳造を行っていたのは金細工師(ゴールド・スミス)たちでした。一七世紀、ロンドンの金細工師たちは、商人から売上金の金貨を預かり、預かり証を発行しました。これが手形(ゴールドスミス・ノート)として流通し、中国の飛銭と同じ役割を果たします。   やがて彼らは、預かった金貨を貸し付け、その金利で儲けることを覚えます。こうして金貸しを商売とする銀行に発展し、紙幣を発行するようになります。顧客は金庫の中身を知りません。自分が手にした紙幣は、いつでも金貨・銀貨と交換できると思っています。しかし実際には、保有する金貨・銀貨量を超える紙幣を発行しても、誰にもわからない。  

 保有量の四倍まで発行できた金の引換券  渡辺  

 そうですね。金の引換券が、いずれ貨幣の機能を持つと、金細工師が最初から考えていたかは不明ですが、結果的に気づきました。   金細工師が引換券を出していた当初は彼らも真面目でした。預かった金と同価の預り証を発行していた。ところが数年経つと、実際に証券を持って金を引出す人はおよそ四人に一人だった。金の持出しは外国旅行や貿易に必要ですが、普段は証券をやり取りした方が便利です。   これに気づいた金細工師は預かっている金以上の預り証を発行しても大丈夫だと考えた。預かった金の四倍まで預り証を発行する(与信行為)ことで銀行業に変異するのです。彼らがこの貨幣のマジックに気づいたことは画期的でした。   紙幣の発行と金本位制への移行 茂木  やがて金細工師に代わって銀行が紙幣を発行するようになり、それが政府に公認され、通貨になっていくという流れですね。   西欧で最初に紙幣を発行したのは、スウェーデンのストックホルム銀行で、一六六一年でした。先述したイングランド銀行の創立が三〇年後の一六九四年。重商主義と言われる時代に、西洋の通貨制度が整ってきます。一九世紀に入るとロスチャイルド家が、通貨の発行権を握るようになります。   貿易赤字解消のためのアヘン戦争 茂木  歴史的に、世界の貿易決済で使われてきたのは銀でした。中世までは、南ドイツの銀山を握っていたアウクスブルクのフッガー家が欧州の金融の中心でしたし、新大陸でポトシ銀山やサカテカス銀山を発見したスペインは「太陽の沈まぬ国」と言われる植民地帝国を築きました。銀山を持たないイギリスは、産業革命で生産した綿製品を海外に輸出し、代金として受け取った銀をシティに蓄えていったのです。しかし一九世紀には、過剰供給で銀の価値は下がっていきました。より希少性の高い金属は何か?   金です。ロスチャイルド家を中心とするシティの金融資本家たちは、貿易決済や投資のリターンを銀から金へと切り替え、一定の重さの金と等価交換できる通貨ポンドを発行する「金本位制」というシステムを開発しました。カリフォルニアや南アフリカで金鉱が発見されると、彼らはここに莫大な投資を行い、世界の金がシティに集中します。一九世紀から一九四五年まで、ポンドが基軸通貨としての地位を保てたのは、金の裏付けがあったからです。   各国はこれに対抗して金本位制への移行を急ぎます。ドイツを統一したビスマルクは、フランスとの戦争(普仏戦争 一八七〇~七一)で得た五〇億フランの賠償金を、日本の伊藤博文は、日清戦争(一八九四~九五)で得た二億両の賠償金をそれぞれ金で受け取り、金本位制に移行しました。   その際、賠償金の授受も貿易決済も、各国中央銀行や商社がシティの民間銀行に開設した口座の間で決済され、その手数料がシティに落ちる仕組みです。   イギリスは大西洋の三角貿易を独占し、西アフリカの奴隷をアメリカ植民地へ輸出することで巨利を得ました。その一方で中国貿易では銀本位制が続いており、東インド会社によるインド産綿布と中国産の紅茶の輸入の急増が、イギリスからインドへ、イギリスから中国(清朝)への銀の流出という貿易赤字問題を引き起こします。  この貿易不均衡を是正するために、イギリスが綿布の国産化を図ったのが産業革命であり、その結果、イギリス産のバカみたいに安い機械製綿布がインドへ逆流して、インドの手工業を壊滅させます。インド経済は衰退し、イギリスの植民地へと転落していきました。   一方、茶葉の生産は寒冷なイギリスではできません。そこで対中貿易赤字を穴埋めするため、インド産のアヘン(ヘロイン)を清へ密輸し始めたのです。   清はアヘンの販売を禁止しており、それを守らないイギリス商人の持っていたアヘンを没収、処分します。これを好機と見たイギリスが出兵し、ついに開戦します。   このアヘン戦争(一八四〇~四二)でイギリスは圧勝し、南京条約で清は、香港島の割譲、二一〇〇万ドルの賠償金、広州、福州、厦門(アモイ)、寧波(ニンポー) 、上海の五港を開港し、貿易を自由化することを約束します。   アヘン戦争は清のみならず、日本にも大きな衝撃を与えました。明治維新に直結する、日本史にとっても大きな出来事です。このあたりのイギリスやロンドンの金融資本の動きについて、お聞かせいただけますか。


渡辺惣樹

渡辺 惣樹(わたなべ そうき、1954年 - )は、日本近現代史研究家。ソーワトレーディング代表[2][3]日本開国から太平洋戦争開戦までの日米関係史を研究し、著作を発表している。『日米衝突の萌芽 1898-1918』により第22回山本七平賞奨励賞を受賞した[1]

略歴

静岡県下田市出身。1977年(昭和52年)、東京大学経済学部卒業。日本専売公社(現・日本たばこ産業)に勤務する。1982年(昭和57年)、カナダに移住する。ソーワトレーディング代表を務める[2]

著作

単著

  • 『日本開国 アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由』草思社、2009年12月。ISBN 978-4-7942-1737-0none草思社文庫、2016年6月
  • 『日米衝突の根源 1858-1908』草思社、2011年10月。ISBN 978-4-7942-1862-9草思社文庫、2018年6月
  • 『TPP知財戦争の始まり』草思社、2012年2月。ISBN 978-4-7942-1885-8
  • 『日米衝突の萌芽 1898-1918』草思社、2013年6月。ISBN 978-4-7942-1986-2草思社文庫、2018年10月
  • 『朝鮮開国と日清戦争 アメリカはなぜ日本を支持し、朝鮮を見限ったか』草思社、2014年12月。ISBN 978-4-7942-2098-1草思社文庫、2016年10月 - 年表・索引あり。
  • 『アメリカの対日政策を読み解く』草思社、2016年4月
  • 『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』文藝春秋文春新書〉、2017年1月
  • 『誰が第二次世界大戦を起こしたのか フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』草思社、2017年7月。草思社文庫、2020年12月
  • 『第二次世界大戦アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ』文春新書、2018年6月
  • 『アメリカ民主党の崩壊 2001-2020』PHP研究所、2020年1月
  • 『日米戦争を望んだのは誰か 真珠湾と原爆』ワック、2020年8月
  • 『英国の闇 チャーチル 世界大戦を引き起こした男』ビジネス社、2020年9月
  • 『公文書が明かすアメリカの巨悪 フェイクニュースにされた「陰謀論」の真実』ビジネス社、2021年4月
  • 『アメリカ民主党の欺瞞 2020-2024』PHP研究所、2021年5月
  • 『第二次世界大戦とは何だったのか 戦争指導者たちの謀略と工作』PHP研究所、2022年2月
  • 『世界史を狂わせた女たち 第二次大戦のスパイと、共産主義と寝たレディの物語』ビジネス社、2022年10月
  • 『ネオコンの残党との最終戦争 甦る米国の保守主義』ビジネス社、2023年2月
  • 『虚像のロシア革命 後付け理論で繕った唯物史観の正体』徳間書店、2023年8月
  • 『史跡は語る 武蔵国(埼玉)編 教科書が伝えない歴史考察』徳間書店、2023年11月

共著[編集]

  • 宮崎正弘 『激動の日本近現代史 歴史修正主義の逆襲』ビジネス社、2017年9月、新版2020年
  • 宮崎正弘 『戦後支配の正体 1945-2020』ビジネス社、2020年4月
  • 茂木誠 『教科書に書けないグローバリストの近現代史』ビジネス社、2022年2月
  • 福井義高『「正義の戦争」は嘘だらけ! ネオコン対プーチン』ワック・新書判、2022年8月
  • 馬渕睦夫『謀略と捏造の二〇〇年戦争 釈明史観からは見えないウクライナ戦争と米国衰退の根源』徳間書店、2022年12月
  • 「歴史にひそむ嘘の見破り方」第2章収録 -『世界のニュースに隠された 大嘘を見破る方法』宝島社、2023年3月
  • 茂木誠『教科書に載らないあの人物、この事件! 伊豆半島編』ビジネス社、2023年5月

翻訳[編集]

  • チャールズ・マックファーレン『日本1852 ペリー遠征計画の基礎資料』草思社、2010年10月。ISBN 978-4-7942-1778-3草思社文庫、2016年8月 - 原タイトル:Japan
  • カレイ・マックウィリアムス『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』草思社、2012年7月。ISBN 978-4-7942-1911-4 - 原タイトル:PREJUDICE Japanese-Americans:Symbol of Racial Intolerance
  • ジェフリー・レコード『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか 「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦』編訳・解説、草思社、2013年11月。ISBN 978-4-7942-2015-8草思社文庫、2017年2月 - 原タイトル:Japan’s Decision for War in 1941
  • ハミルトン・フィッシュ『ルーズベルトの開戦責任 大統領が最も恐れた男の証言』草思社、2014年9月。ISBN 978-4-7942-2062-2草思社文庫、2017年4月 - 原タイトル:FDR THE OTHER SIDE OF THE COIN
  • スティーヴン・ロマゾウ/エリック・フェットマン 『ルーズベルトの死の秘密 日本が戦った男の死に方』草思社、2015年3月
  • マリン・カツサ 『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』草思社、2015年5月。草思社文庫、2022年8月
  • スティーブン・キンザー 『ダレス兄弟 国務長官とCIA長官の秘密の戦争』草思社、2015年11月
  • ハーバート・フーバー 『裏切られた自由 フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症』
ジョージ・H・ナッシュ編、草思社(上・下)、2017年7月-11月
  • チャールズ・カラン・タンシル 『裏口からの参戦 ルーズベルト外交の正体 1933-1941』 草思社(上・下)、2018年8月

記事[編集]

  • 「世界・アジア・日本 著者インタビュー 『日米衝突の根源 1858……1908』渡辺惣樹さん」『アジア時報』、アジア調査会、2012年.1・2、61-76頁、ISSN 0288-0377
  • 「読書の時間 BOOK LESSON 日米衝突の根源 1858…1908 渡辺惣樹著 アメリカの対日恐怖心を抉り出す」『正論』第480号、産経新聞社、2012年2月、274-277頁。
  • 「「日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944」を語る 日米戦争は「人種戦争」だった」『歴史通』第22号、ワック、2013年1月、176-183頁。
  • 「緊急インタビュー TPPの正体と国益」『正論』第494号、産経新聞社、2013年3月、86-91頁。
  • 「明治 日米戦争 知られざる「原点」」『文藝春秋』第91巻第12号、文藝春秋、2013年11月、281-283頁。
  • 「山本七平賞奨励賞受賞! アメリカの「慰安婦」騒動を解決する決定的ロジック」『正論』第504号、産経新聞社、2014年1月、94-105頁。
  • 「BOOK LESSON特別版 日米開戦・民事訴訟なら「ルーズベルトは有罪」 ここまで変わった米国の戦争史観」『正論』第506号、産経新聞社、2014年3月、184-190頁。
  • 「日米が不幸だった時代への旅を」『正論』第507号、産経新聞社、2014年4月、134-145頁。
  • 「参戦願望を暴(あば)いた「超A級スパイ事件」 正統派の歴史解釈に突きつけられたスパイ事件の核心部分とは」『歴史通』第30号、ワック、2014年5月、199-213頁。
  • 「「ルーズベルト神話」が燃え落ちる日」『正論』第512号、産経新聞社、2014年9月、186-199頁。
  • 渡辺惣樹、宮崎正弘 述「特別対談 TPPでアメリカが狙うのは知財侵害大国、中国封じ込め」『エルネオス』第20巻第12号、エルネオス出版社、2014年12月、54-57頁。
  • 「歴史論争に備えよ 南京・慰安婦論争 本当の敵はアメリカだ」『文藝春秋special』第9巻第2号、文藝春秋、2015年.春、172-182頁。
  • 渡辺惣樹、宮崎正弘 述「特別対談 今、日中韓の関係を読み解くために『朝鮮開国と日清戦争』を語り合う」『エルネオス』第21巻第1号、エルネオス出版社、2015年1月、58-63頁。
  • 「ヒラリーの新たなスキャンダル」『Voice』第446号、PHP研究所、2015年2月、145-154頁、ISSN 0387-3552
  • 「アメリカが見た朝鮮開国と日清戦争」『歴史通』第35号、ワック、2015年3月、84-95頁。

インタビュー[編集]

  • 喜多由浩 (2010年1月14日). “【著者に聞きたい】渡辺惣樹さん『日本開国』”. 産経新聞 (産業経済新聞社)

脚注[編集]

  1. a b c d e f 商品の説明「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」”. Amazon.co.jp (2014年12月6日). 2015年3月12日閲覧。
  2. a b c 商品の説明「著者について」「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」”. Amazon.co.jp (2009年11月25日). 2015年3月12日閲覧。
  3. a b 渡辺, 惣樹”. 国会図書館 (2009年12月14日). 2015年3月12日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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