2026年2月27日金曜日

ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた、しかも観光客枠で。王家の谷の落書きから判明した新事実: 現在位置を確認します。【移転後】

ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた、しかも観光客枠で。王家の谷の落書きから判明した新事実: 現在位置を確認します。【移転後】

ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた、しかも観光客枠で。王家の谷の落書きから判明した新事実

王家の谷の墓内部の落書きに、インドの言語であるサンスクリット語、プラークリット語、タミル語の落書きが見つかったことが学会発表され、エジプトマニア界(?)がちょっと湧いている。大量のギリシャ語の落書き野中に、少なくとも30ほど別の言語のものが混じっていたというのだ。
いやこれわからんて…ふつうインドの言語わかる学者なんてエジプトの現場に来ないもん…。

How Tamil, Sanskrit and Prakrit names ended up on the walls of Egyptian Pharaohs' tombs
https://indianexpress.com/article/explained/explained-history/tamil-sanskrit-prakrit-names-egypt-tombs-reason-10528975/

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2,000-year-old Tamil-Brahmi inscriptions discovered in Egypt's Valley of the Kings
https://www.tamilguardian.com/content/2000-year-old-tamil-brahmi-inscriptions-discovered-egypts-valley-kings

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まず前提として、この落書きが成されたとされる紀元後1世紀~3世紀、エジプトは既にローマ属州となっていた。
この時代、ローマはエジプトの紅海沿岸の都市とインドをつなぐ貿易でコショウなどの珍しい品を輸入していたことが分かっている。
実際にこの交易航路を使っていた商人の残した「エリュトゥラー海案内記」という史料に、当時の状況が詳しく記録されている。

エリュトラー海案内記 1 (東洋文庫 870) - 蔀 勇造
エリュトラー海案内記 1 (東洋文庫 870) - 蔀 勇造

また、最近の発掘で紅海沿岸の港町からインド交易の証拠なども見つかっている。

紅海沿岸の古代の貿易港ベレニケ、インド交易による動物輸入の証拠が見つかる
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_5.html

エジプト:紅海沿岸の都市ベレニケで仏像が見つかる。現地在住インド人がいた可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/499155619.html

上記のとおり、近年の発掘で仏像が見つかっていたりもするので、インド人駐在もいたんだろうなあと分かってきたのだが、実はこのインド人駐在さんたち、もっと内陸まで入り込んで現地観光もやっていたらしい。というのが、今回の発見から分かることである。



判明の経緯を見ると、2024年にたまたま旅行に来た言語学者が「あれ、これなんか怪しくね?」と写真撮って帰ったのがきっかけらしい。
その後、2025年にかけての調査でインドから来た人が書いたものと判別していったとか。ということは、いままでここを調査した学者さんたちは、読める文字だけ読んで、わからない言語は何語か特定しないままスルーしちゃってたんですね。

書かれているのはどうも「(人物名)、ここに参上」のような、現代でもよくある観光地の記念落書きのパターンらしい。人間、2000年前とやること変わってねえ…。
で、その人物名からも、特定の文化圏に属した人物がここに来たことを特定できるらしい

インド人の落書きが見つかった墓は6つあるが、そのうち5つの墓の計8箇所に落書きを残した「Sikai Kotran」さんの名前は、

・房または冠を意味するサンスクリット語のśikhāに由来
・タミル語的な名前で、勝利と殺害を意味する戦士の女神Koṟṟavaiと、王を意味するkoṟṟavaṉに由来

となっているそうだ。

ローマ属州時代のエジプトは一大観光地、帝国全土からピラミッドやら神殿やら見に人がやって来ていて、遺跡には古代の落書きが大量に書かれている。その中に混じってインドから来た商人たちも落書きして自分の名前などを残していたのだ。エジプトが世界各国からの観光客であふれる現象は、2000年前から既に始まっていたということ…。
当時はまだ落書きダメとかいう概念もないし、今となっては、この2000年前の落書きがれっきとした考古資料ですからね。

落書きだけからだと正確な年代はわからんですが、紅海の交易ルートが使われ始めたのはプトレマイオス朝半ば以降なので、ルートが安定して使われる末期からは、インド人がエジプトにいた可能性が高くなる。


というわけで、プトレマイオス朝末期~ローマ属州時代のエジプトには、インド人いました。インド人出してOKです。もしかしたらクレオパトラがインド人と謁見したこともあったかもしれない。

いいですね。(創作物の)夢が広がりまくりんぐですよ。

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ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた、しかも観光客枠で。王家の谷の落書きから判明した新事実: 現在位置を確認します。【移転後】 https://55096962.seesaa.net/article/520061808.html ローマ支配初期...