2024年3月6日水曜日

葛城修験の基礎知識|日本遺産 葛城修験 ~里人とともに守り伝える修験道はじまりの地~

葛城修験の基礎知識|日本遺産 葛城修験 ~里人とともに守り伝える修験道はじまりの地~
役行者は葛城の峰を仏法の世界に見立てて、法華経八巻二十八品を、それぞれ経筒に入れて埋納しました。この二十八品の埋納場所が経塚と呼ばれる葛城修験の中心となる聖地であり、和歌山県の友ヶ島の序品窟に始まり、葛城の峰を西から東へと進み、第二十八品の大和川・亀の瀬に終わるとされています。これらの経塚を巡ることが葛城修験の中核を成していますが、同時に、葛城修験の道には役行者ゆかりの修行の地、つまり行場が点在しており、重要な行場については江戸時代に著された「名所図会」の中で確認することができます。現在も「名所図会」に描かれた時代と変らぬ形で多くの修験者にとって修行の地となっている場所は多く、主な行所としては、犬鳴山七宝瀧寺などがあります。七宝瀧寺では一般の人を対象にした「修験道修行一日体験」なども行っており、滝行などを通じて実際に葛城修験の奥深い世界を垣間みることができるのです。
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葛城修験の基礎知識|日本遺産 葛城修験 ~里人とともに守り伝える修験道はじまりの地~

『葛嶺雑記』は、1850年に智航上人が葛城修験の再興を図り、聖護院宮に上奏して葛城二十八宿を踏破した記録です。江戸時代末期に大阪の和泉屋藤兵衛が出資して出版しました。関連した聖護院や七宝瀧寺に数部寄進されたものが両寺院に今も現存し、版木も聖護院に保存されています。この書物の中では、当時、多くが所在不明になっていた二十八の経塚の場所についても実地調査を行い、所在地を確定させ、行き方などについても詳細に記しているのです。現代でいうガイドブックのようなこの書物の存在が、今も修験者にとっての道標として役立っていると言えます。葛嶺雑記に記された修験の道は、多輪(山の尾根のたわんだ場所)、留(山で泊まれる場所)、宿、寺などを結ぶもので、修験道の真髄はこれらの経塚や行所をめぐる山林修行にあります。ただ、これらのルートは、現在ダイヤモンドトレイルとしてハイカーに親しまれているルートとも重なっており、徐々に歩きやすいよう整備されて来ているのです。道標や案内板も立てられるようになり、部分的には修験者以外の人がアクセスしやすい環境も整いつつあります。

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