日ユ同祖論の嚆矢とされるマクラウドにはケンペルという先行者がいた。
ケンペルは日本の上流階級は顔つきが違う、別の民族が合流していると日本人の「顔」を観察して考えた。言葉がわからないから「顔」を読んだのだ。
これらを小谷部全一郎らのいわゆる日ユ同祖論と一括りにするから厳密な考察が出来ない。
同化論も同祖論も同じだというなら仕方ないが。
小谷部にしてもアイヌとの同祖論を研究するなかでその代替物としてようやくユダヤに辿り着いた。
遺伝子研究もサンプルの恣意性という問題があり、万能ではない。
御頭祭やナギャドヤラの事例を調べるとケンペルの仮説を全否定出来ない。
日ユ同祖論批判には以下二つの前提があるべきだ。
・日本には様々な渡来系の人たちが来た(弥生系は日本で増殖したと考えられる)。
・失われた十支族の痕跡はシルクロード沿いに多々見られる(特に四川省の羌族)。
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