平城京で大嘗祭の木簡出土 724年 聖武天皇即位時 https://youtu.be/TvcQ0kHxyRc?si=oAJ7xqVIS-LMSdd4 @YouTubeより
平城京で大嘗祭の木簡出土 724年 聖武天皇即位時
2024/03/19
聖武天皇即位時の「大嘗祭」の木簡見つかる 平城京跡 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20240319/k00/00m/040/386000c
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聖武天皇即位時の「大嘗祭」の木簡見つかる 平城京跡
平城京跡(奈良市)の発掘調査で、宮中祭祀(さいし)の「大嘗祭(だいじょうさい)」を指す「大嘗」と書かれた木簡が初めて見つかった。「神亀(じんき)元年」(724年)と記されたものもあり、19日発表した奈良文化財研究所は、1300年前に即位した聖武天皇(701~756年)の大嘗祭に伴う木簡と判断した。各地から集められた物資に付けられた荷札とみられ、謎多き大嘗祭の実態に迫る発見。
大嘗祭は、天皇が即位後初めて行う新嘗祭(にいなめさい)で、即位の年か翌年の11月に五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る。天武天皇の時代に整えられたとされ、今上天皇まで続く一世一度の重要な儀式。その年に収穫された穀物や酒などを神前に供え、天皇自らも口にするとされるが、秘儀のため詳細は明らかにされていない。
「己卯(つちのとう)、大嘗す。備前国(岡山県東部)を由機(ゆき)とし、播磨国(兵庫県)を須機(すき)とす」。続日本紀は聖武天皇の大嘗祭を724年11月23日に営み、儀式で使う米の産地に備前、播磨両国が選ばれたと伝える。
出土1000点のうち4点に
今回の調査では1000点以上の木簡が出土し、現時点で「大嘗」の文字が確認されたのは4点。3点(長さ16・8センチ~31・5センチ、幅2・1~2・7センチ)は「大嘗分」とあり、「大嘗祭の分」として、炭や苫(むしろ)を納めたと記す。他の1点(長さ24・2センチ、幅4・8センチ)は「大嘗贄(にえ)」で「贄」は海産物や肉などの食材を指すという。
「神亀元年」の木簡は2点。1点(長さ16・2センチ、幅1・6センチ)は9月に「備中国(岡山県西部)小田郡日下部郷」から白米を、もう1点(長さ21・5センチ、幅3・4センチ)は10月(推定)に同じ備中国の「軽部郷」と「白髪部郷」から糸をひつに収めて送った、とあった。
他に、周防(山口県)や安房(あわ)(千葉県)から送られたとみられる木簡やクリの皮も見つかっており、大嘗祭のために全国各地からさまざまな物資が集められたことがうかがえる。
聖武天皇が大嘗祭を営んだ「大嘗宮」の遺構は過去の調査で、平城京中枢部の宮内で確認された。今回、木簡が見つかった場所は宮の正門・朱雀門の南東約200メートル。平城京を南北に貫くメインストリート・朱雀大路に面しているが、大嘗宮からは1キロ弱離れている。大きな穴(東西2・8メートル、南北2・5メートル)の中から1000点以上がまとまって出土し、一括して投棄された可能性が高いという。
大嘗祭の謎解けるか
「目にしたことのない史料で興奮が収まらない」。木簡の解読に携わった奈文研の馬場基・平城地区史料研究室長はそう話し、「調査地一帯がバックヤードとして使われ、大嘗宮に物資を供給していたのだろう。物資がどこからどのように集められ、大嘗祭をどう支えたのか解明したい」と意欲を見せる。
奈良大の渡辺晃宏教授(日本古代史)も「10年に1回あるかどうかの発見」と驚きを隠さず、「大嘗祭に使う資材の荷ほどきをして準備をするための空間で、宮の外でも最も宮に近いところが選ばれたのではないか」と話した。
栄原永遠男(さかえはらとわお)・大阪市立大(現大阪公立大)名誉教授(日本古代史)は「平安時代以降の大嘗祭については使う物や儀式の手順がある程度分かっているが、奈良時代については全く不明だった。他の木簡を含めて解読が進めば、厚いベールに閉ざされた当時の大嘗祭の様子が分かるかもしれない。まずは見つかった木簡の全貌を知りたい」と今後の調査に期待した。【上野宏人】
https://news.yahoo.co.jp/articles/f87b04e9819f18bf0e730f043c97a9ba6b35612a
聖武天皇即位1300年目の年に発見「因縁のようなものを感じざるをえない」木簡1000点以上が出土…即位時の「大嘗祭」で使われたか
奈良市の平城宮跡のすぐ近くで聖武天皇にまつわる木簡が見つかりました。 奈良文化財研究所によりますと、奈良市内で行われている平城宮跡歴史公園の整備に伴う発掘調査で、平城宮の正門だった「朱雀門」から約200m離れた場所で、墨で文字が書かれた木簡が1000点以上出土しました。 このうち4点の木簡には「大嘗」という記述があり、木簡は天皇の即位後に行われる「大嘗祭」の奉納品などに取り付けられた可能性があるということです。また、ほかの木簡に記された年代から、聖武天皇が即位した際の「大嘗祭」で使われていたとみられています。 (奈良文化財研究所 馬場基室長)「露骨に『大嘗』と書いた木簡は見つかっていませんでした。ちょうどこの(聖武天皇)即位から1300年目の年に(見つかった)。宿年というか因縁というかそのようなものを感じざるをえない」 研究所によりますと、埋まっている木簡は(出土分を含めて)約1500点あるとみられ、今後、調査を進めることにしています。
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