淡路島ユダヤ人渡来伝説
27年、淡路島古茂江(コモエ)海岸、洲本市小路谷(オロダニ)にある旅館「四州園」(現ホテルニュー淡路別邸 淡路夢千景)内の小磯といわれる景勝地の海岸でイスラエル人の遺跡と思われるものが発掘され当時の神戸新聞にも「日本人にもユダヤの血?淡路で遺跡発見」と大きく報じられている。淡路には他にも、諭鶴羽山を中心に同様の遺跡が多数発見されている。
淡路島には。油谷(ユダニ)、古茂江(コモエ)、小路谷(オロダニ)、由良(ユラ)、諭鶴羽(ユズルハ)、といったヘブライ語を想起させるような地名が多く存在し、日本人とユダヤ人の祖先が同じとする日ユ同祖論の舞台となってきた。諭鶴羽山の諭鶴羽神社、先山の千光寺、沼島、洲本市由良、古茂江、南あわじ市灘油谷などがユダヤ人ゆかりの場所といわれている。
諭鶴羽山・諭鶴羽神社
銅鐸7個発見
兵庫県南あわじ市の松帆地区で採取された砂の中から、弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~同2世紀)の銅鐸7個が見つかった。県と同市の両教育委員会が19日発表した。島根県の加茂岩倉銅鐸(39個、国宝)や神戸市灘区の桜ケ丘銅鐸(14個、国宝)などに次ぐ多数の出土。少なくとも1個は全国でも11例しかない最古形で、状態は良好だった。初期の銅鐸を解明する一級史料となる可能性が高く、研究者は「数十年に一度の大発見」と注目する。
見つかった銅鐸は、つり手(鈕)断面がひし形の「菱環鈕2式」と、本体部分の両脇に飾り板が付いた「外縁付鈕1式」の2種類。いずれも古式で、高さは約20~30センチ。うち3組6個は、中に小型が入れてある「入れ子」状態で、残り1個は単独で破損した状態で見つかった。銅鐸内部につるされて音を鳴らす青銅の「舌」(振り子)3本も発見された。銅鐸とセットの出土は全国で2例しかなく、極めて貴重。入れ子状態の3組のうち、1組は発見時に分離されており、今後、他の2組をCT(コンピューター断層撮影)スキャンで調べるが、全てに舌が残っている可能性がある。兵庫県の銅鐸出土数は全国最多で、今回の発見で計68個(伝承記録分を含む)になる。うち21個が淡路島分。今回の7個はいずれも、南あわじ市の西海岸沿いに位置する松帆地区に、一括して埋められていたとみられる。同地区の中の御堂では江戸時代に銅鐸8個の出土記録(1個現存、重文)があり、古津路でも銅剣14本が出土。いずれも作られた年代が近く、何らかの関係が推測される。同市埋蔵文化財調査事務所の定松佳重さん(46)は「こんなに大量に見つかるとは思わず、驚いた。青銅器文化を広い視野で見直す必要がある」と話す。銅鐸は4月8日、同市内の玉砂利製造販売会社の従業員が砂を選別作業中に見つけた。連絡を受けた市教委が調査し、同23日までに残り5個を確認した。(田中真治)
【難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長の話】
古い段階の銅鐸が7個、しかも舌を伴って見つかるのは非常に珍しい。音響具の機能を保ったまま埋めるのは淡路の特徴かもしれず、埋納の意味や時期を考える上で興味深い。畿内中心部ではなく、地元の勢力が埋納の主体であったとも考えられる。島根県の加茂岩倉遺跡出土の銅鐸と似たものがあり、同じ鋳型から作られた可能性もある。状態がよく、美的にも優れており、銅鐸自体の研究も進むのではないか。
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