2025年6月11日水曜日

ヤンチェンホ氏古城参議の公宗中|《天主実義》発文[跋天主實義] - 利益/聖護伝集55巻 - Daumカフェ

ヤンチェンホ氏古城参議の公宗中|《天主実義》発文[跋天主實義] - 利益/聖護伝集55巻 - Daumカフェ

 

《天主実義》は利瑪竇Matteo Ricciが著述したものである。イマドゥはまさに欧羅巴の人だが、そこは中国から8万里余り離れていて開壁以来通教したことがない。明の万暦年間に耶蘇会。イエズス会)の仲間である陽瑪諾Diaz Emmanuel、艾儒略Giulio Aleni、畢方濟、熊三拔Sabbathin de Ursis、龐迪我 Didace de Pantojaなど数人と一緒に船に乗って訪ねてきて3年ぶりに到着した。その学問はひたすら天主(天主)を至尊(至尊)とするが、天主とは即ち有家の上帝(上帝)と同じだが、恭しく仕え、恐れ、信じることで言えば仏家(佛家)の釈迦(釋迦)と同じだ。天国と地獄で勧善懲悪とし、広く導いて救済することで耶蘇(耶蘇.イエス)というと、ヤソは西方国の世界を救う者の称号だ。自らヤソという名前を言ったのはまた中古の時からだ。純朴な人たちが次第に染まり、聖賢が死んで去ると、欲に従う者は日に日に多くなり、理に従う者は日に日に少なくなった。これに天主が大きく慈悲を施して直接来て世界を救おうと貞女を選び母にして男女の交感なく童貞女の胎を借りて


如徳亜国Judea.ユダヤ国)で生まれたが、名前をヤソとした。自ら教えを立てて西土(西土)に教化を広く広めてから33年ぶりに再び昇天(昇天)して帰ったが、その教えがついにグラ派諸国まで流布された。おおむね天下の大陸は5つあるが、真ん中にアシア(亜細亜)があり、西にグラファがあるから、今中国はアジアの10分の1を占めており、ユダヤ(猶太)もまたアジアの西の国の一つである。

ヤソの世界で1603年が過ぎた後、イマドゥが中国に至ったが、その仲間たちは皆鼻が高く、目が青く、四角いバンダナに青い服を着て童子の体を守って結婚したことがなかった。朝廷が役職を与えても拝礼(拜禮)せず、ただ毎日大関の奉禄を支給され、中国語を習って中国の本を読んだ。彼らが著した本が数十種にもなったが、天文と地理を観察して暦法を計算する奥妙さは中国に古くからなかったものだ。私が遠い地域の外臣(外臣)として遠い海を渡って中国の学士の大夫たちと交遊したが、学士の大夫たちが皆襟を引っ込めて高くして先生と称してあえて立ち向かわなかったので、彼もまた豪快な人物だ。しかし、彼が仏教の教えを極端に排斥し、自分たちも結局は同じように不条理なところに帰結することを逆に気づかなかった。その本に至って、「昔西国(西國)の閉他臥剌。ピタゴラス)という者が、民衆が遠慮なく悪(惡)を行なうことを嘆いて輪廻説(輪廻説)を作り出したが、君子が断定することを「その意味はいいが、その言葉には欠点がないわけではない。'と言うと、その説がついになくなった。その時、この説が突然外国に漏れたが、釈迦が新しい門戸を建てることを図りながら、この輪廻説を継承した。ある明帝(漢明帝)が西方に教えがあるという話を聞いて使者を送って行って助けさせたが、使者が途中でインド(印度)に間違って到着し、その説を中国に伝えた。人々が前世のことを思い出せるのは、悪魔が人を騙したソチだから、これは仏教が中国に入ってきてから現れたことだ。世界万方の生死は古今が全て同じだが、釈迦以外には前世のことを一つも覚えている人はいない。」した。

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ヤンチェンホ氏古城参議の公宗中|《天主実義》発文[跋天主實義] - 利益/聖護伝集55巻 - Daumカフェ

《天主実義》は利瑪竇Matteo Ricciが著述したものである。イマドゥはまさに欧羅巴の人だが、そこは中国から8万里余り離れていて開壁以来通教したことがない。明の万暦年間に耶蘇会。イエズス会)の仲間である陽瑪諾Diaz Emmanuel、艾儒略Giulio Aleni、畢方濟、熊三拔Sabbathin de Ursis、龐迪我 Didace de Pantojaなど数人と一緒に船に乗って訪ねてきて3年ぶりに到着した。その学問はひたすら天主(天主)を至尊(至尊)とするが、天主とは即ち有家の上帝(上帝)と同じだが、恭しく仕え、恐れ、信じることで言えば仏家(佛家)の釈迦(釋迦)と同じだ。天国と地獄で勧善懲悪とし、広く導いて救済することで耶蘇(耶蘇.イエス)というと、ヤソは西方国の世界を救う者の称号だ。自らヤソという名前を言ったのはまた中古の時からだ。純朴な人たちが次第に染まり、聖賢が死んで去ると、欲に従う者は日に日に多くなり、理に従う者は日に日に少なくなった。これに天主が大きく慈悲を施して直接来て世界を救おうと貞女を選び母にして男女の交感なく童貞女の胎を借りて如徳亜国Judea.ユダヤ国)で生まれたが、名前をヤソとした。自ら教えを立てて西土(西土)に教化を広く広めてから33年ぶりに再び昇天(昇天)して帰ったが、その教えがついにグラ派諸国まで流布された。おおむね天下の大陸は5つあるが、真ん中にアシア(亜細亜)があり、西にグラファがあるから、今中国はアジアの10分の1を占めており、ユダヤ(猶太)もまたアジアの西の国の一つである。

ヤソの世界で1603年が過ぎた後、イマドゥが中国に至ったが、その仲間たちは皆鼻が高く、目が青く、四角いバンダナに青い服を着て童子の体を守って結婚したことがなかった。朝廷が役職を与えても拝礼(拜禮)せず、ただ毎日大関の奉禄を支給され、中国語を習って中国の本を読んだ。彼らが著した本が数十種にもなったが、天文と地理を観察して暦法を計算する奥妙さは中国に古くからなかったものだ。私が遠い地域の外臣(外臣)として遠い海を渡って中国の学士の大夫たちと交遊したが、学士の大夫たちが皆襟を引っ込めて高くして先生と称してあえて立ち向かわなかったので、彼もまた豪快な人物だ。しかし、彼が仏教の教えを極端に排斥し、自分たちも結局は同じように不条理なところに帰結することを逆に気づかなかった。その本に至って、「昔西国(西國)の閉他臥剌。ピタゴラス)という者が、民衆が遠慮なく悪(惡)を行なうことを嘆いて輪廻説(輪廻説)を作り出したが、君子が断定することを「その意味はいいが、その言葉には欠点がないわけではない。'と言うと、その説がついになくなった。その時、この説が突然外国に漏れたが、釈迦が新しい門戸を建てることを図りながら、この輪廻説を継承した。ある明帝(漢明帝)が西方に教えがあるという話を聞いて使者を送って行って助けさせたが、使者が途中でインド(印度)に間違って到着し、その説を中国に伝えた。人々が前世のことを思い出せるのは、悪魔が人を騙したソチだから、これは仏教が中国に入ってきてから現れたことだ。世界万方の生死は古今が全て同じだが、釈迦以外には前世のことを一つも覚えている人はいない。」した。

中国の先儒たちもこのような説を主張して、ただ古今が違うということで証拠にして、世の中の窮り詰まった者たちもむしろびっくりして疑わしく思ったが、今や全世界が一緒に虚実を調査してより明確に明らかになることができた。しかし、中国に仏教が入ってくる前の漢の命題以前に死んで生きて帰ってきた者の中には天国と地獄を証明した人もいなかったので、それならどうしてひときわに輪廻説だけ正しく、天国地獄説は正しいと言えるだろうか。もし天主が民を憐れんで姿を変えてこの世に現れてたまに言葉を告げてくれることが一切人間が教えを施すのと同じなら、億万の民が住む世に愛して憐れむ者がどうだろうか。ところが一人の天主が回りながら導いて悟らせるには大変じゃないかな。グラパの東側にグラパの教訓を聞かなかった者には、またどうして天主が跡を現してグラパでやったようにいろんな奇跡を行わないのか。だからいって様々な奇跡もまたありきった悪魔の術に陥ったのではないとどうやって断言しようか。

また違うと思うと、鬼は陰道(陰道)で人は陽道(陽道)なので、民衆の生活が極度に熾烈になると鬼の跡は次第に薄れていくから、理がそういうものだ。一日をもって言えば、夜は陰で低い羊だから、だから鬼は夜に現れ、人は昼に働く。大きな天下の理屈で推しめてみてもこれと同じだ。そもそも人々が生まれる前にまず神(神)の理があり、人が生まれた後も分からない奇妙なことが多かったことを伝記(伝記)で証験できるが、五帝(五帝)と三王(三王)時代にもその跡がむしろはっきりして騙すことができない。善人は祝福を受け、耽溺した者は怒られて忠告すれば従い、懲らしめれば恐れたので、『詩経』と『書経』に見られる多くの内容は、明らかにとんでもない嘘ではなく、必然的な応験があるのだ。

今の世の中で言えば、真っ最中の正午の明るい世の中に相当すると、鬼の理もまたすでに遠くなった。ところが、人々がついにあちこちに引っ張って「昔祥瑞を降らせて災いを降らせるというのは、ただ理屈で言い分けて言ったことで、そもそも一つも事実に合致するわけではなかった。」すると、故人がまた事実に基づいて話したということを全く知らないのだ。これは次の事例で証明できる。《西経》の〈金縢〉は主公の文章だが、祈って先王の神霊に才のある自分を選んで使役として振る舞うことを望んだので、それなら決してこのような理だけあってこのような応験がないとは見なせない。しかし、今この世で突然聞くなら、どうしてとても不思議で驚くべきことではないだろうか。このように考えてみると、西洋の教化が生まれたゆえも大体理解できる。考えても、西洋の風俗も徐々に粗野に変わり、その吉凶の因果応報について次第に信じなくなったはずだ。これに天主経の教えが生まれたが、最初は中国の『詩経』と『西経』の言葉のようなものに過ぎなかったが、人々がむしろ従わないかと心配したため、すぐに天国と地獄の説を説き立てて今まで伝わったのだ。その後の神霊的な奇跡は、まさに彼らが言った通り、悪魔が人を騙したソチに過ぎない。

大体中国はその実際の痕跡だけを言って跡形跡が消えると愚かな民衆が信じなくなったが、西国はその虚しい痕跡を言って跡が虚しいほど惑わされた者がさらに惑わされるので、その形勢がそうである。悪魔がこうする理由もまた、カトリックがすでに人心を病気にしたから、まるで仏法が中国に入った年後に死んで再び生き返った者たちが天国と地獄及び前世のことを思い出せるようになったのと同じだ。あの西洋はどんな理屈でも求していないものがなく、深い理理屈も通達していないものがないのに、むしろ固着した観念に陥って抜け出せないから、残念だ。

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