1602年にマテオ・リッチにより刊行された坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)では、ユダヤを「如徳亜」judeaと表記している。
写真は日本、林原美術館に残るバージョン。
山片蟠桃『夢ノ代(ゆめのしろ)』等でもユダヤを如徳亜と表記している。
江戸時代、一時期、一部の知識人の間で、徳の字がユダヤを連想させるものだった可能性がある…と思う。
徳島について言えば、徳島が蜂須賀家政によって命名されたのはそれより前の1585年とされている。
徳の字を徳川への忖度とするには1585年は早すぎる(地名に正式採用されたという1615年なら分からなくもないが)。
徳の字を儒教のそれだと考えても蜂須賀家が儒教を重視するのは10代目以降だろう。
蜂須賀家政は晩年キリシタンになったという証言があるから一筋縄ではいかない。
1602年のマテオ・リッチによる表記を1585年に蜂須賀家政が知っていた可能性は少ないが、徳島を正式な地名として採用した1615年頃には坤輿万国全図を知っていたかも知れない。
https://x.com/fukuko2025/status/1930829786609586574?s=61
1602年にマテオ・リッチにより刊行された坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)では、ユダヤを「如徳亜」judeaと表記している。
写真は日本、林原美術館に残るバージョン。
江戸時代、知識人はユダヤを如徳亜と表記している。
江戸時代、一時期、一部の知識人の間で、徳の字がユダヤを連想させるものだった可能性がある…と思う。
徳の字を徳川への忖度とするには1585年は早すぎる(地名に正式採用されたという1615年ならわからなくもないが)。
徳を儒教のそれだと考えても蜂須賀家が儒教を神聖化するのは10代目以降だろう。
1602年のマテオ・リッチによる表記を1585年に蜂須賀家政が知っていた可能性は少ないが、徳島を正式な地名として採用した1615年頃には坤輿万国全図を知っていたかも知れない。
蜂須賀家政は晩年キリシタンになったという証言があるから一筋縄ではいかない。
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