特別展「最澄と天台宗のすべて」 ~ 東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん) ~
天台宗の主要なお坊さんの掛け軸や延暦寺の仏像などが展示されて
います。
写真撮影は出来ませんでしたが、御朱印を授与頂きました。
愛称、トーハク。日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館。明治五年(1872)に湯島聖堂で開催された日本初の博覧会がきっかけとなり創設され、明治五年(1872)に開館した日本最古の博物館。本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなる。国宝と重要文化財を多数含む110,000点以上の収蔵品と3,000件以上の寄託品を収蔵しています。
住所:東京都台東区上野公園13番9号
開館時間:9:30~17:00
開館日:URLを参照のこと。
アクセス:
・JR上野駅公園口/鶯谷駅南口より徒歩10分
・東京メトロ上野駅/根津駅下車、徒歩15分
・京成電鉄京成上野駅下車、徒歩15分
本館(ほんかん)〔重要文化財〕
日本の美術・工芸・歴史資料を展示。J.コンドルが設計し、明治十五年(1882)に開館した旧本館は大正十二年(1923)に関東大震災で大きな被害を受けました。その後、昭和十三年(1938)に昭和天皇の即位を記念して開館したのが現在の本館です。渡辺仁(わたなべじん)による設計で、コンクリート建築に瓦屋根をのせ、東洋風を強く打ち出し、「帝冠様式」の代表的建築とされています。
表慶館(ひょうけいかん)〔重要文化財〕
明治三十三年(1900)、皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画され、明治四十二年(1909)に開館した、日本ではじめての本格的な美術館。設計は、J.コンドルの弟子で、東宮御所(現・迎賓館)なども手がけた宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)。中央と左右に美しいドーム屋根をいただき、上層部の外壁面には製図用具、工具、楽器などをモチーフにしたレリーフがあります。
平成館(へいせいかん)
今上天皇(きんじょうてんのう)のご成婚を記念し、平成十一年(1999)に開館。
【町田久成之像(まちだひさなりのぞう)】
初代博物局長(館長)の町田久成の像。
【森鴎外総長室跡】
平成館及び前庭の一帯は、明治十五年(1882)に博物館が上野に移転してから、展示棟に付属する事務棟の建物が多く建てられました。この付近には帝室博物館を統括する総長の居室があり、森林太郎(りんたろう:ペンネーム 鴎外)は大正六年(1917)から大正十一年(1922)に死去するまで、総長としてここで執務しました。
資料館(しりょうかん)
日本・東洋の美術・工芸、歴史・考古に関する各種の学術資料を収集・保管し、公開する施設として、昭和五十九年(1984)に開館。
旧十輪院宝蔵(きゅうじゅうりんいんほうぞう)〔重要文化財〕
もとは奈良・元興寺(がんごうじ)の別院・十輪院にあった経蔵。鎌倉時代に造られた一間四方の小さな校倉(あぜくら)で、内部壁面には大般若経にゆかりの菩薩や十六善神が描かれており、この宝蔵には大般若経が納められていたことがわかります。
法隆寺宝物館(ほうりゅうじほうもつかん)
当館所管の法隆寺献納宝物すべてをまとめて保存・展示する建物として、昭和三十九年(1964)に開館しました。この旧宝物館では作品の保存上、公開は週1日に限られていました。そこで、保存機能をさらに高めながらも作品を広く一般に公開することを目的とし、平成十一年(1999)に谷口吉生(たにぐち よしお)設計による新宝物館が開館しました。現在は、他の展示館と同様、週6日公開されるようになりました。緑に囲まれ、人工池を配した明るい外観と、静寂な展示室は、平成13(2001)年度の建築学会賞を受賞しました。1階にはレストランがあります。
【鬼瓦】
千代田区霞が関にあった筑前福岡藩黒田家の江戸屋敷の鬼瓦で、複雑な雲文の意匠が特徴。
東洋館(とうようかん)
中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示。別棟にレストランがあります。昭和四十三年(1968)の開館。谷口吉郎(たにぐちよしろう)設計。平成二十五年(2013)1月にリニューアルオープン。
【中国の獅子像】
日本で最初に合板を生産した新田愛祐(にったあいすけ)の寄贈。
【朝鮮の石像】
高麗、李氏朝鮮王朝時代の王や両班(ヤンバン:支配階級の身分)の墓を守る羊や文官の石像。
【ジェンナー像】
種痘(しゅとう:天然痘の予防接種)を発明したイギリス人の医師・ジェンナーの像。彫刻家の高村光雲(たかむらこううん)の弟子・米原雲海(よねはらうんかい)の作。台座にはめ込まれた碑文には、漢字で「善那」と書かれています。
庭園(ていえん)
東京国立博物館の本館北側に広がる庭園は、池を中心に5棟の茶室を配し、四季折々の花や紅葉に彩られる憩いの空間です。かつてあった動植物の研究部門「天産部」の名残で、珍しい樹木や野草が植えられているのも特徴です。また、五代将軍・徳川綱吉が法隆寺に献納した五重塔や、石碑や燈籠などが庭園には遺されています。庭園内にある茶室は、茶会・句会等にご利用いただけます。
【五重塔】
高さ5.7mの銅製の塔。基壇に第五代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)が法隆寺に奉納した旨の銘文が線刻されています。
【第二回内国勧業博覧会の碑】
明治政府は勧業政策の一環として博覧会を開催、第一回から第三回の会場は上野公園が使用されました。
春草廬(しゅんそうろ)
江戸時代、政商・河村瑞賢(かわむらずいけん)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所。
【町田久成之碑】
初代博物局長(館長)の町田久成の顕彰碑。
転合庵(てんごうあん)
安土桃山時代から江戸時代前期の大名・小堀遠州(こぼりえんしゅう)が桂宮(かつらのみや)から茶入(ちゃいれ:茶器)「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室。
六窓庵(ろくそうあん)
慶安年間(1648~52)奈良・興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられたもの。もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれました。第二次大戦中解体・疎開したものを昭和二十二年(1947)数寄屋の名工・木村清兵衛により現在の位置に再建。
【有馬家の墓石】
越前丸岡藩主有馬家の墓石。明治期に博物館敷地内の墓所が整理されたもの。
応挙館(おうきょかん)
もとは尾張国(現・愛知県大治町)の天台宗寺院・明眼院(みょうげんいん)の書院。室内の墨画は、円山応挙(まるやまおうきょ)の揮亳と伝わる。
九条館(くじょうかん)
もと京都御所内の九条邸にあったもの。床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされています。
【陶製燈籠】
清水焼(きよみずやき)陶工・第四代清水六兵衛(きよみずろくべえ)の作。明治四十一年(1908)の銘があります。
池
【鉄燈籠】
茶の湯釜師として有名な江戸名越家の六代目・名越建福(なごしけんぷく)作と伝わる。台風で倒壊後、基壇以外は別に保管しています。
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