2026年2月27日金曜日

残っていた「あの」伊勢の石灯籠 ~磯部神社~ | KANSAI SANPO

残っていた「あの」伊勢の石灯籠 ~磯部神社~ | KANSAI SANPO

 1954年6月30日に三笠宮崇仁殿下が「日本オリエント学会」を立ち上げました。自分の聞いたところでは、そこで日本とユダヤの関係について情報を集め開示する計画が盛り上がって有志が伊勢に灯籠を立てたのですが、その後当局から緘口令が敷かれ尻すぼみになったそうです。

灯籠設置と時期的に合うので多分本当だと思います。

「日本オリエント学会」自体は東京池袋に関係博物館(古代オリエント博物館)と提携し今でも活動を続けています。

オリエント学会の会報には日ユ同祖論的な学術論文(諏訪のミシャグチと旧約聖書イサクをつなげた清川理一郎氏が代表的)もいくつか掲載されていますが、極めて真面目なものです。


https://ameblo.jp/kyoto-sanpo/entry-12905924418.html

残っていた「あの」伊勢の石灯籠 ~磯部神社~

磯部神社

三重県志摩市磯部町恵利原

伊勢神宮別宮・伊雜宮の近くに鎮座する磯部神社。

こちらは初参拝の神社です。

今回この磯部神社を訪問することにした理由は

入口に立っている2基の石灯籠を見たかったからです。

境内にもさらに2基ありました。

この石灯籠は曰く付きなものなのですが、それについては後述します。

今まで全く知らなかった神社なのですが、

地元の方々にとっては重要な神社のようです。

お正月には伊雜宮(いざわのみや=皇大神宮別宮)、この磯部神社

そして佐美長神社(伊雜宮所管社)の順に三社詣でをする慣わしがあるのだそうです。

拝 殿

明治時代の神社合祀の気運の高まりや、昭和までの町村合併などにより

周辺神社の御祭神を当社に奉遷合祀された歴史を持つ神社。

結果、この磯部神社の御祭神は49柱。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)

そのほか天照大神の御子神や宗像三女神など名だたる天神地祇が祀られています。

本 殿

意外と言っては失礼なのですが、思ったよりも立派な社殿と

地元の方々から大切にされているだけのことはあると納得の境内。

しかも新御敷地(古殿地)もあり、式年遷宮が斎行されている神社のようです。 

境内には皇大神宮(内宮)遥拝所と、神武天皇遥拝所がありました。

そして境内には件の石灯籠が2基。

写真奥の鳥居が神武天皇遥拝所、手前が内宮遥拝所です。

当社は古来、伊勢神宮との関係が密接だったと称しています。

静謐な境内ですが、やはり125社とは違う雰囲気を感じました。

さて、冒頭でご紹介した「石灯籠」の話です。

2018年まで、御幸道路など伊勢市内に見られた石灯籠。

昭和30年頃からあるそれらは、伊勢の風物詩とも言われる光景となっていました。

その石灯籠には六芒星が刻まれていたため、様々な憶測を呼んでいました。

2008年 伊勢市内にあった石灯籠

この石灯籠の「六芒星」は、太陽と月、あるいは星を加えた印

もしくは単純に「カゴメ」の印ではないかと思います。

しかしこの六芒星を「ダビデの星」というイスラム教のシンボルと関連付けて

伊勢神宮とイスラエルとの関係を暗示させる象徴だと主張する人がいました。

15年ほど前ですが、この石灯籠のことを検索すると

日ユ同祖論に絡めて上記のような持論を展開するサイトが氾濫していました。

しかし最盛期には600基余あったと言われる石灯籠ですが

実は伊勢神宮とは全く関係がありませんでした。

なので当然のことながら、神宮の敷地内には1基もありませんでした。

そして2018年、その石灯籠は全て撤去されました。

その経緯を簡単に、地元紙の記事と国土交通省のHPを参考に

以下にまとめてみました。

あの石灯籠は昭和30年頃、とある民間団体によって建てられたもの。

最盛期には600余基あったと言われ、伊勢の風物詩と言われたことも。

しかしすぐにその民間団体とも、代表者とも連絡がとれなくなり

昭和40年頃には、その団体の解散届も出ていたとのこと。

その後は石灯籠の老朽化が問題となり、「撤去」「保存」両面の意見が交錯するも

解決策を見いだせないまま60余年、事件が起きた。

事件というか事故。
2018年4月。路線バスが接触事故を起こした。

その際に落下した灯籠頭部により80代男性が死亡。

死亡事故発生を受け、国と県、伊勢市は撤去に向けて動いた。

その事故の時点で520基あった石灯籠は、国と県、伊勢市が進めた撤去作業により、

2018年11月29日には全撤去が完了した。

撤去作業は参拝者への配慮から、夜間に行われたようです。

しかし520基もの石灯籠の撤去作業は、地元では大きな話題になったと思います。

その撤去作業により、石灯籠は伊勢神宮とは無関係であることが

多くの人の知るところとなりました。

また、撤去前はあまり報じられていませんでしたが

あの石灯籠は60年以上にわたって、

道路の不法占有状態だったことも明らかになりました。

この石灯籠を作った団体がどういう考えを持っていたのかは不明ですが

少なくともこの石灯籠とその六芒星は、伊勢神宮とは全く関係がないと言えます。

磯部神社入口の石灯籠

2018年に全撤去されたと言われる、六芒星が刻まれた石灯籠。

しかしその石灯籠がまだ、いくつか残っていることを最近知りました。

そのひとつがこの磯部神社のものだったのです。

磯部神社に参拝した日に確認しましたが、

伊雜宮の前にある神武参剣道場にもその石灯籠が残っていました。

神武参剣道場

この石灯籠に刻まれた「六芒星」はダビデの星ではなく

日月星の象徴だとする説があるようです。

かつて伊雜宮は伊雜宮を太陽神とし、

内宮・外宮を星神、月神と主張していたことがあったそうです。

神武参剣道場前の石灯籠には「伊勢神宮三宮奉讃献燈」と刻まれていました。

御幸道路などにずらりと並んでいたこれらの石灯籠は

当初、外宮~内宮~伊雜宮を結ぶ計画だったと聞いたことがあります。

伊雜宮(2025.5.25・皇大神宮別宮)

その「終点」と思われる地域にその石灯籠が残っている。

そしてかつて伊雜宮が

「伊雜宮こそが本来の内宮である」と主張して、内宮との関係が悪化した時期があった。

それらを鑑みると、よそ者である私が三宮奉讃とか石灯籠の謎だとかに

迂闊に首を突っ込むべきではないような気がしてきました。

少し大げさかも知れませんが…。

佐美長神社(2024.10.6・伊雜宮所管社)

磯部神社の社務所には、宮司さんがいらっしゃたようでした。

お話を伺うことが出来たら何かわかったかも知れませんが。

能天気なブロガーはお気楽者らしく

「六芒星の石灯籠がまだあったぞー」

くらいの話題で留めておいた方がいいのかも知れません。

磯部神社入口の石灯籠には、電線が引込まれていました。

実際に「灯籠」として利用されているのかも知れません。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた、しかも観光客枠で。王家の谷の落書きから判明した新事実: 現在位置を確認します。【移転後】

ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた、しかも観光客枠で。王家の谷の落書きから判明した新事実: 現在位置を確認します。【移転後】 https://55096962.seesaa.net/article/520061808.html ローマ支配初期...