2026年2月5日木曜日

奈良と福岡は相似形 ~地形地図から邪馬台国を探す~|小林範之

奈良と福岡は相似形 ~地形地図から邪馬台国を探す~|小林範之

奈良と福岡は相似形 ~地形地図から邪馬台国を探す~

見出し画像

地形の相似と「都城の向き」から邪馬台国の位置を絞れないか

新しい都を作るとき、過去に栄えた都の構造を参照し、意図的に"見立て"を行う例があります。江戸が京都をモデルにし、鬼門の上野を比叡山に見立て、寛永寺を配し、不忍池を琵琶湖に見立てた、という話はその典型です。 

ここから先は、歴史の「断定」ではなく、地理条件から仮説を立てて候補地を狭める試みです。手順は単純で、次の3つを順に重ねます。

  1. 地形の相似:筑紫平野(福岡・佐賀)と、大阪湾〜奈良盆地(近畿)に"反転相似"が見える

  2. 防御地形の条件:都は「攻め込まれにくい場所=狭隘部の奥、背後を山に守られる場所」へ置かれがち

  3. 都城の向き(座向):纏向の"向き"を手がかりに、筑紫側でも向きの条件を課す

結論を先に言うと、上の条件を(乱暴にでも)同時に満たしそうな地点として、私は現時点では 福岡県うきは市〜吉井町あたりを強く意識しています(もちろん暫定です)。 

1. 出発点:筑紫平野は「反転した近畿」に似ていないか

福岡県の地図を見ていて、左右反転すると"大阪湾+奈良盆地"の構造に酷似して見えることに気づきました。 

ここで注意が必要なのは順序です。もし筑紫に邪馬台国があり、纏向(大和政権初期の都とされる)が後なら、「近畿が筑紫に倣った」可能性のほうが論理としては自然になります。私はこの"順序の逆転"も含めて、地形の対応を一度まじめに眺めたい、という立場です。 

2. 前提の置き方:九州起点説(古田説・宝賀説)は「検証の導線」として扱う

古田武彦は、天孫降臨の地を一般に言われる宮崎ではなく、「筑紫の日向の襲の高千穂峰」という記述に従い、福岡(糸島市の日向=ひなた)側に上陸したと捉えます。そこから九州王朝説へつなげ、神武はその傍流だとしました。 

宝賀寿男も前段の読みはほぼ同じですが、九州王朝説ではなく、瓊瓊杵尊の降臨で成立した政権そのものを邪馬台国とみなし、神武東征の時期を2世紀初め頃に置きます。 

私はここで、どちらかの説を"採用宣言"するというより、「筑紫起点で大和へ波及した」可能性を検証する導線として参照します。つまり、地形を比べるための「問題設定」です。 

3. 私がやりたいこと:纏向の位置関係を筑紫に当てはめる

つまり、やりたいのはこれです。
大阪湾〜奈良盆地、そして纏向遺跡の位置関係を確かめ、筑紫の地形に当てはめたとき、邪馬台国の候補地を"地理条件"で絞れるのではないか。

以下、比較用の地図を置きます。上が筑紫平野、下が反転させた近畿です。 

画像
福岡・佐賀を中心とする筑紫平野(邪馬台国の推定地)

注釈(見方):ここでは「邪馬台国推定地」というより、筑紫平野という"器"(湾・平野・山地に囲まれた奥行き)を観察するために置いています。

画像
大阪湾から奈良盆地を含む近畿の反転地図

注釈(見方):こちらは大阪湾〜奈良盆地を含む近畿を左右反転した図。以降、「狭隘部(通路)→奥まった盆地端→背後の山」という"都城に向く地形の型"がどこに現れるかを見ます。

4. 防御地形の条件:「狭い通路の奥」に都が置かれる型

このままだと分かりにくいので、線や図形を入れて比較します。

私がここで見たいのは、次の構図です。 

  • 山に挟まれた狭い通路(侵入路)がある

  • その通路の奥(ドン突き側)に平地が開ける

  • さらにその最奥で、背後を山に守られる位置に拠点(都城)が置かれる

天孫族が朝鮮半島経由で上陸した、という神話的記述をそのまま史実化する意図はありませんが、少なくとも「渡来勢力が拠点を置くなら、攻め込まれにくい場所を選ぶ」という一般論は成り立ちます。纏向は、地形だけ見てもその傾向が強い。

この見立てが正しい(=大和が筑紫の何かを参照して拠点を構えた)なら、筑紫側でも同様に「奥まった端+背後の山」という条件に寄るはずで、私には うきは市〜吉井町あたりがまず目に入ります。

5. 纏向を"点"として入れる:対応の精度を一段上げる

次に、纏向を図上に置いてみます(赤の丸印)

画像
福岡・佐賀を中心とする筑紫平野(邪馬台国の推定地)

注釈(確認ポイント):筑紫側でも「最奥」「山裾」「背後の山」という条件に"点"を落とす準備です。

画像
大阪湾から奈良盆地を含む近畿の反転地図(纏向遺跡)

注釈(確認ポイント):丸(纏向)が「盆地の中心」ではなく、端(隅)側に寄っている点が重要です。都城が"真ん中"にあるとは限らない、という条件がここで入ります。

さらに面白いのは、図の左下に、九州は有明海、近畿は琵琶湖が現れる点です。博多湾側が筑前、有明海側が筑後。近畿側でも琵琶湖方面が山城(山背)で、前後関係が揃って見える。もちろん偶然の可能性はありますが、「偶然かもしれない」を言いながら観察しておく価値はあります。(星印の方向)

6. 追加の絞り込み①:都城の向き(座山・座向)

地形の"型"だけでは物足りないので、次は都城の向きです。風水では座山・座向という言葉を使います。纏向は三輪山を座山として、東西軸から5度南に向き、二上山に正対する形をとる。都が東を背に西へ向く、かなり特殊な形です。大阪湾側からの通路が二上山の麓を通るため、「大阪湾に正対している」と言ってもよい、という見方がここで成立します。

この条件を相似で持ち込むなら、筑紫側ではこうなります。

  • 都城は博多湾の方角=北西を向く

  • 逆に、背後(座山側)は南東で、山を背負う必要がある

この条件が入ると、いわゆる有力候補の久留米は(少なくともこの枠組みでは)弱くなります。背後に山を取りにくいからです。朝倉も、博多湾から見て平野のドン突きではない点、山を背負うと南西向きになりやすい点が気になってきます。

画像
久留米市・朝倉市における仮定

注釈(この図の役割):ここは「久留米・朝倉は違う」と断定する図ではなく、"向き(北西正面/南東背後)"という制約を入れると、候補地の優先順位が変わることを示す図として置きます。

7. 追加の絞り込み②:「やまと」「まほろば」は地理条件の言い換えではないか

次に、『古事記』の歌です。

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし

『古事記』

私はまず、「やまと」という言葉が奈良固有の地名に限らず、一般名詞的に使われた可能性を疑いました。福岡・佐賀にも山門(やまと)など「やまと」が存在するからです。「やま」は山、「と」は平地を指すので、「山の平地」=言い換えれば 山のふもとの平地になりやすい。纏向は確かに三輪山のふもとです。

「まほろば」は一般に「素晴らしい場所」と説明されますが、古田武彦は原型を「まへらま」と見て、「へらま」を"脇"として解釈します。中心ではなく端。ここでも纏向が奈良盆地の隅にある、という観察とよく噛み合います。

纏向の都は、奈良盆地の端にある。重なりあった青い垣根の山々、それらに囲まれた都は、とても美しい

(筆者訳)

この読みが妥当なら、地理条件としてはこう言い換えられます。 

  • 都城は 平野の中心ではなく端(まへらま=脇) にあり

  • 山裾(やまと=山のふもとの平地) に置かれる

ここまでで、候補地は「筑紫平野の端」「山裾」という条件で、さらに狭まります。

8. 追加の絞り込み③:「ま・ほ・ろ」=磐座のヒント?

ただ、古田が写本年代を根拠に「まへらま→まほろば」を論じる一方、「まほろば」と書き換えた根拠も無視できません。そこで私は、語を分解して別の可能性も考えました。 

  • 「ほ」=突起

  • 「ろ」=岩・岩盤

  • 突起上の岩=磐座

  • 「ま」=接頭語として美称としつつ、大地・鉱物のニュアンスも連想できる

すると「まほろば」は、形容(素晴らしい)というより、地形・信仰に接続し、"磐座のある山のふもと"という探索条件を示している可能性が出てきます。

※「語の分解に関しては別記事を参照
https://note.com/ijourney/n/n88a11bbec7a1

9. 実際に検索してみる:巻向〜三輪山は磐座だらけ/筑紫側はどうか

まず、巻向〜三輪山地域を「磐座」で検索すると、見事に出ます。三輪山は磐座だらけです。

画像
巻向~三輪山地域を「磐座」で検索

注釈:纏向の座山(三輪山)を「磐座」という観点で見ると、条件が具体化します。つまり「山裾」だけでなく"磐座が集中する山裾"という、より細い探索軸が立つ。

考えてみれば、神武天皇の名に「磐余(いわれ)」が入ること自体、磐座信仰を強く連想させます。ならば筑紫側でも、磐座がある山裾を追えば都城の位置に近づけるかもしれない。 

次に、筑紫平野の東隅を「磐座」で検索してみます。

画像
筑紫平野の東隅を「磐座」で検索

注釈:この段階では「見つかった=都」ではありません。"都城のありそうな地形(端+山裾)"に、磐座という信仰地形が重なるかを見ています。

うきは市あたりにも「岩」が見えるので、その周辺を拡大し、「遺跡」で検索してみました。……どこを掘っても何か出てきそうな場所ですね(今回はここまで)。

画像
うきは市あたりの拡大地図。「遺跡」で検索

注釈:この図は「遺跡が多い→都」と言うためではなく、"候補地に対して、遺跡分布をさらに精査する入口"として置いています。

まとめ:現時点の「探索条件」と暫定候補

ここまでの話を、断定ではなく"探索条件"として整理します。

  • 地形:狭隘部の奥/平野の端/山裾

  • 向き:正面は北西(博多湾方向)、背後は南東の山(纏向の座向を相似で持ち込む)

  • 追加の探索軸:磐座がある山裾(語の再解釈+三輪山の観察から)

この条件で見たとき、私は現時点では うきは市〜吉井町あたりを第一に疑っています。もちろん、これが正しいなら、次は「地形が似ている」で止めず、遺構・遺跡の質(規模・年代・配置)で検証しなければなりません。

(今回は以上。お付き合いいただきありがとうございました) 

※固有名詞である「纏向遺跡」に合わせ、本稿では「纏向(まきむく)」という表記を使用しています。ただし、地図上の地名を指す場合は、地名・駅名である「巻向」を使用しています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

【保存版】続100名城を10分で一気見!完全ガイド

【保存版】続100名城を10分で一気見!完全ガイド youtu.be 200: https://youtu.be/v25TxeGrd5k 100: https://youtu.be/8fy9d1wPi2w 【保存版】はじめての日本100名城ガイド🏯 10分でわかる100名城の魅...