箸にまつわるペルシアと箸墓のはなし
どうも、いつものアホです。
○いつも助かっております
箸墓は壱与の墓だと考えていましたが
ネコ - Wikipedia/箸墓古墳 - Wikipedia
先日箸墓古墳についてのヌースが出てました。
奈良県の箸墓古墳は全長280mにも達する巨大古墳で、日本でも歴史的にも規模としても指折りの遺跡です。
倭迹迹日百襲姫命大市墓という名がついてたりする通り、百襲姫命の墓所説が本命視されてます。それは日本書紀に箸墓についての記述があり、倭迹迹日百襲姫命が葬られたと書いてあるから。
百襲姫命は「魏志倭人伝」に登場する女王卑弥呼と同一人物説が根強いこともあって、箸墓は卑弥呼の墓としても有力視されてます。ということで事実上は、埋葬者の確定に至ってません。
とは言え築造の年代は、西暦280年ころだとの調査が出ているとか。というわけで西暦250年以前に没した卑弥呼の墓にしては、ちょっと時間が空き杉。
というわけで、箸墓古墳は卑弥呼の後継者である、女王壱与の墓所なのではないかという説もあります。
ところで以前に「封印された叡智の回復」を書きました。あれ、執筆が止まってしまいましたが、やる気と命が続けば続きを書くとは思いますけども・・・。
あの本では、壱与の墓所が箸墓古墳であることを前提として、はなしを進めていました。
その根拠は前方後円墳には出身や出自や名前を示す矢印の役割があり、前方後円墳の中心軸線や造出しの中心線の先に、壱与の関連地名が並んでいていることが最大の要素です。
また大市墓の市が、女王壱与の壱と音が同じであること、築造年代が壱与の時代であることなどを根拠にしました。詳しくは拙著で。
箸墓の箸とは
この古墳は昔から箸墓と呼ばれていたらしく、「日本書紀」を開けば崇神天皇条にその名が見つかります。
名の由来は倭迹迹日百襲姫命が蛇に驚き、箸がアソコに刺さって死んだことにあるとか・・・。普通そんな死に方はないと思うので、殺された説も考えられます。
それはともかくとして、この時代にはすでに箸という食事の道具が倭国には存在してたらしい。
箸の起源は古く、中国では紀元前10世紀以前の殷王朝から始まっていたとか。当初は麺を食べるために始まったらしい。殷の王様はラーメン大好きだったのか。
竹冠の箸という漢字が登場したのは、中国の紀元前5世紀頃の戦国時代のコロだとか。竹冠に者が付いていて、竹が箸の素材をあらわす形声文字で、者と発音したことが元になっていました。
箸の音は日本語ではハシですが、元の漢字の音はまったく違います。
訓読:はし
古訓:ふぁし呉音 : ジョ(ヂョ)、ジャク(ヂャク)
漢音 : チョ(表外)、チャク(表外)
箸 - ウィクショナリー日本語版
上古の大陸では「チョ、ジョ」みたいな名で呼ばれたようです。正確にはちょっと違っているかもですが。
そういえば日本語は、上古のころは50音どころか80音もあり、破裂音や拗音がもっと豊富だったとか。
ふぁの音は破裂音の「ぱ」に転訛しやすかったらしいです。だから平安時代のコロまでは、大和言葉(訓読)の箸ははしではなく、「ふぁし」であり、「ぱし」でありました。江戸時代になって、はしで定着していたようです。
日本では箸は弥生時代から使われだしたらしく、大陸から渡来した人々がもたらした利器でした。
つまり箸を「ふぁし」と呼び出したのは弥生時代です。
箸はなぜハシ?
ところでこのはし、同音異義語が幾つかあるのですが。橋、端、走、階、梯、犇、梁、赱など。なんか関係するのだろうか?
箸はなんでハシなのか?と考えれば唸りますけども。
そういえば、手に掴む時の擬音に、「パシッ」というものがある。なんか手に箸を持つ時に、パシッとした感じがするし、古代式に言えばファシッとした感じで、しっくりと来ていたのかもしれないです。
または、あれです、箸で食べ物を掴むことは、言い換えれば「挟む」ではないですか。挟むのハサと、ハシ。この類似する音感は無視できないところ。つまり箸は挟む用法だから、ハシと呼ばれたのであると。妄想が膨らみます。
ハシ墓はペルシア墓なのか
この他に箸の同音異義語に、「波斯(はし)」という古語があります。これは古代の中国で、ペルシアを表している2文字です。今でも中国人は、イラン人を波斯人と呼んでるとか。なんでこれがペルシアなのかと言うと、
波=per
斯=si
ということで古代のパールサ、ペルシアという音に、漢字を当てて波斯なわけですが。これは3世紀の中国の三国時代から使われていたらしく、歴史が長い。
いまのイランのファールサ地方が、ペルシアの語源になった土地だということで。ファールサというのはファが使われているので、むかし日本語でハシを、ファシと呼んだのと妙に一致してます。
世の中には、箸墓とは、波斯墓であったといった解釈をする人もいます。
要するに古代の箸墓古墳みたいな巨大古墳は、ペルシアとかあちらの技術を用いて築造されたものだと。
イラクのジッグラトや、エジプトのピラミッドみたいなものがありますが。東アジアの巨大な墳墓は、まさに中東の方面の方式であるとしたら、古代人は波斯墓だと呼んだかもしれないです。
すると箸の語源は倭迹迹日百襲姫命ではなく、古代ペルシアに起源があると言う感じになってしまうのですが。
もし箸墓が波斯墓だとすれば、箸の語源に関わっていないのだろうか?と考えてしまいます。
BC10世紀以前 殷で箸が登場する
BC9世紀頃 中東にペルシア人が登場する
BC?世紀 倭に箸が持ち込まれる
AD3世紀頃 中国で波斯が使われだす
AD247年頃 倭迹迹日百襲姫命が箸の事故で死亡
AD280年代 箸墓古墳の築造
紀元前の箸の登場とペルシア人の登場が最初にあり、その後倭に箸が普及した。
注目したいのは、中国で波斯が一般名詞となった時期と、倭迹迹日百襲姫命が箸で死亡し、箸墓がつくられた時期は同じころであること。
ということで、箸がはし(ふぁし)と呼ばれるのと、倭迹迹日百襲姫命と箸墓は、無関係ではない気がしました。
そういえば箸墓古墳は上空から見ると前方後円墳で、150mの巨大な円がつくられてるわけですが。これ、適当に線を引いて積み上げたらひしゃげた楕円になってしまいますが、正確な円になってます。
要するに円墳を作るときは、コンパスの原理が使われてるのが真相です。
まずだだっぴろい土地を整地して、平らにするところからです。そしたら2本の棒と長い縄を用意する。古墳の計画地の中心に棒を立て、長い縄を結びつける。そこからまっすぐに縄を伸ばし、先端に棒を取り付ける。中心の棒を支点とし、縄の先端を作用点とする。縄をピンと張った状態で、人がぐるっと円を描く。このときに地面に棒で印を付けながら歩く。するとコンパスの原理によって、巨大な真円が描かれる。こうして地面に円墳の設計図を描けるというわけです。
定規とコンパスという設計・建設のアイテムは、実は弥生時代にはすでに使われてました。そうじゃないと巨大古墳の真円、直線、直角、左右対称などは描けないわけで。
箸というのも2本の棒であり、手に持つとなにか古代の簡易なコンパスのようではないですか。
箸が波斯でペルシアの技術なら、きっとこうした設計と建設のアイテムもいっしょに導入されたような気がします。ちょうど卑弥呼の時代から、日本の古墳技術が向上しているわけで。
2本棒のコンパスが波斯人から伝わり、箸がコンパスに似てたから、はしになったのかも。それでもおかしくない感じがしました。
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