2024年12月22日日曜日

會稽東治の東 第7章魏志倭人伝から検証する卑弥呼女王の国探索~私のルーツ探しの旅の終わりは中国へ | さくら着物工房

第7章魏志倭人伝から検証する卑弥呼女王の国探索~私のルーツ探しの旅の終わりは中国へ | さくら着物工房
新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた https://youtu.be/63bNv7RmHHc?si=A5D5-4cZsb9bDAAP @YouTubeより

12:45~

(111)『ルーツ・オブ・ザ・エンペラー』(広告無し) 提供 鈴木富佐江 https://youtu.be/Ey1Ed7ChcpU?si=idy0UfyjDcHG3zjc @YouTubeよ
5:55~





邪馬台国の教科書の記述に関する質問です。 - 明治以来の論争とい... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12151489542


江蘇省で項羽の故郷を発見——下相城遺跡

CCTV国際(2006年04月11日 10:34)

『史記・項羽本紀』には「項籍者、下相人也、字羽」とあるが、下相城の具体的な方位はどこにあるのか、実物印証が不足しているため、ずっと混乱している。江蘇省南京博物院考古学研究所、江蘇省宿遷市文管弁公室、宿遷市宿城区博物館からなる合同考古学チームは、最近江蘇省宿遷市で下相城遺跡を発見した。

考古学者は昨年8月から宿遷開発区とその周辺約60万平方メートルの範囲で一般調査、密調査、試掘を行い、二つのインフラ工事の範囲に文化の蓄積があることを突き止した。積み上げ北高南低、北厚南薄の傾向分布、厚0.3メートル-2メートル、埋蔵深さは平均7メートル以下で、7メートル以上は黄河が氾濫して形成した堆積層が多い。二つの工事の範囲内で城壁と塹壕遺跡の一部が突き出され、城壁は土で建てられ、頂上の幅は約10メートルです。塹壕は城壁の約20メートル外にあり、幅は50メートルで、最深部は地表11.3メートル。

発掘の過程で、多くの陶器片と板瓦、筒瓦の残片も出土しました。鑑定の結果、これらの陶器片と瓦片の年代はいずれも秦漢時代です。

考古学探査と発掘を通じて、考古学者は最終的に城址を長方形に決定し、南と北の城壁の長さは505メートル、東と西の城壁の長さは433メートル、城址の面積は218665平方メートルです。城壁の保存状態はあまり良くなく、北西の角部分はほぼ洪水で流されました。

考古学を主宰する南京博物院の専門家林留根は、文献と裏付けで、ここの城跡は下相城遺跡であるべきだと述べた。今回の掘削は下相城の具体的な位置を確定しただけでなく、下相城の大きさ、城壁の構造などについても明確な認識を得た。

春秋に宿遷は鍾吾国となり、その後宿国はここに都を移し、秦は同県を置いたと理解されている。下相県は楚の覇王項羽の出生地でもあり、両漢、三国を経て北斉まで廃され、西漢時代に凌県を廃して下相を設置し、東漢、西晋を経て、東晋安帝義熙元年(405年)まで、下相県を宿豫県に変更した。各種史料を総合すると、下相県治所は現在の宿遷市宿城镇古城村内(現宿遷市開発区)にあるはずです。(記者王力)

担当編集者:王卉 出典:新華社


https://www.cctv.com/geography/20060411/100514.shtml

CCTV-国家地理-国家地理频道

江苏发现项羽故里——下相城遗址

央视国际 (2006年04月11日 10:34) 

  《史记·项羽本纪》中说"项籍者,下相人也,字羽",但下相城的具体方位在哪儿,因缺少实物印证而始终扑朔迷离。江苏省南京博物院考古研究所、江苏省宿迁市文管办、宿迁市宿城区博物馆组成的联合考古队,近日在江苏省宿迁市发现了下相城遗址。 

  考古人员从去年8月起在宿迁开发区及其周边约60万平方米的范围内进行了普探、密探以及试掘,探出两处基建工程范围内存在文化堆积。堆积以北高南低、北厚南薄的趋势分布,厚0.3米-2米,埋藏深度平均在7米以下,7米以上多为黄河泛滥形成的淤积层。两处工程范围内均探出一部分城墙和壕沟遗迹,城墙为土筑,顶部宽约10米。壕沟在城墙外约20米处,宽50米、最深处距地表11.3米。 

  发掘过程中还出土了数量较多的陶片及板瓦、筒瓦残片,经鉴定,这些陶片及瓦片年代均在秦汉时期。 

  通过考古勘探及发掘,考古人员最终确定城址为长方形,南、北城墙长505米,东、西城墙长433米,城址面积218665平方米。城墙保存不是太好,西北角部分已基本被洪水冲垮。 

  主持考古的南京博物院专家林留根表示,与文献相印证,此处城址应是下相城遗址。此次钻探不仅确定了下相城的具体位置,更对下相城的大小、城墙结构等有了明确的认识。 

  据了解,宿迁春秋时为钟吾国,后宿国迁都于此,秦置下相等县。下相县也是楚霸王项羽的出生之地,历两汉、三国至北齐而废,西汉时废凌县设下相,历经东汉、西晋,至东晋安帝义熙元年(405年),改下相县为宿豫县。综合各种史料,下相县治所应在今宿迁市宿城镇古城村内(现宿迁市开发区)。(记者王力) 

责编:王卉  来源:新华社


https://sakura-zukuri.jp/%E7%AC%AC%EF%BC%97%E7%AB%A0%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E3%81%99%E3%82%8B%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%8E%A2/

第7章魏志倭人伝から検証する卑弥呼女王の国探索~私のルーツ探しの旅の終わりは中国へ

志倭人伝による幻の()の証明
二〇〇六年・項羽の居城跡の大発見!
日本ではこのニュースは無視されたままですが・・・

江戸時代から魏志倭人伝の研究が始まりましたが、(邪馬台国)が正しく解き明かされることはありませんでした。それは会稽東治の解釈がまちまちだったためで、ついに現在まで邪馬壹国は九州説、出雲説、畿内説で四国は無視の状態で歴史が作られました。
私は縁あって阿波の歴史研究家島勝伸一先生の講義を受けました。
「魏志倭人伝による地理、行程の解明に成功しました。二〇〇六年江蘇省宿遷市宿遷区で、三国時代に書かれている項羽の居城跡が発見されました」と一一枚の地図に出会いました。
魏志倭人伝に「卑弥呼女王国は項羽の城の真東」と書かれている
この項羽の居城がどこにあるのかがわからず、江戸時代より邪馬台国論争になっていたのです。
若い科学者たちは早速、分かっていた魏志倭人伝の記述「帯方郡治の東南大海一万二千里と狗邪韓国より七千里という記述」と「帯方郡治の東南大海一万二千里と狗邪韓国より七千里という記述」をGoogle Earthで設定しました。
そして「項羽の居城・江蘇省宿遷市宿遷区で三国時代に書かれた「会稽東治の真東」を、Google Earthで調べたところ、卑弥呼の居城・悲願寺がある神領・とぴったり重なりました。
こうして徳島の町おこしの皆さんの地図が完成されたとのことでしたが、私はやはり項羽の城跡に立ちそこが本当かどうか科学的な地理の専門家香川重義先生も同行します。
 島勝先生の熱がこもった説明はひとつ、ひとつ私の腑に落ちました。
しかし、日本ではこの「項羽の壮大な居城跡が宿遷市の大開発工事の際に発見され、世界的な大発見」を発表しましたが感知しないか、無視した論理で二〇〇六年以降も、一七年間「邪馬壹国」は日本では確定されていませんでした。

私の旅の終わりに項羽の居城訪問 宿遷市

現在、中国では、「項羽の故郷」に「項羽は居城」を建てていたのが判明し、宿遷市ではここに「項羽の城を再建」しました。
今は「項羽王城故里」となっています。
念のため、早速中国人の友人に二〇〇六年の中国での「項羽の城跡」発見の状況を調べていただきましたところ、下記のような中国での発表を送っていただき間違いないことを知り安心しましたがこの貴重な発見が日本国内では全く学問に反映されていません。

中国の友人から頂いた発見時・発表された報告書二通

責任者・南京博物院の専門家林留根氏の発表記事

項羽の故里、下相城の遺跡を江蘇省で発見 china.org.com 中国の史書『史記・項羽本紀』には、「項羽は、下相の出身である」と記載されているが、項羽のふるさととされる下相城の具体的な位置については、証拠がないため、ずっと謎でした。 江蘇省南京博物院考古研究所や江蘇省宿遷市文物管理事務室などからなる合同考古チームは、このほど、江蘇省の宿遷市でその下相城の遺跡を発見した。 発掘の過程で、数多くの陶器の破片や瓦などが出土しており、それらはいずれも秦や漢の時代のものと認定されている。 今回の活動の責任者でもある南京博物院の専門家林留根氏は、「文献と照合し、このお城の遺跡は下相城であると裏付けられている。今回の発掘では、下相城の具体的な位置が明かにされただけではなく、その面積や、城壁の構造などについても明確な認識ができた」と明らかにした。
「CRI」より 二〇〇六年(平成十八年) 四月十一日

項羽の故里、下相城の遺跡を江蘇省で発見

china.org.com
中国の史書『史記・項羽本紀』には、「項羽は、下相の出身である」と記載されているが、項羽のふるさととされる下相城の具体的な位置については、証拠がないため、ずっと謎でした。 江蘇省南京博物院考古研究所や江蘇省宿遷市文物管理事務室などからなる合同考古チームは、このほど、江蘇省の宿遷市でその下相城の遺跡を発見した。
発掘の過程で、数多くの陶器の破片や瓦などが出土しており、それらはいずれも秦や漢の時代のものと認定されている。 今回の活動の責任者でもある南京博物院の専門家林留根氏は、「文献と照合し、このお城の遺跡は下相城であると裏付けられている。
今回の発掘では、下相城の具体的な位置が明かにされただけではなく、その面積や、城壁の構造などについても明確な認識ができた」と明らかにした。
「CRI」より 二〇〇六年(平成十八年)四月十一日

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