2024年12月24日火曜日

住吉大社神代記読み下し

住吉大社神代記読み下し

住吉大社神代記読み下し

と、宣りたまひて、吾瓮海人烏麻呂(あへのあまをまろ)・礒鹿海人名草を差し遣はし、海潮を汲み運びて山中に置き、(いはやま)に石壷を調(しつら)へ、潮を入れて石の盖を覆はしむ。
是を以て後の公驗(しるし)となす。
其の地を鹽谷(しはや)の國と云ひ、吾瓮海人烏麻呂が潮潰(も)れ落ちし地を鹽小谷と云ふひ、多く漏れ落ちし地は既に潮灌(そそ)ぐまでに成り、其の地を鹽渕(しほふち)と云ふ。
神兒等(みこがみたち)、皷谷より雷の鳴る出づる如く集ひて、墾田原・小山田・宇智の墾田(はりた)を開墾佃(はりひら)く。
羽曰熊鷲を誅伏(ことむけ)て得たる地を熊取
和泉国熊取と云ひ、日晩(く)れ御宿賜ひし地を日寝と云ひ、横なはれる中山あるに依りて故に横山と云ふ。
横なはれる嶺ある故に横嶺と云ふ。
嶺の東の方頭(かた)に杖立(つえたち)二處あり。
石川錦織許呂志・忍海刀自等、水別(わけ)を争(いさか)ひ、論(あげつ)らふ。
故、俗に杖立と謂ひて論義をなす。
亦、西國見の丘あり、東國見の丘あり、皆大神、天皇に誨へ賜ひて、鹽筒老人(しほづつのをぢ)に登りて国見せしめたまひし岳なり。
亦、横岑の冷水(さむきみもひ)潔清(きよ)く漲(みちあふ)れる地あり、吉野の萱野沼(かやのぬま)。
智原(ちはら)の萱野沼といふ。
此の水(みもひ)を食聞(きこしめ)すに甚(いと)(さむ)く清き水なり。
仍りて御田に引漑(そそ)がむと欲(おぼ)し、針魚(はりを)をして溝谷(うなで)を掘り作らしめむと思召す。
大石小石を針魚、掘返して水を流し出でしむ。
亦、天野水あり、同じく掘り流す。
水の流れ合う地を川合と云ふ。
此れ山堺の地なり。
大神誓約(うけ)ひて詔宣(のりたま)はく。
「我が溝の水を以て引漑(ひきそそ)がしめ、我が田に潤(つ)けてて其の稻實(いね)を獲得(う)ること石川の河沙瀝(すないし)の如く、其の穎(ほ)を得て春秋の相嘗祭(あひなめのまつり)の料(しろ)に充てなむ。
天の下の君民の作つ佃にも同じく引漑(そそ)がしめ、其の田の実も我が田の実と同じきが如く、谷谷にある水を源より颯颯(さつさつ)として全國(くにぐに)に決下(さだめくだ)らしめむ。」
右は昔、日神を出し奉る宇麻〔呂〕・鼠緒・弓手等が遠祖大田田命の兒、神田田命が日神を出し奉りて、即ち此の杣山を領(しろ)すところなり。
而して氣「息帶」長足姫皇后の時、熊襲二國并びに新羅國を誅伏(つみな)へ征ちたまふ。
時に大田田命・神田田命、己が領す所の山の岑の樹を伐り取りて、船三艘を造る。
本にて造れる船は皇后并びに大神臣八腹を乗せ、次の中腹には赤にて造れる船は日の御子等を乗せ、次の末にて造れる船は御子等并びに大田田命・神田田命を共に乗せて渡り征(ゆ)きます。
即ち大幸(いでまさむ)と有(す)るときに天神地祇に祈祷(こひまつ)りて驗あり。
大幸(みゆき)還り上り賜ひて、其の御船を武内宿禰をして奉齋祀(いつきまつ)らしめたまふ。
志麻社・静火社・伊達社と此の三前(みまへの)神なり。
即と〔大〕田田命の子、神田田命の子、神背都比古命(かみせつひこのみこと)。
此の神、天賣移(あめのみや)乃命の兒冨止比女乃(ほとひめの)命を娶(め)して生める兒、先なるは伊瀬川比古乃(いせつひこの)命、この神、此神者。
伊瀬玉移比古女乃(いせたまやいこひめの)命を娶し坐して此の伊西(いせの)國の舩木
『古事記』祖は神八井耳命に在す。
又次の子に坐すは木西川比古(きせつひこの)命、此の神、葛城の阿佐川麻(あさつま)
御所市朝妻の伊刀比女乃(いとひめの)命を娶り坐して生める兒、田田根足尼(たたねすくねの)命、此の神、古斯國(こしのくに)の君に坐す兒の止移奈比女乃(とやなひめの)命を娶し坐して生める兒、乎川女乃(をつめの)命、又次に馬手乃(うまての)命、又次に口以乃(くちもちの)命、此三柱は古斯乃國君等に在せり。
牟賀足尼(むがのすくねの)命、此の神、嶋東乃片加加奈比女(しまひがしのかたかかなひめの)を娶し坐して、生める兒、先の兒は女郎女(をみなのいらつめ)、次に田乃古乃連(たのこのむらじ)、次に野乃古連(ののこのむらじ)、次に尾乃連(をのむらじ)、次に草古乃連(くさこのむらじ)なり。
兄在(いろねな)る兒の女郎女(をみなのいらつめ)、神直(みわのあたへの)腹に娶入(みあひ)せり。
次の田乃古連、和加倭根子意保比比乃(わかやまとねこおほひひの)命
開化天皇の王子(みこ)彦太忍信(ひこふとおしまことの)命の兒、葛木の志志見の興利木田(よりきた)の忍海部の刀自を娶し坐して生める兒、古利比女(こりひめ)、次に久比古(くひこ)、次に野乃古連、此の者、高乃小道奈比女(たかのをじなひめ)を娶りき。
更(また)、田田根足尼乃命の時に大波冨不利相久波利(おほはふふりあひくばり)
大祝相配き。
息長帶比女の御時に大八嶋國を事定了る。
彼の時、大禰宜と奉齋(つかへまつ)るは、。
麻比止内足尼(うまひとうちのすくねの)命、又津守の遠祖折羽足尼(をりはのすくね)の子手瑳足尼命、又船木遠祖田田〔根]足尼命、此三柱相交(あひまじ)はる。
巻向の玉木の宮に大八嶋知食(しろしめ)しし御世
垂仁天皇より、巻向の日代の宮に大八嶋食知景行天皇氣「帶」長足姫比古の御世に至るまでの二世は、意彌那宜多(おみながたの)命の兒、意富彌多足尼(おほみたのすくね)仕へ奉る。
 (
津守宿禰の遠祖なり。) 是に於いて舩司(ふねのつかさ)・津司(つのつかさ)に任(ま)け賜ひ、又、處處の船木連を被(かがふ)らせ賜ふ。
 (
但波國・粟國・伊勢國・針間國・周芳國 ) 右の五箇國、。
爾時より、船津の官(つかさ)の名を負ひて仕へ奉る。
穴戸の豊浦宮に大八嶋國所知食(しろしめ)しし氣長帶比古皇后
仲哀天皇のことかの御世、熊襲二國を平(ことむ)け賜ひき。
斯の時に、。
筑紫の國の橿日宮に天皇と坐(いま)して水彼方國(うみのかなたのくに)を平げ賜ふは、氣「帶」長足比女乃命なり。
此の二所の天皇の御世に、折羽足尼の兒、多毛彌足尼仕へ奉りき。
是を於いて住吉に坐す大御神の前(みまへ)を任(ま)けて祭治(いはひまつ)り來在(きた)りき。
其の時より、大神の前を、神の御願(こはし)の随(まにま)に忌(いは)はしむ。
一(大?)帶須比女の命、住吉大神を船邊に坐奉(ましまし)て辛國に渡り坐して、方定進退(くさぐさにたまかり)鎭め給ひて、辛嶋(からしまの)恵我(えがの)須須己里(すすこり)を召して、即、還行幸(みゆきかへ)りて坐す。
筑紫より難波の長柄に依り坐して、大神、御言を以て宣たまはく、「吾は玉野國なる大垂海(おおたるみ)・小垂海(等(こたるみたち)に祀所拝(いつきまつ)られむ。」

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