2024年12月29日日曜日

幻の「御室神事」の芸能を再現! ドキュメンタリー映画『鹿の国』が描く諏訪の古代信仰世界|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム

幻の「御室神事」の芸能を再現! ドキュメンタリー映画『鹿の国』が描く諏訪の古代信仰世界|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム

幻の「御室神事」の芸能を再現! ドキュメンタリー映画『鹿の国』が描く諏訪の古代信仰世界

神前に鹿を捧げる古代の神事を今に伝える信州の古社・諏訪大社。なぜここにだけ古の伝統が残されたのか。諏訪大社の一年を記録し、失われた幻の神事の再現にまでとりくんだドキュメンタリー映画『鹿の国』の監督にインタビュー。

 信濃国一ノ宮にして、日本最古の神社のひとつともいわれる諏訪大社。
 ここでは毎年、神前に鹿の首を捧げる神事がいまなお行われている。この地に古の伝統が残されたのはなぜなのか。諏訪とはどんな場所なのかーー。神秘の土地、諏訪での神と人、山と人、人と人の交流を記録したドキュメンタリー映画『鹿の国』が公開されている。
 なぜ諏訪を撮影したのか、「鹿の国」とはどういう意味なのか? 監督にじっくり話を伺った。

目次 [非表示]

  • 1 神秘のクニ・諏訪を記録したドキュメンタリー
  • 2 謎だらけの「失われた神事」芸能の再現に挑む!
  • 3 いま地域おこしに必要な「ミシャグジ」の力
  • 4 なぜ諏訪は『鹿の国』なのか

神秘のクニ・諏訪を記録したドキュメンタリー

映画『鹿の国』は諏訪大社の神事や、諏訪に暮らす人たちの生活、信仰の現在を追ったドキュメンタリーです。なぜ諏訪をテーマにした作品を撮ろうと思ったのでしょうか?

弘理子監督 会社(配給・映像制作会社のヴィジュアルフォークロア)としては30年以上前から諏訪を追いかけているのですが、直接のきっかけになったのは、2021年に諏訪大社の神事を撮影できることになったことです。
 2021年の大晦日の神事から撮影をスタートしたのですが、印象的だったのは翌1月1日に行われた、蛙を生贄として諏訪大社に捧げる蛙狩(かわずがり)の神事です。私は20代の頃にネパールに住んでいたことがあるんですが、ヒンズー教文化圏であるネパールでは日常的に神様に生贄が捧げられています。そんな経験や民俗学的な視点からすると「神様に蛙を捧げる」ということにそれほど違和感はないのですが、この神事には反対している人たちもいます。
 この撮影は、命に対する考え方は立場や人によってすごく違うんだなとハッとさせられる出来事でした。映画をどんなテーマで撮っていこうかという方向付けのひとつのきっかけでもありました。

弘理子監督。後ろにあるのは諏訪・南アルプス山脈地域の地図。

足掛け4年をかけて記録、制作されている。映画の内容は諏訪大社の神事だけでなく多岐にわたっていますね。

 個々の神事はどれもとても興味深いですが、撮影するうちに神事の記録だけでは映画としてまとめるのは難しいなと思ったんです。どうしようかと考えているうちに4月になり、御頭祭(おんとうさい)が行われました。みなさんよくご存じの、かつては鹿の首を75頭捧げたという有名な神事です。今でも剥製とはいえ本物の鹿の首が使われていて、現代にこんな神事はそうそうないですよね。
 たとえばネパールは今でも生活の中に日常的に生贄がある世界で、ヒンドゥーの神様にお願いをしようと思ったら、生贄を捧げないと何も動いてくれません。それが当たり前の世界なんですが、現在の日本では御頭祭がとても特別なものとして捉えられている。そうなると、この国で御頭祭のような祭りを伝えてきた諏訪信仰ってなんなんだろう……という点に興味がわいてきたんです。

御頭祭は、まるで諏訪に古代が保存されているような印象もあります。

 まさに神事は「保存」です。日本では奈良時代以降徐々に「殺生禁止」という考え方が広がりましたが、さらに古くは天皇の新年儀礼にも鹿肉が欠かせないものだったりしていたようです。御頭祭には、そうした古い日本のすがたが保存されているんだと思います。

諏訪大社で行われる御頭祭(映画『鹿の国』より)。

謎だらけの「失われた神事」芸能の再現に挑む!

映画の見どころのひとつが、途絶えてしまった諏訪大社の神事「御室神事(みむろしんじ)」の再現シーンです。そもそも御室神事とはなんなんでしょう?

 御室神事(みむろしんじ)は600年ほど前まで諏訪で行われていた、とにかく謎だらけの神事です。人に語ってはならないとか、他言すると祟るとまで思われていた節もあるんですが、毎年冬、縄文遺跡のような竪穴の半地下空間に籠りほぼ3か月ものあいだ神事が続けられたそうです。
 まず「御室」という24畳もある広い半地下の建物をつくり、諏訪大社の現人神である大祝(おおほうり)をはじめ神事に関わる人たちがここに籠って神を呼んだ、というもの。
 最初に呼ぶのがソソウ神という神様なんですが、これが本当に謎の神です。第一「ソソウ」の意味もわからない。どんな漢字をあてるのかも不明なので「ソソウ」と書くしかないんですが、一説には諏訪湖の方からやってくる蛇神だとされています。

 それからもうひとつ、ミシャグジという神を呼びます。このミシャグジも全く謎めいた存在で、ソソウ神と同様に「ミシャグジ」がどういう意味でどんな字を当てるのかもよくわかっていません。神というより精霊に近い存在で、人間やものになんらかの作用を及ぼしたり生命を発動させたりするメラネシアの「マナ」の概念に近いものだともする考えもあります。

 そしてこの御室のなかでソソウ神とミシャグジを交わらせ、ソソウ神を巨大な大蛇に成長させたり、大祝の代理であるオコウさま(神使)を徹底的に籠らせて祈りを捧げたりする、ーーそんな神事が3ヶ月もの間繰り返されていたんです。

神事の再現場面。左が神使の少年、右が神職の神長(映画『鹿の国』より)。

映画で再現されたのは御室神事のごく一部なんですね。一部とはいえかなり大掛かりでしたが、再現にはどのくらいの期間がかかったんでしょうか。

 もちろん私たちは神事を再現することはできないので、あくまで再現したのは御室神事で演じられていた神事芸能、民俗芸能の部分です。かかった期間は準備から撮影まで、実質3ヶ月くらいでしょうか。最初は地面を掘って御室の建物を復元して、そこで映画を上映すればいいんじゃない? なんて話から始まったんですが、盛り上がったもののさすがに現実的には難しい。そこで御室神事の芸能を再現したらどうかという案がでました。

 しかしそうはいっても、芸能の再現だって簡単ではありません。御室神事についての資料で現在まで残っているものはごくわずかで、そのわずかな情報をもとに所作や衣装を推測し、内容を紐解いていきました。
 その考証をしてくださったのは、中世芸能史研究者の宮嶋隆輔さんです。『異神』などのご著書で著名な山本ひろ子先生の弟子という方ですが、わずかな資料と、諏訪を源流として各地に伝わった、本当に宝物のように残っている民俗芸能などを参考にして再現してくださいました。

 たとえば映画でも一瞬映していますが、神事で使ったシンフクラという鳥型の切り紙は「いざなぎ流」の御幣を参考につくっています。そのようにどの部分は何を参照したという情報は宮嶋さんに全てまとめていただき、映画のガイドブックに収録しています。

いざなぎ流にお田植祭など、どこか見覚えのある神事の要素があちこちにちりばめられていましたね。この映画に興味をもつ人であれば、絶対に詳しく知りたいと思うはず。ガイドブックは必見ですね!

諏訪大社の神紋である梶の葉紋の衣装をまとう大祝(写真左。映画『鹿の国』より)。

いま地域おこしに必要な「ミシャグジ」の力

またこの場面では、大祝とオコウさま(神使)を演じる少年がとても印象的でした。御室神事の演者はどのように選ばれたんでしょう?

 今回大祝とオコウさまを演じたのは諏訪地域の少年たちです。大祝を演じた男の子はお能をやっていて、所作がとてもきれい。足の裏をくっつけて座る、平安貴族などの座り方だった楽座(らくざ)ができるんですよ。オコウさま役も太鼓など伝統芸能を習っている子でした。
 また諏訪には「スワニミズム」という、地元のかたで構成する諏訪の信仰史、考古学、民俗学などを研究する会があるんですが、神事での神主役などはこの「スワニミズム」のかたに活躍していただきました。

 それから御室神事のパートではナレーションをいとうせいこうさんにお願いしたんですが、いとうさんもご両親がどちらも諏訪地域のご出身と、とてもゆかりの深い方なんです。ミシャグジにもずっと関心をお持ちで、やはりミシャグジ=不思議で見ちゃいけない、触っちゃいけないものだというイメージがあったそうで、再現映像も「こんなことやっていたんですね」と興味深く見てくださいました。

御室に座る大祝。細部の再現にも注目(映画『鹿の国』より)。

映画には地元諏訪のかたの協力が大きかったのですね

 神事の再現衣装を作ってくださったのも「スワニミズム」のメンバーで、本職は理容師さんです。他にもこの会にはゲームクリエイター、お坊さん、神職などなどさまざまなキャリアのかたがいます。

 少し話題がずれますが、最近は地域おこしや地域の活性化がテーマになっていますよね。でもいくら「活性化だ」と叫んでも、地域の内側から活動する人たちがでてこないと難しいと思うんです。
 諏訪のミシャグジは人に何かを促す力である「マナ」と共通性があるといいましたが、それこそミシャグジに発動され、どうしようもなく揺り動かされる人たちがいないと地域おこしはまなならいんじゃないでしょうか。

「スワニミズム」が刊行する会誌「スワニミズム」。

なるほど! 諏訪のように、ミシャグジが降りてきて揺り動かされた人たちの存在が、地域おこしの決め手になる。

 諏訪には明治以前の信仰の姿を研究する「諏訪神仏プロジェクト」という活動もあるんですが、これも他の地域ではなかなかできないと思います。
 このプロジェクトに対しても、「今の時代に神だ仏だと分けていても仕方ないよ」という人もいれば「なぜ今それをする必要があるのか」とさまざまな意見や声があったそうです。ちょうど明治時代もこういう雰囲気だったのかな……と思うところもありますが、そんななかでも地域のかたが頑張ってプロジェクト理念の実現にこぎつける。まさにミシャグジが降りてきているようです。

「御室神事」はそんな地元のかたが演じたわけですから、これからも伝統として継承されていったらおもしろいですね。

 本来は夜通しかけてやっていた芸能を今回の再現では2時間半くらいにまとめ、映画ではさらにそこから編集していますが、今後ノーカット版の上映などもできたら面白いですね。

なぜ諏訪は『鹿の国』なのか

映画では、山と里の近さ、両者の関係性のようなものが伝わってくるようにも感じました。人間も山にいけば猟師になるし、里にいれば農業をする。山と里を行き来する生活は特殊ではない、普通のことなんだということが自然に伝わってきます。

 日本は国土の7割が山岳です。そうすると、やはり山と里の生活はそこまでかけ離れられないように思います。日本では食用の家畜が普及したのも遅かったですから、山があれば獣を狩るという生活は決して不自然ではないですよね。

それにしても、映画のタイトルにも関わってくることですが、なぜ諏訪大社の供物は鹿なんでしょう?

 結局、本当にそこなんです! 映画のガイドブックでは「その答えは映画を見た人に委ねたい。」と書きました。みなさんにお任せします(笑)。

 ただ実際に鹿を撮っていて感じたことですが、鹿とは目が合わせられるんです。
 山中で不意に鹿に出会うと、彼らはこちらを見つめてきます。誰もいない暗い森にぱーっと光が降りてくるなかで、人間ではないものとじっと対峙する……それは本当に特別な感覚です。映画『もののけ姫』でアシタカヒコがシシ神と出会う場面がありますよね。シシ神のモチーフはカモシカですが、まさにあの場面のようです。

 一度は山の中で20分ほども鹿と向き合ってしまったことがあります。こんなことしてる場合じゃないと我に帰りましたが(笑)、これがイノシシやクマではそうはいかない。見つめ合ってる場合じゃないですから(笑)。

耳裂鹿(映画『鹿の国』より)。

たしかに向き合うことができるのは鹿ならではですね(笑)。
ーー諏訪信仰とはなにか、『鹿の国』とは何なのか、あらためて映画をみて考えてみたいと思いました。

弘 理子(ひろ りこ)
映画『鹿の国』監督。映像制作・配給会社ヴィジュアルフォークロア プロデューサー、ディレクター。
ネパールへの留学経験を生かしヒマラヤ周辺のドキュメンタリーを数多く制作。主なフィールドは、ネパール、インド、バングラデシュ、チベット(中国)。

映画『鹿の国』公式サイト https://shikanokuni.vfo.co.jp/

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