神に示された聖地「出雲」
須佐神社の美しい拝殿岩戸の神話にちなんだ「ヤツメサス」という言葉の後には、出雲という地名が続きます。この「イズモ」「イツモ」という言葉は、「雲」が「出る」という文字で表記し、単なる当て字と考えられています。ところがこの漢字の組み合わせは、旧約聖書でイスラエルの民がエジプトから約束の地に導かれる際、神が「雲」となって「出現」し、常に民の先頭に立って群集を導いたことに関連していると思われます。
案の定、「イツモ」という発音を持つヘブライ語が存在し、2つの関連した言葉でつながっています。ひとつはעצום(itzum、イヅム) であり、大きな、巨大な、偉大な、もしくは素晴らしいことを意味します。もうひとつは「最先端」「ピーク」を意味する יצומו(itsumo、イツモ) です。つまりイズモとは、神が先頭に立って民を導いておられ、しかも「最先端」に立った神は、「巨大」な雲の姿をもって出現したことから、出雲と書き記すようになったと思われます。
日本列島の中でも、国生みがはじまった淡路島から見て最北端にあたる出雲は、神が示された素晴らしく偉大な聖地であり、雲によって導かれたかのごとく海を渡って辿り着いた場所であることから、それらの背景をもって出雲という地名があてがわれたと考えられます。その言葉の背景には、いつも神の存在があったのです。
https://www.historyjp.com/article/536/「ヤツメサスイツモ」は神の姿?
最古の和歌をヘブライ語で紐解く
「八雲立つ」の由来
日本最古の和歌として、「八雲立つ」という歌があります。「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」と書かれた歌の漢字表記は以下のとおりです。
夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微尓 夜弊賀岐都久流 曽能夜弊賀岐袁
出雲風土記によると、国引きをした神ヤツカミズが「八雲立つ」と語ったことから「八雲立つ出雲」と呼ばれるようになったとされ、そのように古事記にも記載されています。よって、この歌の歴史は古く、最古の和歌とも言われている所以です。
歌の作者は建国の神、スサノオと言い伝えられています。古事記によれば、スサノオが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを救った後、新居の土地を探し求めて須賀の地を見出し、そこに宮を建てました。その際に、八色の雲が立ち上がるのを見て、この歌を詠んだと伝承されています。よって、歌そのものが古事記の神話と結び付いていると言えます。
「八雲立つ」の一般的な解釈
「八雲立つ」の歌の意味は、幾重にも湧き出る雲が八重垣となる出雲の地において、妻を籠らせて幾重にも囲い、共に住む、と解釈するのが通説です。つまり、八重垣のように重なる雲を、スサノオが自らの結婚の祝福として受け止めている最中に、歌われた文言と考えられてきたのです。こうしてスサノオの結婚に結び付く歌として知られるようになったことから、いつしか「八雲立つ」は、婚礼の際にも詠われるようになりました。
また、歌の中で繰り返し使われる「八重」という言葉は、新妻を籠ることを示唆していると考えるのが一般的な解釈です。しかも「垣」という文字が垣根や壁を言い表していることから、「八重垣」という言葉自体が神聖な場所に囲まれた結婚に纏わる表現として理解されるようになりました。
「出雲」と「ヤツメサス」の関係
出雲大社の広大な参道古事記神代においては「八雲立つ」は「夜久毛多都」と書かれ、日本書紀の別の歌では、「椰勾毛多菟」とも記載されています。そして「八雲立つ」の後には「出雲」という言葉が続き、「八雲立つ出雲」と歌われてきました。
「出雲」にかかる枕詞には、「八雲立」「やくもたつ」と、「八雲差」「八雲刺」「やくもさす」の2つの言い回しがあることが知られています。「出雲」という地名にかかる言葉だけに、土地柄を讃美して誉める意味が込められる言葉と推定されます。例えば、柿本人麿が詠んだ歌の中では、「八雲刺出雲」と記載されています。また、古事記では「夜都米佐須出雲」とも記載され、「ヤツメサスイズモ」と読まれてきました。すなわち「八雲立つ」は、古くから「ヤクモタツ」と並行して「ヤツメサス」という読み方も知られていたのです。
なぜ、「ヤツメサス」と読まれるようになったのか、詳細は不明と言われてきました。「八つの芽」、多くの芽とは勢いを象徴する言葉であるという説があります。「メ」の語源を「藻」として「八つ藻」とし、多くの藻と解する学者もいます。そして「出雲」は元来、「厳藻」(いつも)と呼ばれていたと想定し、同音の言葉である「藻」が用いられて「ヤツメ」になったとする説などがあります。
また、「サス」については、朝日サス、茜サス、とも言われるように、「満ちる」という意味があることから、それが枕詞として「出雲」を修飾したのではないかという説があります。すると「ヤツメ」の意味が何であったとしても、それが満ちることにより、雲がもくもくと立ち上がることに結び付き、「ヤツメサス」になったと理解できます。しかしながら、いずれの解釈も定かではなく、信憑性に欠けるものです。
解釈が困難な「八雲立つ」の歌詞
注目すべきは、「八雲立つ」だけをとってみても、3通りの読み方があることがわかっていることです。それらは、「ヤクモタツ」「ヤクモサス」「ヤツメサス」です。これら3つの枕詞が「出雲」にかかり、古代から用いられてきたのです。
日本で最も古い歌であるだけに、もし、その歌詞の意味が理解できれば、古代の人々の思いに少しでも寄り添うことができるでしょう。しかしながら歴史が古い和歌だけに、その歌詞は難解であり、定説の解釈も果たして作者の意図を汲んでいるか、疑問が残ります。何にもまして、日本語としての不自然な言葉の響きが気になります。
例えば、雲を垣に例えてそれが重なり「八重(ヤエ)」になるという表現は不自然です。雲が実際八段に重なっているように見えたのでしょうか?それとも八色の雲が重なって空に現れたのでしょうか。虹ならば7色が限度です。また、八重ではなく、三重でも良いのではないでしょうか。なぜ、「八重」、「ヤエ」に作者はこだわったのでしょうか。
また、八雲に続き、3回も「八重垣」が繰り返される文脈は一見、短絡的であり、強引な言葉の羅列にも見えます。しかも結果として頭に「ヤ」がつく言葉が4回も連呼されているのです。これほどまでに「ヤ」にこだわるからには、何らかの強い意図が込められていたに違いありません。
ヘブライ語で読み解く「ヤツメサスイツモ」
これらの疑問を解決するための鍵が、ヘブライ語にあることがわかってきました。既に「ヤクモタツ」から始まる「八雲立つ」の歌詞が、最初から最後までヘブライ語で読み通せることが解明されています。「八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠めに八重垣作る その八重垣を」をヘブライ語で読むと、その意味は下記のとおりになります。
「神が立ち先頭に出る 神の誇り高き壁 私の救い主が出現する
神の誇り高き壁から聞こえる神の声 神の誇り高き壁」
「八雲立つ出雲」を「ヤクモタツイツモ」と詠んでヘブライ語で解釈できるのと同様に、「ヤツメサスイツモ」と詠んでも、ヘブライ語で意味が通じるだけでなく、その言葉の意味も、「ヤクモタツイツモ」と詠んだ場合の意味に類似していることがわかります。つまり、「ヤクモタツ」と「ヤツメサツ」は、ヘブライ語で同義語の言葉だったのです。
まず、日本語で「ヤツメ」は八の目を意味すると言われています。しかし、ヘブライ語では全く異なる意味となります。「ヤ」は、神を指す יה(ya、ヤ) です。その語尾に、「大きくなる」を意味するצומח(tsomeakh、ツォメッ) をつけると、「ヤツォメッ」「ヤツメ」となります。「ヤツメ」とはヘブライ語で、神が大きくなる、という意味の言葉として理解できます。
神が大きく見えてくるということは、神が立ち上がり、その姿を見せるようなイメージにも繋がります。それ故、「神が大きくなる」を意味する表現として、「神が立ち上がる」という言葉も選別されて歌われるようになったのではないでしょうか。そこで用いられたヘブライ語は、「立ち上がる」「起き上がる」を意味する קום(kum、クム) です。その結果、「神が立つ」「神が立ち上がる」を意味する言葉として、「ヤクム」とう言葉が用いられるようになり、「八雲」の漢字が当てられたのです。つまり「八雲」とは、神が立ちがあることを言い表したヘブライ語の「ヤクム」が原語であり、「神が大きくなる」ことを意味する「ヤツメ」とほぼ同義語の言葉として理解できます。
次に、「ヤツメ」の後には「サス」という言葉が続きます。これは צץ(tzatz、ツァツ) と発音し、「現れる」を意味するヘブライ語です。「ツァツ」の発音は、「サス」とほぼ同一に聞こえます。そして「ヤツメ」の語尾に付くことにより、立ち上がって大きくなる神が現れることを意味します。
これで文脈の流れが見えてきました。「ヤツメサス」の意味はヘブライ語で、神が段々と大きく見え、ついに現れることを意味していたのです。これは正に岩戸の神話に記されているアマテラスのことを指しているのではないでしょうか。つまり、アマテラスが岩から少しずつ出現することを「ヤツメサス」と言い、そして岩間から現れて立ち上がる姿を「ヤクモタツ」と歌うようになったと考えられるのです。
神に示された聖地「出雲」
岩戸の神話にちなんだ「ヤツメサス」という言葉の後には、出雲という地名が続きます。この「イズモ」「イツモ」という言葉は、「雲」が「出る」という文字で表記し、単なる当て字と考えられています。ところがこの漢字の組み合わせは、旧約聖書でイスラエルの民がエジプトから約束の地に導かれる際、神が「雲」となって「出現」し、常に民の先頭に立って群集を導いたことに関連していると思われます。
案の定、「イツモ」という発音を持つヘブライ語が存在し、2つの関連した言葉でつながっています。ひとつはעצום(itzum、イヅム) であり、大きな、巨大な、偉大な、もしくは素晴らしいことを意味します。もうひとつは「最先端」「ピーク」を意味する יצומו(itsumo、イツモ) です。つまりイズモとは、神が先頭に立って民を導いておられ、しかも「最先端」に立った神は、「巨大」な雲の姿をもって出現したことから、出雲と書き記すようになったと思われます。
日本列島の中でも、国生みがはじまった淡路島から見て最北端にあたる出雲は、神が示された素晴らしく偉大な聖地であり、雲によって導かれたかのごとく海を渡って辿り着いた場所であることから、それらの背景をもって出雲という地名があてがわれたと考えられます。その言葉の背景には、いつも神の存在があったのです。
神の姿を語り告げる「ヤツメサスイツモ」
「ヤツメサスイツモ」の意味は「神が徐々に大きくなって現れ、先頭に立つ」となることから、民の前に現れた神が先頭に立って人々を導くことを象徴した言葉として理解できます。それは、アマテラスが岩の間から徐々に出てこられ、そして姿を現わした後、民の先頭に立って人々が導かれたことを指しているのではないでしょうか。
同様に、イスラエルの民も、目の前に現れた大きな雲の中から神が語られ、その雲が先頭に立って人々を導かれたことを体験しています。およそ3200年前、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、指導者モーセによってカナンの地へと導かれました。広大な荒野をさまよい歩く民の先頭には、常に神の雲が出現したことが、旧約聖書の出エジプト記に書かれています。「神の雲」は導きの象徴であり、その「動く」雲を見上げながら、群集は見知らぬ荒野を旅し続けたのです。
出エジプト記に綴られているこれらの不思議な出来事と、イスラエルが体験した数々の奇跡は、もしかすると天岩戸神話と「八雲」の和歌に関連しているかもしれません。それらの思いがヘブライ語に込められて、「ヤツメサスイツモ」と歌われるようになったと推測されます。「ヤツメサスイツモ」とは、人々を導く大いなる神の姿を言い表し、その史実を語り告げる歌だったのです。
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