2025年6月8日日曜日

ユダヤ 如德亜 如德亞 利玛窦 塩崎論考  岛




Untitled - 駒澤大学学術機関リポジトリ

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原有教堂、乃如徳亜(即猶太之明訳)国所伝天主古教。適其教中艾孝廉計偕入京、造訪利子、利子将経典大全一部(即旧新約)、係. 如德亜原文、並附訳大西文字示之。艾君誦読 ...





國生成要約 後の日本人に指を屈せねばならないと思う。 強者による安穏な状況下における民族伝統の消滅という目に見えざる惨劇。 <開封ユダヤ人〉の史実のなかには、抗しえぬ強大な力に押し流されて滅びゆく者の無言の絶叫がこだましているのである。

 2〈開封ユダヤ人〉の発見 開封ユダヤ人攷(塩崎) 河南省開封府におけるユダヤ人共同体の存在についての最初の報告は、よく知られているようにイエズス会宣教師マテ オ・リッチ(利瑪竇、一五五二ー一六一〇)によるものである。

 ......わたしたちはこの王国で古いモーゼの律法に従って生きるジュデーア [ユダヤ教徒も発見した。とはいえ、 これはごく少数の家族にすぎず、 ホーナン 〔河南省の省都カイフンフ〔開封府〕 とチェキアーノ [浙江〕省の省都 ハンチェオフ [杭州府〕のほかには、彼らの教会堂があるところを知らない。そこではエブレーオ[ヘブライ文字 で羊皮紙に昔の様式に従って句読点を用いずに書かれた巻き物の「モーゼ五書」が、深い崇敬をこめて保存されてい る。「旧約聖書」のほかの各書については、彼らがどのくらい持っているのか、わたしたちにもまだわかっていない。 彼らは割礼の儀式を保っており、古い習慣に従って、豚肉その他の腱のある肉をまったく食べない。(マッテオ・リッチ 「イ エズス会によるキリスト教のチーナ布教について』 (Matteo Ricci, Della entrata della Compagnia di Gesù e christianità nella Cina)第一の書第十章〔邦訳『中国キリスト教布教史』第一巻 (「大航海時代叢書」 第Ⅱ期第八巻、 川名公平+矢沢利彦+平川祐 弘訳、岩波書店、一九八二)百二十二~百二十三頁〕) (50) 

[1605~7]

ッチらの入明(一五八二)は、同時代の李贄の言によってもうかがわれる如く、 カトリッ 教を意図したものであ る。それとともに、唐朝以来のキリスト教布教の痕跡を探りあて、その再興を図る意趣も併せもっていた。だが、予期せ ぬことに、イエズス会士について触れたある俗書を読んだという一ユダヤ人が、 北京のリッチを同胞と誤解して訪問して きたのである。これが〈開封ユダヤ人〉の存在が明らかとなる発端であった(以下、本節での引用は、リッチ、前掲書、第五 の書第四章〔邦訳前掲書第二巻(「大航海時代叢書」 第Ⅱ期第九巻、 川名公平+矢沢利彦訳、一九八三) 三十二~三十八頁〕によるもの である)。 二六一
Safari 17:19 6月8日 (日) < 00004980 ああ 100% 14/16 開封ユダヤ人攷(塩崎) 註 (1) 「我々は... 「患難の配布」にあずかった時、その時のみ、人間であるのではなかろうか。••••••凡そ、人間は、生活の苦労に、あ るいは何か「患難」に耐えさせられている時にかぎり、人間として生きているのではなかろうか。 人間は、これはもう人間にならない......。 ...... 「利巧者」は、幸福な人間は、人間のエンタシスを持っていない。だから、もしかすると人間ですらないのかも知れない。上方か らの「重」さを感じないでおれればこそ、「利巧者」なのであり、幸福な人間なのである。しかし、このえたいの知れない「重」さ を背負い、耐えつづけていればこそ、人間に張りが、ふくらみが、エンタシスが出来る。 そして、そうしてはじめて、人間は人間 として、直線でしかない人間として、見えてくるのである。」(新保祐司『内村鑑三』〔構想社、一九九〇〕 九十七~九十八頁) (2)小説ではあるが、安部公房『榎本武揚』〔「中公文庫」、中央公論社、一九七三〕は幕末維新期の転向問題に肉薄しており、頗る示 唆に富む。 (3)汪政権に関しては、次に挙げる二著が必読書であろう。 ・金雄白『汪政権的開場与収場」全三冊〔「真相叢書」 第七~九巻、 李敖出版社 (台北)、一九八八] ・汪瑞燜+李鍔+趙令揚編註『苦笑録:陳公博回憶 一九二五至一九三六』〔亜洲研究中心專題討論」第三十六、香港大学亜洲研究 中心、一九七九] (4)西尾陽太郎『李容九小伝 裏切られた日韓合邦運動』〔葦書房、一九七八〕を参照せよ。 (5)無論李贄はカトリック布教に理解を示しているわけではない。 「…… 利西泰、西泰大西域人也。到中国十万余里、初航海至南天竺始知有仏、已走四万余里矣。及抵広州南海、然後知我大明国 土先有堯舜、後有周、孔。 但不知到此何為、我已経三度相会、畢竟不知到此何幹也。意其欲以所学易吾周、孔之学、則又太愚、恐非是爾。」(李贄「与友人 書」〔『続焚書』巻一 書彙〕)

 (6)陳垣「開封一賜楽業教考」第六章「人物之大略」によれば、「艾田、万暦癸酉挙人、官知県。艾儒略撰利瑪竇行蹟云、中州都会、 原有教堂、乃如徳亜(即猶太之明訳)国所伝天主古教。適其教中艾孝廉計偕入京、造訪利子、利子将経典大全一部(即旧新約)、係 如徳亜原文、並附訳大西文字示之。艾君誦読其文、深喜而拝焉。此所称艾孝廉、即艾田也。艾田蓋亦諳希伯来文者。道光末西士所 録寺中楹聯、有艾田所撰一聯、其孫艾顕生重刊之。」とあり、後述の如くヘブライ語を解さない者とはされていない(『陳垣学術論 文集』第一集〔中華書局、一九八〇〕 二百八十一頁)。 「患難」が取り除けられた 二七二

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