次に、西族の進入についてであるが、ここでは、漢民族は西からやってきて東族のいる地に入りこんだということを述べている。これが本書の特色の一つである。
ここで西族が漢民族を指すことは、犠(伏犠)・農(神農)・黄(黄帝)・昊(少昊)・陶(堯)・虞(舜)という、史記の三皇五帝の登場人物を 挙げていること等から明白である。これらは、本来は東族の君王であるのを西族がアレンジして自分達の歴史に仕立て上げたということを述べているわけである。
そして最後の方にでてくる「東族」とは、神祖の子孫である各族(しうから)を指すことも明白であろう。
西族の進入時期であるが、最後の方の記述から夏王朝の禹王以前であることは明白だが、具体的には示されていない。(漸入とあるので、時間をかけて少しずつ移住してきたのかもしれない。)
夏王朝のときに「渾族が君主を戴いた」というのは、「混血した西族自体から君主を出した(君主が混血)」という意味にもとれるし、 「君主は東族だが、このころ西族が東族に侵入したため西族がこの五原の地で東族と入り混じって君主の支配に属したのはこの時から」という意味にもとれる。 ただ、前者の意味だとしても、夏王朝の次の殷王朝はれっきとした東族の王朝であったということになる(後述)。
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