沖縄県うるま市にある世界遺産、勝連城跡。エメラルドグリーンの海を見下ろすこの美しい城跡から、世界中の歴史ファンや考古学者を驚かせる大発見がありました。古代ローマ帝国の銅貨が出土したのです。日本国内の遺跡からローマ帝国の硬貨が発見されたのは、これが初めてのケースでした。
発見されたのは、3世紀から4世紀ごろに鋳造されたコンスタンティヌス1世の肖像などが刻まれた銅貨です。さらに驚くべきことに、17世紀のオスマン帝国の硬貨も同時に見つかっています。勝連城は12世紀から15世紀にかけて繁栄したグスクであり、硬貨が作られた時代とは大きなズレがあります。では、なぜ遠く離れた地中海の硬貨が、はるか東の島国までたどり着いたのでしょうか。
その謎を解く鍵は、ローマ帝国の硬貨が世界でどのように分布しているかを示す地図に隠されています。
出土地の分布図を見ると、その驚くべき広がりが一目でわかります。ヨーロッパ全域から地中海沿岸にかけて無数の点が密集し、そこから紅海を抜け、インドの南部へと交易の痕跡が色濃く続いています。これは当時のローマが香辛料などを求めてインドなどと活発に交易していた証拠です。そして地図をさらに東へ辿ると、東南アジアから東アジアにかけて、ぽつりぽつりと点が打たれています。勝連城での発見は、この壮大な世界地図の東の果てに、新たな歴史の点を刻む出来事だったのです。
この遠大な旅を可能にしたのは、当時の琉球王国が築き上げていた独自の貿易ルートでした。14世紀から16世紀にかけて、琉球王国は「万国津梁」すなわち世界の架け橋となることを国是とし、東シナ海を舞台に大交易時代を謳歌していました。
当時の琉球の船は、中国をはじめ、日本、朝鮮、さらにはシャムやマラッカ、ジャワなど東南アジアの各地へ盛んに航海していました。アジアの主要な港には、アラブやインドから持ち込まれた西洋の品々も集まっていたのです。琉球の商人たちは、東南アジアの港で中国の陶磁器や日本の銀などと引き換えに、香木や象牙といった南方の特産品を手に入れ、それを再び各地へ運んで莫大な利益を上げていました。
勝連城跡で見つかったローマコインも、こうした地球規模の中継貿易の波に乗ってやってきました。シルクロードや海の道を経由してインドから東南アジアへ渡り、そこで琉球の交易船に積み込まれたか、あるいは何人もの異国の商人たちの手を経て琉球へと持ち込まれたのでしょう。これらは通貨として使われたわけではなく、遠い異国からもたらされた珍しい宝物、あるいは航海の安全を願うお守りとして、城主の阿麻和利をはじめとする当時の権力者たちに大切に保管されていたと考えられます。
手のひらに収まる小さな銅貨と、世界に広がる出土地の分布図。これらは、私たちが想像する以上に当時の世界が海を通じて広く繋がり、琉球王国がそのグローバルなネットワークの重要な結節点であったことを静かに証明しています。地中海から沖縄へ。果てしない旅を続けた一枚のコインは、今も色褪せることのない壮大な歴史のロマンを私たちに伝えてくれます。
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