「光る君へ」#11 一条天皇即位式の生首事件とは? 忌むべきケガレをものともしない豪胆な兼家、ケガレを恐れた小心?な道長
花山天皇を退位・出家せしめた藤原兼家の陰謀、「寛和の変」から1か月後、一条天皇の即位式で怪事が起きました。ドラマでは道長が処理したこの事件については、歴史物語の『大鏡』に記されています。
前一条院の御即位の日、大極殿の御装束すとて人々集まりたるに、高御座のうちに、髪つきたるものの頭の、血うちつきたるを見つけたりける。
先の一条天皇の御即位の日、大極殿の設営に人々が集まったところ、高御座の内部で髪を生やし血の付いた生首を発見した。
(『大鏡』「道長(雑々物語)」)
[小学館409頁]
高御座は即位式の主役となる設備(玉座) です。新天皇が高御座に入ると帳が下ろされ、天皇は短時間、「三種の神器」の剣璽(剣と勾玉) とともに中に籠ります。
すると神器から霊力が与えられ、新天皇を人間から聖なる存在へと変身させる――高御座は、その演出装置なのです。そこに生首が転がされていたのですから、大事件です。
現代ならば、まず殺人事件が発生したことが問題となるでしょう。しかし平安時代には、第一に「ケガレ」が問題とされました。
「ケガレ」は歴史学の用語で、人や物が汚らわしくなってしまうことを意味します。古くは『古事記』に見え、国生みの神であるイザナギが亡き妻イザナミのいる黄泉の国を訪れて戻った後、「じつに穢れた国に行った」と嘆いて身を清めています。ケガレでもっとも忌むべきは死であり、それは神道の思想なのです。
天皇は当時、神道を掌る存在で、もっとも清らかでなくてはいけませんでした。その存在を創る装置がケガレに見舞われたとなれば、即座に宮中を閉鎖しなくてはなりません。さらに政務を一定期間止めることも、規則で決められていました。
『大鏡』では、生首を発見した担当官は、うろたえて摂政・兼家のもとに使者を走らせます。ところが兼家の反応は思いも寄らないものでした。
いと眠たげなる御気色にもてなさせ給ひて、ものも仰せられねば、もし聞こし召さぬにやとて、また御気色たまはれど、うち眠らせ給ひて、なほ御いらへなし。
ひどく眠そうな様子で何も言われないので、もしや聞こえなかったかと使者は再び言い直したが、今度は眠ってしまって、やはり返事がない。
(同上)
使者が困ってその場に突っ立っていると、兼家は唐突に目を覚ましたという体で「もう設営は終わったのか?」。使者ははっとしました。「なるほど、摂政様は何も聞かなかった、だから何もなかったことにしておくつもりなのだ」。
当時の行政の細則を記した書物『延喜式』によれば、人の死によるケガレはもっとも重く、30日間継続するとされていました。生首は、何者かが即位式の延期を企んで置いたものに違いありません。この妨害に屈しないために、兼家はあえて聞こえなかったふりをして事件を握りつぶしたというわけです。
『大鏡』は、兼家の措置について「ケガレはあったが、結果として忌まわしいことも起きず、むしろ上首尾だった」と称賛しています。しかし、これは、『大鏡』が史実から100年程を経て成立していることからも分かるように、 一条天皇の時代が25年続いたことや、兼家が摂政として権力を極め、その後も彼の一家が繁栄したことを、作者が知っていたから記せたものです。
『大鏡』が成立した院政期は、天皇や摂関家といった朝廷とは別に、本来は制度の外にあるはずの院(上皇)とその近臣が権力を持った、実力主義の時代でした。細かい規則や前例に縛られず、実行するときには実行する――兼家のそんな豪胆さは、院政期を生きた『大鏡』作者に好ましく映ったのでしょう。兼家は、むしろ時代を先取りした政治家と言えるかもしれません。
しかし、一条天皇の時代には、ケガレは強く忌み嫌われていました。ケガレに触れることを「触穢」と言い、犬など動物の死体に触れたり、人の葬儀に出席したりした場合も、謹慎することが決まっていました。母子が死ぬことも多く、出血も伴うからでしょう、出産もケガレとされていました。
また、ケガレは人から人に伝染すると信じられ、内裏で死体が発見された場合などは、執務していた官人はもちろん、その家族もケガレたと見なされました。こうなると日常生活にも支障をきたします。
貴族社会では互いのつきあいも重要で、本来なら葬儀や出産祝いには顔を出しておきたいところです。そんな場合は、家の庭先で立ったまま挨拶し、室内に上がり込まなければケガレない、など回避する手法も編み出されました。
じつは、日記『御堂関白記』による限り、藤原道長はケガレの規則をしっかり守っていたようです。自宅の床下で犬の死体を発見したときには、祭への参加を取りやめました。外でケガレに触れたときには、家族に伝染しないよう自宅に帰らなかったこともあります。ケガレた場所には立て札を設置してもいます。
日本文学研究者の加納重文氏によれば、「どのような事情のときでも、触穢の禁忌は忠実に守って、批判の言辞はかつて洩らしたことがない」人物だったとか。意外に小心だったのでしょうか。
ちなみに『源氏物語』の中には、登場人物が自ら「ケガレた」と偽るシーンが出てきます。「宇治十帖」に出てくる女君の浮舟です。
浮舟は、光源氏の孫・匂宮との密通の折、母親からの石山寺参詣の誘いを断るため、「昨夜から急にケガレて……」と噓をついています。女性の生理もケガレと見なされていたのです。ケガレも使いようですね。
【参考文献】
加納重文「触穢」(『平安文学の環境 後宮・俗信・地理』和泉書院、2008年)
【引用本文】
『大鏡』(新編日本古典文学全集)
京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。
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