2024年3月24日日曜日

「阿波が日本の始まり」とかいう人に注意。それ、歴史修正主義者です。|KyoKannazuki21

「阿波が日本の始まり」とかいう人に注意。それ、歴史修正主義者です。|KyoKannazuki21
神武天皇については否定できていない


~~~電波発信~~~
阿波国は特別な国。空海も【太龍寺縁起】にて
「磯輪上乃秀真国之阿波国也」と、記している。
~~~電波終了~~~
これもやはり阿波説ブロガーたちの捏造です。
太龍寺縁起には正しくは以下のように記されています。
『天神七代之内六世、面足尊煌根尊降居坐磯輪上秀真国是也』
そして、本州、そして四国の紹介となり 『三云、大宜都比売是阿波国也』

神世七代の第6代の神、【面足尊、と妹の惶根尊=秀真国】 【大宜都比売=阿波国】

「阿波が日本の始まり」とかいう人に注意。それ、歴史修正主義者です。

見出し画像

前に教えてもらったのですが、最近、ネットを見てるとあいかわらず、
「阿波が日本の始まり」とかいうコンテンツ作っている人がいるので、それの反証をご紹介します。

こちらのURLの内容をよくご覧ください。

一部引用します。太字は私がつけました。

「邪馬台国阿波説なんて言うはハハハッと笑って見過ごせそうなものですが
『阿波古事記』や『阿波国風土記』などで検索すると
【邪馬台国から持統天皇までの出来事は全て阿波で起こった事】であると、
とんでもない電波を飛ばす「阿波国古代研究所」や「阿波古事記研究会」なる団体があります。

【阿波古事記研究会・古代神山研究会による捏造案件】
『天岩戸立岩神社』(名西郡神山町) 神社名改ざん!!

~~引用~~
「立岩神社」には阿波古事記研究会や古代神山研究会が手掛けた看板が賑々しく掲げられているが、
これらは後世的な解釈の賜物であることに注意しなければならない。
ましてや、「天岩戸立岩神社」として天岩戸伝説とつなげようとしている看板説明は、かなり批判的に見る必要がある。岩に入る亀裂が天岩戸を彷彿させるといった主観で結びつけられたのならそれは歴史的には由々しきことである。

https://www.megalithmury.com/2021/04/tateiwa-kamiyama.html
~~~~~~
巨石信仰を天岩戸伝説に差し替えた阿波古事記研究会・古代神山研究会による捏造である。

①立岩神社 (徳島市多家良町立岩)
日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。基部正面に左右二個の大玉石を配し、素朴にも【男性を象徴】している。

②立岩神社(名西郡神山町)
立岩神社①から直線距離で13km西方には、高さ二十メートル、巾二十メートルの【女性を象徴】する亀裂が入った巨岩が鎮座する。

『①、②はどう考えても対になる陰陽の巨石信仰である。』
①の近くに金山神社があるのを良い事に後世、八咫鏡の作成のために製鉄を行ったとも考えられる「天津麻羅」を男根(まら)に附会し祭神としたものであろう。天津麻羅は、天目一箇神の別名とされるが摩羅(まら)という言葉は仏教と共に日本に入ってきたものであり男根の別称とされたのはさらに時代が下るものであるので、かなり無知な人間による後世の附会と言える。祭神はおそらく捏造である。
また、女性を象徴する巨岩を天の岩戸伝説に附会する為、神社名に「天岩戸」を勝手に付け加えたものだ。②はもちろん「邪馬台国阿波説」による捏造である。大いに糾弾すべき案件であると言える。

前スレ【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!5

バレてもバレてもおかまいなし、倭は阿波、阿波は倭を繰り返し、全く無意味な主張を続けるのです。国譲り、乙巳の変、壬申の乱・・・これら全てが阿波で起こったと言うのです!
信じられますか?飛鳥の蘇我入鹿公の首塚もわざわざ阿波から移転したのでしょうか?
誰が何の為に?奈良・大阪の巨大古墳群に関しては阿波の分家が王家より巨大な墓を作るという明らかに矛盾した内容ですが、これらには全く答えようともせず、倭は阿波、阿波は倭を繰り返すのです。
では、彼らの主張を見ていきましょう。
阿波国風土記自体は現存しませんので、萬葉集註釋いわゆる「仙覚抄」の引用からです。

~~~電波発信~~~
天皇の稱號(しょうごう)が書いてある (萬葉集註釋 卷第一)
阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知天皇 云。

崇神天皇、仁徳天皇、宣化天皇 の称号です。
通説では天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、その地誌で、何故、天皇の称号について書かれるのでしょうか?
役人が天皇に献上する書です。上記の天皇が阿波に関係なければ、
書けるわけがありません。書く理由がありません。
~~~電波終了~~~
そんな事は他の風土記にも普通に書いています。
所謂『常陸の国風土記』には、或は云ふ。巻向日代宮大八洲照臨天皇の世、
或は云ふ。石村玉穂宮大八洲処馭天皇の世と、或は云ふ。難波長柄豊前大朝八洲憮馭天皇の世。」

「~~~電波発信~~~
徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、
この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。
これは、文武天皇(七〇二年)の御宇に、倭国(阿波)から奈良大和へ遷都したことを表す。
(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの)
~~~電波終了~~~
印鑰神社と呼ばれる神社は各地に存在し、
古代の国府の印鑰である場合や、大きな神社領地の印鑰である場合など。
基本的には、総社とは無関係な存在である。

印鑰神明宮 - 山形県山形市鈴川町鎮座。
印鑰神社 (七尾市) - 石川県七尾市府中町鎮座。
印鑰神社 (うきは市) - 福岡県うきは市浮羽町流川鎮座。
印鑰神社 (佐賀市大和町) - 佐賀県佐賀市大和町大字尼寺鎮座。
印鑰神社 (壱岐市) - 長崎県壱岐市勝本町勝本浦鎮座。
印鑰神社 (八代市) - 熊本県八代市鏡町鏡村鎮座。
印鑰神社 (西都市) - 宮崎県西都市大字三宅鎮座。

国璽の印と国庫の鍵の印と鍵は大変重要であり、天皇の名代とも考えられたので、
平時は別殿に厳重に保管され大切に祀られていたという。
まさに王都ではない事の証明となるのである。

また、阿波国が正式に倭国に降り阿波の国璽の印と国庫の鍵を差し出したとも解釈できます。
「持ち出した」ではなく「差し出した」です。
差し出したには譲渡、あるいは提出させられたという意味が込められているように思います。
先ほども少し述べましたが神武東遷にあたり、反対派が「倭」を離れています。
その一派が国璽の印を持ち逃げし、放置されていた物を文武天皇に返却したとも考えられます。
さらに、誰に対して差し出したのかも不明なのです。まったくもって「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。

まだまだ続くよ。ああ、疲れてきました。
さっすがは、革命極左天皇家反対運動連中です。しつこいです。暇なのでしょう。まともな立派な仕事をもらえてないのでしょうねえ・・・。

「~~~電波発信~~~
菊の十六紋を神紋とする「神武天皇を祀る樫原神社」

阿波忌部族の勢力圏となる吉野川南岸部をすべて見下ろす地に建つのが
「橿原神宮」の元社と囁かれる阿波市土成町樫原の「樫原神社」であり、
祭神を神武天皇の元名・「神倭伊波礼毘古命」とし、菊の十六紋を神紋とする。
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/
~~~電波終了~~~
リンク先のページの方は正直に
>祭神神倭伊波礼比古(かむやまといわれひこ)といわれていますが、【どうも近世にいわれ出した】ように考えられ、元来は式内社事代主神社が山上にあったとの説もあります。

と、書かれています。これには【阿波人のウリナラ気質】が見てとれます。
明治政府が橿原神宮を作ったのをいい事に元社に仕立て上げたと言う事でしょう。
カシハラ、カシワラ、カジワラなどはめずらしい名ではありません。
菊の十六紋を付けているところが逆に怪しさプンプンです。
(菊の十六紋の採用は13世紀ごろと言われています。)

阿波人がこのようなウリナラ気質では祭神や神社伝承など全くあてになりません。」

うーむ、この記事を書いている人も、疲れてきたのか、キレ気味になってきます。
ちょっとわかります。私もイラっとなりますからね。
そんなもん、7世紀の古墳を出して、「阿波が始まりなんです」といわれたら、紀元前に皇室の先祖が住んでいた九州とか、どうやねんwww

「◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆その他にも徳島県内の神社では邪馬台国阿波説に則した ◆
◆祭神の書替が行われています。信じないようにして下さい◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

元名・「神倭伊波礼毘古命」って意味がよくわからないのですが
磐余彦は奈良に到着してからの名前なのですけどね。もちろん「神日本」は記紀の後付けです。

狭野神社 宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田
主祭神 神武天皇 【幼名:狭野尊】
由緒 社伝によれば、第5代孝昭天皇の御代、
神武天皇の御生誕の霊跡に創建されたのが創祀です。
御生誕伝承が宮崎県にあるのです。神武天皇の幼名は狭野です。

00062022/01/11(火) 18:54:55.71

~~~電波発信~~~
阿波には長野の諏訪大社の元宮である元諏訪社「多祁御奈刀弥神社」がある。
倭は阿波である証拠と言えよう。
~~~電波終了~~~
延喜式神名帳の「多祁御奈刀祢神社」に比定される「多祁御奈刀弥神社」(徳島県名西郡石井町浦庄)。どちらかが誤りであるか、祢と弥の字が違う。
現在、「多祁御奈刀弥神社」【たけみなとみ】と意味の分からない名で読ませているが、延喜式神名帳が正しければ、祁御奈刀・祢(タケミナカタ・ミタマヤ)あるいは、(タケミナカタ・カタシロ)と読める。何かとおかしな事が多い神社である。

元諏訪社の伝承について (佐古山に分祀された多祁御奈刀弥神社 )
【由緒】この社の中世以前のことについては殆ど知られていないが、藩制時代には藩から厚い信仰を受けたが、 三代藩主(蜂須賀)光隆公が疱疹にかかられた際、この社が奇瑞を著し、
一段と信仰が厚くなった。そこで参拝の為、 鮎喰川(あくいがわ)を渡る不便を解消する手段として、この社の分霊を市内の佐古山に勧請された。 その後、この分霊社が市民から深い信仰を得たことは、徳島県人の新しい認識である。

これを読むと、徳島市の佐古山に分祀された多祁御奈刀弥神社が、『諏訪神社』として大いに賑わったことがわかります。
その一方で、「諏訪」の文字がない本社の多祁御奈刀弥神社は、その現状に憂いを持ったのは想像に難くありません。

写真は社前にある社号標で、「元諏訪社」と書いています。佐古山諏訪神社の本社として
この四文字を加えたのを後の世に、事もあろうか『信濃国一之宮・諏訪大社』の元宮に仕立て上げるなどと、図々しいにも程があります。
信濃国諏訪郡南方刀美神社には
『孝徳天皇八年(六五二)一二月、 勅使が遣わされて、綿一○○把が奉献され、
持統天皇五 年(六九一)八月にも勅使が遣わされた。』とあり、宝亀10年(七七九)、阿波から勧請などと言うのは無茶苦茶です。

徳島に建御名方神を祀る神社があるのは、
大彦命を祖とする皇別氏族、高志国造の阿閇氏が阿波に移り住んだためである。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO5wsyv0LeoihWuQQS4unX5W9sJskAb6gxQ5Xt0
https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/suwasya2/pic5/motosuwasya.jpg

00072022/01/11(火) 18:55:22.77

~~~電波発信~~~
阿波国は特別な国。空海も【太龍寺縁起】にて
「磯輪上乃秀真国之阿波国也」と、記している。
~~~電波終了~~~
これもやはり阿波説ブロガーたちの捏造です。
太龍寺縁起には正しくは以下のように記されています。
『天神七代之内六世、面足尊煌根尊降居坐磯輪上秀真国是也』
そして、本州、そして四国の紹介となり 『三云、大宜都比売是阿波国也』

神世七代の第6代の神、【面足尊、と妹の惶根尊=秀真国】 【大宜都比売=阿波国】
捏造糞民族、国賊、朝敵阿波人。皇国から消えてなくなってほしい。
はずかしくないの?本当に、良心が傷まないの?馬鹿なの?死ぬの?」

おおー、1つ、勉強になります。
四国に移住したのは、忌部氏や越智氏だけでなく、阿閇氏もそうってことなのですね。なるほど。

徳島に建御名方神を祀る神社があるのは、
大彦命を祖とする皇別氏族、高志国造の阿閇氏が阿波に移り住んだためである。」

はー、まあ、私が調べただけでも、こういう「7世紀かよ」っていうのが多いです。1-2世紀のは1つだけだったですね。
(これは忌部氏が、奈良県橿原市に神武天皇が着いたすぐ翌年に、速攻で「四国に行け」と命令されたからなのです。)

というわけで、そろそろ神社庁、うその看板は撤去命令を出してもらいたいです。その阿波の団体が出している分は特に。

しかしまじに、徳島県民 韓国人みたいなウリナラ思想は、恥ずかしいから、ちょっと反省してやめればいいのに・・・。

ちなみに、参考にこういうのを堂々と出している動画があるので、いくつかリンクします。
一見面白そうに見えるのですが、調べると上記のように嘘です。

他にもあると思いますが、とりあえずこのへんで。
うようよあって、ほんとうざいんだよねえ・・・。

なんか、「考古学の博士号を持ってる」とか「学会に入ってる」とかはマークとかつけて、そうでないときは、素人枠にしてもらいたいなあ。

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