2024年3月8日金曜日

列王記と馬 シャハン

 
 
slowslow2772
⁦‪@slowslow2772‬⁩
日本の祭りと日本の伝統、イスラエルの祭りとユダヤの伝統における類似性 アビグドール・シャハン教授著 youtu.be/ldsplX_E0D8?si… ⁦‪@YouTube‬⁩より pic.twitter.com/4v1jMNMyeI
 
2024/03/08 19:42
 
 
列王記下23:11

11彼はユダの王たちが太陽にささげて、主の神殿の入り口、前庭の宦官ネタン・メレクの部屋の傍らに置いた馬を除き去り、太陽の戦車を火で焼いた。12王はユダの王たちがアハズの階上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが主の神殿の二つの庭に造った祭壇を取り壊し、そこで打ち砕いて、その灰をキドロンの谷に投げ捨てた。13王はエルサレムの東、つまり滅びの山の南にあった聖なる高台を汚した。これはイスラエルの王ソロモンが、シドン人の憎むべき神アシュトレトのため、モアブ人の憎むべき神ケモシュのため、アンモン人の忌むべき神ミルコムのために築いたものであった。14彼は石柱を砕き、アシェラ像を切り倒し、人の骨でその場所を満たした。


 《民族古来の宗教に熱心な紀元八世紀の神道の祭司たちは、文書や口伝で伝えられてきた、まだヘブライ・アラム語的な精神を残していた伝承を守ることを、自分たちの使命と考え、彼らの古い教えと宗教を言い表す言葉として、「ヴェシナンタ」という名前を選んだ。この言葉はおそらく申命記[6:7]の「子供たちに繰り返し教え」(ヴェシナンタム・レヴァネイハ)
וְשִׁנַּנְתָּם לְבָנִיךָという言葉から取られたのであろう。日本に来た十部族の賢者たちは、古代のヘブライ語写本を封印したため、やがてこの「シナンタ(ム)」という言葉から「n」の文字が一つ落ちて、「シントー」に変化した。ヘブライ語文字が失われ、ヘブライ語が会話の言葉からかけ離れていったため、やがてこの言葉は意味の分からない言葉となったのではないか。》

シャハン『失われた十部族…』271頁より


 民族古来の宗教に熱心な紀元八世紀の神道の祭司たちは、文書や
口伝で伝えられてきた、まだヘブライ・アラム語的な精神を残していた
伝承を守ることを、自分たちの使命と考え、彼らの古い教えと宗教を
言い表す言葉として、「ヴェシナンタ」という名前を選んだ。この言葉は
おそらく申命記の「子供たちに繰り返し教え」(ヴェシナンタム・レヴァ
ネイハ)8という言葉から取られたのであろう。日本に来た十部族の賢
者たちは、古代のヘブライ語写本を封印したため、やがてこの「シナン
タ(ム)」という言葉から「n」の文字が一つ落ちて、「シントー」に変化し
た。ヘブライ語文字が失われ、ヘブライ語が会話の言葉からかけ離れて
いったため、やがてこの言葉は意味の分からない言葉となったのではな
いか。
 神道によれば、八百万の神々が宇宙を支配している。これら全ての
神々は一つの神的実在であり、全ての宇宙がこの実在からできており、
この実在が存在しない場所は宇宙にない。ユダヤ神秘主義の「彼(神)
の存在しない場所はない」9という考えと同じである。つまり、全てが
神であり、神が全てであるという、ラビ・ユダヤ教が考える神概念と同
様なのである。神道は稀に見る深い知恵で、高き天に存在する唯一に
して至高である神的存在を発見した。そして、唯一神に仕える召使
たち、使者たちが、地上で活躍する神々なのである。彼らは人と土地
とを守り、また人々との行いを観察して、良きことも悪きことも裁い

8 申命記六章七節。
9 ベミドバル・ラバー、十二。
271頁

シャハン 失われた十部族


「日本語とヘブライ語は同じ起源からきている」アビグドール・シャハン著 失われた十部族の足跡 https://youtu.be/UauxpmC-8DU?si=ljV_5Z10ySfMMB21 @YouTubeより

シンナンテン?
ヴァブ
   
申命記6:7

‎מאדךָ: וְהָיוּ הַדְּבָרִים
‎בבֶךָ: וְשִׁנַּנְתָּם לְבָנֶיךָ
‎ה בדרך ובשכבךָ וּב
:  

וְשִׁנַּנְתָּם לְבָנִיךָ

あなたから: そして、物事は次のとおりでした
あなたの子供たちの中で:そうすればあなたは自分の子供たちのことを思い出すでしょう
途中で、ベッドの中で、



そしてあなたは子供たちにそれを暗記しました


‎: שמע ישראל יהוה אלהינו יהוה אך
ואהבת את יהוה אלהיך בכל לבבך ובכל נפשך
ובכל מאדך והיו הדברים האלה אשר אנכי מצוך
היום על לבבך ושננתם לבניך ודברת בם בשבתך
בביתך ובלכתך בדרך ובשכבך ובקומך וקשרתם
לאות על ידך והיו לטטפת בין עיניך וכתבתם על
מזזות ביתך ובשעריך

イスラエルの神エホバを聞いてください、私たちの神エホバ、しかし
そしてあなたは心と精神を尽くしてあなたの神エホバを愛しました
そして皆さんから、これらのことが私についてのことでした
今日、あなたの心にそれを思い出し、あなたの息子たちに伝え、そしてあなたは安息日に彼らに話しました
家の中、道を歩いたとき、横たわったとき、立ち上がったとき、そしてあなたの絆
手でサインして目の間を舐められて書いてください
あなたのお家の階段と門のところに

唯一の主 6 1これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと掟と法であり、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。2あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。3イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。 

4聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。5あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 6今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、

7子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。8更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、

9あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。 10あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、11自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、12あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。13あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。14他の神々、周辺諸国民の神神の後に従ってはならない。15あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい。


ユダの邪悪な王たちはある種の馬を異教の太陽崇拝に献じることさえして,それらをエホバの神殿の神聖な境内に連れて来ました。(王二 23:11

ユダの最後の王ゼデキヤはバビロンの王ネブカドネザルに背いた後,エジプトに使者を送って馬と軍事援助とを求めました。(代二 36:11,13; エゼ 17:15)その結果,ユダは預言のとおり流刑に処せられました。―エゼ 17:16-21; エレ 52:11-14


馬 — ものみの塔 オンライン・ライブラリー
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002083

馬 — ものみの塔 オンライン・ライブラリー

(うま)(Horse)[ヘ語,スース; レケヴ(兵車の馬); レケシュ(一連の馬; 早馬); ギ語,ヒッポス]

この動物の創造者であるエホバは,ヨブに戒めを与えたさい,馬の持つ主要な特徴の幾つかを描写されました。すなわち,その非常な強さ,大きな鼻孔で鼻を鳴らし,いら立って前足で地面をかき,戦いを前にして勇み立ち,武具の触れ合う音にもおののかないことなどです。(ヨブ 39:19-25)このなじみ深い動物は,古来人間と密接な関係を保ってきました。人間は馬を制御するのに,手綱,くつわ,むちなどを使ってきました。―詩 32:9; 箴 26:3; ヤコ 3:3

軍事上の使用 王,君,国家の役人の使用,また至急の伝達組織のために供される場合(サム二 15:1; 伝 10:7; エス 6:7,8; 8:14; エレ 17:25;22:4)を除いては,馬は古代には主として戦闘のために用いられました。―箴 21:31; イザ 5:28; エレ 4:13; 8:16; 46:4,9

しかし,山や起伏の多い地形では,馬はあまり戦闘に役立ちません。(アモ 6:12)そのため,イスラエルのアハブ王がシリア軍を破った時,ベン・ハダドの僕たちは,イスラエルの神が平地の神ではなく「山の神」だから自分たちは負けたので,平地であれば馬も兵車も有利に戦えた,と言い訳をしました。しかし,エホバは平野においてもイスラエルに勝利を得させました。―王一 20:23-29

馬は戦闘部隊の戦力を高める上で非常に強力な役割を果たしたため,多くの馬と兵車の音を聞いただけで軍隊が恐れを抱き,敵のほうが多勢と考えて大混乱に陥り,敗走させられる場合もありました。(王二 7:6,7)エジプト,アッシリア,バビロニア,メディア-ペルシャ,その他の国の軍事力は馬に多く依存していました。(イザ 31:1,3; エレ 6:22,23;50:35,37,41,42; 51:27,28; エゼ 23:5,6,23; 26:7,10,11; ナホ 3:1,2; ハバ 1:6,8)古代の記念碑には,くつわ,手綱,頭飾り,鞍敷き,その他の飾りを付けた馬がしばしば描かれています。

しかし,神の選ばれた民であった古代のイスラエル人は,馬や兵車が安全と独立のために不可欠と考えたエジプト人や他の同時代の諸国民のようになってはなりませんでした。イスラエルの王は自分のために馬を多くすることを禁じられました。(申 17:15,16)イスラエル人は,軍事力や馬や兵車に頼る代わりに,エホバに助けを求めるべきであり,決して敵の戦争の装備に恐れを抱いてはなりませんでした。―申 20:1-4; 詩 20:7; 33:17; ホセ 1:7

イスラエルのダビデ王は,馬を多くすることを戒めるエホバの言葉を思いに留めていました。ツォバのハダドエゼルに対して勝利を収めた時,ダビデは自分の軍隊に多くの馬を加えることもできましたが,そうはせず,当面の目的に十分とみなした数だけを残して,他の馬はそのひざ腱を切るように命じました。―サム二 8:3,4; 代一 18:3,4。ヨシュ 11:6,9と比較。「ひざ腱を切る」を参照。

ソロモンの時から,流刑からの帰還まで しかし,ダビデの子で後継者となったソロモンは何千頭もの馬を集めはじめました。(王一 4:26[ここの「馬の畜舎四万」という数は「四千」の誤写と一般に考えられている]。代二 9:25と比較。)ソロモン王はエジプトをはじめ他の土地からも馬を受けました。(代二 9:28)彼の知恵を聞こうとやって来た人たちの贈り物の中にも馬が入っていました。(王一 10:24,25; 代二 9:23,24)馬は,特別な兵車の都市やエルサレムの畜舎に置かれました。(王一 9:17-19; 10:26)それらの馬に食べさせる大麦やわらは,王の食卓に食物を供給する責任のあった地方の代官たちによって備えられました。―王一 4:27,28

ソロモンの治世中,王の商人たちは馬や兵車の売買を行ないました。馬1頭の代価は銀150枚(銀の単位がシェケルであれば330㌦),兵車1台の代価は銀600枚(シェケルであれば約1,320㌦)でした。―王一 10:28,29; 代二 1:16,17

その後,ユダとイスラエルの王たちは戦闘に馬を用いました。(王一 22:4; 王二 3:7)ユダに関して,預言者イザヤは,その地が馬で満ちていると述べました。(イザ 2:1,7)イスラエルの歴史において,時には干ばつ,飢きん,軍事上の敗北などのために馬の数が大幅に減少したこともありましたが(王一 17:1; 18:1,2,5; 王二 7:13,14; 13:7; アモ 4:10),それでも民は馬に確信を置き,エジプトに軍事上の援助を求めました。(イザ 30:16; 31:1,3)ユダの邪悪な王たちはある種の馬を異教の太陽崇拝に献じることさえして,それらをエホバの神殿の神聖な境内に連れて来ました。(王二 23:11)ユダの最後の王ゼデキヤはバビロンの王ネブカドネザルに背いた後,エジプトに使者を送って馬と軍事援助とを求めました。(代二 36:11,13; エゼ 17:15)その結果,ユダは預言のとおり流刑に処せられました。―エゼ 17:16-21; エレ 52:11-14

馬は,神の散らされた民のエルサレムへの移送のために用いられる駄獣の中に挙げられています。(イザ 66:20)ですから,回復の預言が最初に成就したとき,帰還の途についたユダヤ人が736頭の馬を連れ帰ったことは注目に値します。―エズ 2:1,66; ネヘ 7:68

例証的な用法 聖書の中で,馬は何かを例証的に説明する場面に何度も出て来ます。不信仰なエルサレムの姦淫の子らは「盛りの付いた馬」に例えられています。(エレ 5:7,8)不忠実なエルサレムは異教諸国民の支配者たちと売春を行ない,雄馬になぞらえられた,精力の並外れて強い者たちに所有されるそばめのように彼らに対して欲情を燃やしました。(エゼ 23:20,21)背教の民の強情で悔い改めない態度は,結果も考えずに戦闘に突進する馬の性急さに例えられています。―エレ 8:6

王の乗用馬に特別の注意が払われ,美しい飾りが施されたことは,悔い改めたご自分の民にエホバが好意的な注意を向け,彼らを,勝利を収めた軍馬のようにされることを比喩的に表わしました。―ゼカ 10:3-6

エホバは預言者ヨエルを通して,神の民と主張しながら実際には背教者である者たちに臨む悲痛な災厄を予告されましたが,むさぼり食うその悪疫を「馬の姿」で描いておられます。(ヨエ 2:1-4)使徒ヨハネはいなごによる大災厄に関する同様の幻を与えられましたが,そのいなごは「戦闘の備えをした馬に似て」いました。―啓 9:7

ヨハネはまた,神からの滅びの裁きを執行する権限を与えられた万の二万倍(2億)の数の騎兵隊を見ました。それらの馬には頭にも尾にも死をもたらす力があります。これらの馬はすべてユーフラテス川につながれていた4人のみ使いの指揮下に置かれていたものと思われます。―啓 9:15-19

エホバの,目に見えない天的な戦いの装備は,火の馬と兵車によって表わされています。(王二 2:11,12)ある時エリシャは,恐れおののく従者の目が開かれ,『山地がエリシャの周囲の火の馬と戦車で一杯である』のを見ることができるよう祈りました。それらは,エリシャを捕らえるために遣わされて周囲を取り囲んでいたシリアの軍勢から彼を守るためそこにいたのです。―王二 6:17

それから数世紀後,ゼカリヤは4台の兵車に関する幻を与えられました。第1の兵車には赤い馬,第2の兵車には黒い馬,第3の兵車には白い馬,第4の兵車にはぶちでさまざまな色の馬が並んでいました。それらは「天の四つの霊」であると述べられています。―ゼカ 6:1-8。ゼカ 1:8-11も参照。

エルサレムに敵して軍役を行なう者たちに関するゼカリヤの預言は,エホバがご自分の民を救助するために到来し,敵とその馬に滅びをもたらすことを示しています。(ゼカ 14:12-15。エゼ 38章および39章も参照。)その行為の結果もたらされる祝福の一つとして,馬が戦闘で使用されることはもはやなくなります。次の言葉に暗示されるとおり,馬は神の栄光に仕えるものとして用いられることになります。「馬の鈴の上に,『神聖さはエホバのもの!』と記される」。(ゼカ 14:20。出 28:36,37と比較。)また,戦車と馬を断つことは平和の回復をも表わしています。―ゼカ 9:10

使徒ヨハネの象徴的な幻の中で,栄光を受けたイエス・キリストは白い馬に乗り,軍勢を率いる姿で描かれていますが,その軍勢の者たちもみな白い馬に乗っています。この幻がヨハネに啓示されたのは,キリストがご自分の神また父であるエホバのため,すべての敵に対して行なう戦いが義と公正の戦いであることを示すためでした。(啓 19:11,14)それより前の箇所では,キリストが王として行動を起こし,それに続いて災いの生じることが,異なる馬とその乗り手たちによって表わされています。―啓 6:2-8



その起源

イスラエルの宗教でも馬を捧げる習慣はない。ただ、ソロモン王が建てた神殿の傍には厩が置かれていた。それはおそらく神殿と王の宮殿とを防衛する目的で置かれていたのだろう。神道の最初の祭司たちはエルサレムの神殿をそのまま模倣して厩を置くことを代々の決まりとしたのではないか。

聖書の記述

驚かされるのは、エルサレムの神殿と神道の神社、その双方で厩が太陽を拝する祭儀と関連を持っていることである。そのヒントになる箇所が偶然聖書に残されているが、それはこの厩の謎を解くだけではなく、より理解を深める鍵となる。旧約聖書列王記にはユダ王国のヨシア王が王国内に蔓延していた異教崇拝を排除する記事があるが、その時、この馬を捧げる習慣も排除したのである。

「彼はユダの王たちが太陽にささげて、主の神殿の入り口、前庭の宦官ネタン・メレクの部屋の傍らに置いた馬を除き去り、太陽の戦車を火で焼いた」。

287頁

【日本とイスラエル】馬の燔祭 | 日本人の信仰と聖書について考える会ブログ


https://nihonjintoseisho.com/blog001/2018/12/03/japan-and-israel-98/

【日本とイスラエル】馬の燔祭

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

厩(うまや)

伊勢神宮の外宮の傍には厩が置かれている。昔はほとんどの神社に厩が置かれていた。馬を神に奉納する習慣は非常に古いものであるが、その起源がどこにあるのか神職であっても知らない。

その起源

イスラエルの宗教でも馬を捧げる習慣はない。ただ、ソロモン王が建てた神殿の傍には厩が置かれていた。それはおそらく神殿と王の宮殿とを防衛する目的で置かれていたのだろう。神道の最初の祭司たちはエルサレムの神殿をそのまま模倣して厩を置くことを代々の決まりとしたのではないか。

聖書の記述

驚かされるのは、エルサレムの神殿と神道の神社、その双方で厩が太陽を拝する祭儀と関連を持っていることである。そのヒントになる箇所が偶然聖書に残されているが、それはこの厩の謎を解くだけではなく、より理解を深める鍵となる。旧約聖書列王記にはユダ王国のヨシア王が王国内に蔓延していた異教崇拝を排除する記事があるが、その時、この馬を捧げる習慣も排除したのである。

「彼はユダの王たちが太陽にささげて、主の神殿の入り口、前庭の宦官ネタン・メレクの部屋の傍らに置いた馬を除き去り、太陽の戦車を火で焼いた」。

日本に持ち込まれた習慣

この不思議な習慣の起源については、これ以上の事は分からない。ただ考えられるのは、マナセ族に属するアマテラスとスサノオの祖先は、まだエジプトにいるころから馬の養育に携わり、イスラエルの地でもそれを継承し、日本にもそれを持ち込んだ。そのことと神道の馬の奉納とはおそらく関係があるということである。その起源を知らない神道の祭司たちは、ただエルサレムの神殿での習慣をそのまま聖なるものとして代々守り続けてきたのである。今日に至るまでエルサレム神殿の敷地内には、かつての罪の記念碑のように厩の廃墟跡が残されている。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 7章45~53節

さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰ってきたので、彼らはその下役どもに言った、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」。下役どもは答えた、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。パリサイ人たちが彼らに答えた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」。

彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。

彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。〔そして、人々はおのおの家に帰って行った。

この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした

祭司長やパリサイ人たちは下役どもがイエスを捕えて連れて来ることを期待していたようでした。しかし、下役どもは実際にイエスの語るのを聞いて、その良心に感じるところがあったのでしょう。

ニコデモ

ニコデモは律法に基いて、正しく取り扱うことは正しいことではないかと言いました。何が神の前に正しいことであるのか。自らが国家の権威や権力の中央にいる者であっても、それを曲げることは不正以外の何ものでもありません。世渡り上手になることでも、権力を利用することでもなく、神の前に正しく生きることが求められているのです。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

新刊「日本人の幸せ」(電子版100円)をお買い求めください!

Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が販売されました。一人でも多くの方に読んでいただけるように、電子版の価格を100円といたしました。(文庫版も好評発売中。詳しくはAmazonのサイトでご確認ください。)これを記念して既刊の「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」も電子版の価格を100円にしました。ぜひお読みください。レビューのご協力もよろしくお願いします。

目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

20240202『日本とユダヤの古代史&世界史』田中英道 第五章 | PlanetWork五番町 BLOG

20240202『日本とユダヤの古代史&世界史』田中英道 第五章 | PlanetWork五番町 BLOG p209 田中 ルネサンス美術は、メディチ家(ユダヤ人資本家)が教会に大金を出し、文化が生まれる。反対にユダヤ自身からは文化は生まれない。作家を助ける形。ユダヤ人の...